吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

スウィンダラーズ

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 ヒョンビン目当てで見た映画。イヤー面白いですねぇ、さすがは韓国映画。これは詐欺師が詐欺師をだます話で、日本ならコンフィデンスマンJPの類なんだけど、さすがはヒョンビンが演じるだけあってアクションものなのであります。

 しかも話がだんだんこんがらがってきて、後半はもう誰が誰を騙しているのかさっぱりわからない。つじつまが合っているかどうかも不明。しかしそんなことはどうでもよくて、とにかく面白ければそれでいい! 韓国映画ってこういうところが良くも悪くもエンタメ作りに長けているところだと感動するわ。

 日本のコンフィデンスマンたちの映画がまったく政治性も社会批判もないのに対して、韓国のは明確に権力批判があるから、そこはさすがと思わせる。何しろ詐欺師の親分が最高検事総長を目指す上昇志向の強い若手検事なんだから。

 ヒョンビンはもちろんかっこいいんだけど、悪役検事役のユ・ジテもよかったわー、彼の顔はどこかで見たことがあるから、これまでの映画で何度も見ているはずだが、今回初めてものすごく印象に残った。しかも眼鏡をかけている場面がよくて、外すとがっかり。メガネ男子のユ・ジテ推し!

 韓国は日本以上に監視社会と見えて、町中いたるところに監視カメラが設置されている。むしろ監視カメラを追いかけている検察側詐欺師の「ここから先はカメラがありません!」というセリフを聞いて、「なんでやねん、もっとカメラを設置せんかい!」と思ってしまうところが怖い。もうわたしたちはこういう社会にすっかり慣らされてしまったのか。(Amazonプライムビデオ)

2017
韓国 Color 116分
監督:チャン・チャンウォン
脚本:チャン・チャンウォン
撮影:イ・テユン
音楽:パン・ジュンソク
出演:ヒョンビン、ユ・ジテ、ペ・ソンウ、パク・ソンウン、ナナ、アン・セハ

ナショナル・ギャラリー 英国の至宝

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 ナレーションも解説の字幕もつかないという、いつものワイズマンの作風。「エクス・リブリス ニューヨーク公共図書館」はかなり以前に本を読んでニューヨーク公共図書館のことを知っていたので、映画としては全然新鮮味がなくて爆睡していたが、今回のミュージアムものは絵が素晴らしいので起きていられる。いや実は途中爆睡していたのだけれど、あとで見直したらえらく面白かった。

 3時間以上もあるのに飽きることなく見ることができるのは、ひとえにこの国立美術館学芸員たちの仕事ぶりが見えるからだ。日本では「雑芸員」という悲しき自嘲職種でもある学芸員だが、さすがに大英帝国のナショナルギャラリークラスだと、広報担当、研究担当、教育担当、修復担当、その他もろもろの職種分けも明確で、それぞれの専門性が生かせる仕組みになっている(はず)。修復担当はひょっとしたら外部の専門家かもしれないなあと思いながら見ていたのだが(日本だとそれが普通)。

 まあ日本でもうちみたいなところだと、館長兼貸し出し係兼レファレンス係兼目録担当兼選書兼研究兼教育担当兼広報兼展示係兼会計兼法人業務兼兼兼兼になるのだが、そうならないナショナルギャラリーにはただただ感嘆のあまりに憧れ目線で眺めておりました。

 さまざまな名画を熱を込めて解説する学芸員たちの素晴らしいギャラリートークにも感動した。ほんとに全員がここの学芸員なの? 自分たちの仕事に誇りを持っているそのプロフェッショナルぶりに見ているほうも胸が熱くなってくる。中にはたどたどしくしゃべるスタッフもいるのだが、そのつっかえつっかえながら語られる内容がとても興味深いので、観客も黙って聞き入ってしまう。

 絵の配置をめぐっても学芸員たちは議論し、それぞれの意見を静かにたたかわせる。プロの会話の知的なスリルがたまらない。

 印象的だったのは、ある広報スタッフから「もっと観客のニーズに応えるフォーラムや広報をしてほしい。学芸員の講義もいいんだけど…」と訴えられた上席学芸員が「低俗な大衆嗜好に合わせたくない」と抗弁するところ。もっとも、彼は「波乱万丈は好きだよ、ありがとう」と答えている。誇り高き学芸員の、インテリの矜持を見せた場面だ。こういう場面でわたしはどちらに感情移入するだろう? 自分自身の反応が面白いと思った次第。(Amazonプライムビデオ) 

2014
NATIONAL GALLERY
フランス / アメリカ / イギリス Color 181分
監督:フレデリック・ワイズマン
製作:フレデリック・ワイズマン、ピエール=オリヴィエ・バルデ
撮影:ジョン・デイヴィー
編集:フレデリック・ワイズマン

ハーツ・アンド・マインズ/ベトナム戦争の真実

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 この映画はベトナム戦争が終わる前に作られているので、撤退の様子は映っていない。兵士たちの生々しい証言が胸を打つ。今では有名になったベトナム人たちが逃げ惑う姿の映像(世に知られているのは静止画)が改めて映し出されて、こういう画は見飽きるとか見慣れるということがない、とつくづく思う。実際に南ベトナム解放戦線の兵士が頭を撃ち抜かれる場面など、よく撮ったな、と驚いてしまう。血がびゅーっと頭から吹き出る場面の衝撃には思わず「げっ」と声が出てしまう。

 「(ベトナムでの)最終的な勝利は、実際に向こうで暮らしているベトナム人の意欲と気質(Hearts and Minds)にかかっているだろう」というジョンソン大統領の演説が本作のタイトルとなっている。

 インタビューに答えているのは政府高官、傷病兵、反戦を訴える若者、ベトナム戦争は正義だと訴える帰還兵、兵士の母や恋人、ベトナム人の棺桶職人、戦うベトナム人、などなど。どうやって撮影したのか不思議に思う映像が次々と登場する。

 全体としてはもちろん反戦映画なのだが、生々しい映像が多すぎて、その合間にニュース映像が挟まり、どこまでがオリジナルな撮影なのかがわかりにくいのが難点と感じた。ただ、この映像を当時見た人たちには相当な衝撃を与えたに違いないだろう。

 もちろんこの映画を見て「もう一回戦争をしよう」と思う人などいないと信じたいが、「今の戦争はもっときれいだから」という意見がもしあるとすれば、とんでもない間違いだと言いたい。どんな戦争でも命がやりとりされることに違いはない。その命が自分の大切な人だったら? その想像力を働かせること、そのための力を観客に与えること、これがこの映画の目的と存在意義と思える。消費することを許さない作品というのはいつの時代にもあるのだ。(レンタルDVD)

1974
HEARTS AND MINDS
アメリカ 110分
監督:ピーター・デイヴィス
製作:バート・シュナイダー、ピーター・デイヴィス

 

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

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 タイトルはどう訳すべきなのだろう? 「死ぬべき時じゃない」なのか、「死んでる暇はない」なのか? どっちにしても、ダニエル・クレイグが演じるジェームズ・ボンドとはこれでお別れなのだ。壮絶な最期であった。これでシリーズそのものが終わるのだろうか。いやいや、ボンドは帰ってくるって最後にテロップが出たじゃないの。

 と、いきなりネタバレ全開モードだけれど、このシリーズはダニエル・クレイグが主役になってからはシリアスな作風になり、「カジノ・ロワイヤル」で泣かされたわけだが、その後も話がずっと続いているから前4作全部見てないとわからないよね。わたしは不覚にも「スカイフォール」は途中で寝てしまったので話がよくわからない。寝てなくてもその他のストーリーもほぼ覚えていない。もう一度全部見直してみたい。

 今回は、イタリアで恋人マドレーヌとゆったり休暇を楽しんでいるジェームズ・ボンドがいきなり吹き飛ばされそうになるところから始まる。いやその前に、少女が能面男に襲われて氷の湖面に落ちちゃうところから。とにかく最初から何度も何度も見せ場が盛り上がるので、最後のほうは疲れてしまった。最終話だからというサービス精神がたっぷりである。

 今回は能面男のラミ・マレックが悪役なんだけれども、中途半端によい人ぶったりしてしまうところがいまいち。クリストフ・ヴァルツが刑務所に収監されている場面なんか、ほぼレクター博士レクター博士みたいに人に嚙みついたりするのかと恐れながらも期待したけど、そういうこともない。どうにも怖さが中途半端なのがいかん。クリストフ・ヴァルツの無駄遣い。

 しかし、舞台が南米に飛んだところでCIAの新人さんが登場して、これがアナ・デ・アルマスだということにわたしはまったく気づかなかったのだが、すごい色気とアクション! 拍手喝采ものです。そのあと、場面が世界中の楽しいロケ地を回るという豪華版で、もちろんカーチェイスもバイクチェイスもたっぷり大サービス。その上驚くべきことに新しい007も登場して、これまた昨今の風潮を反映して、ポリティカル・コレクトネスに配慮している。日本の「北方領土」が登場したときにはのけぞったし、日系監督の日本びいき(?)の不思議な和テイストもなんともいいがたいお笑い場面なような気がした。

 いろいろけなしたり褒めたり忙しい本作だが、最後はやっぱり泣かせてくれます。

 そうそう、レミ・マレックが座っていたけったいな和室に敷いてあった畳は西日暮里にある森田畳店の畳112枚が使用されているということでTwitterで話題になっていた。

 今回、人類滅亡の最終兵器は細菌兵器だというところが21世紀的である。コロナ禍よりも前に撮影された作品ではあるが、現実味があった(お話は荒唐無稽)。

 ボンドの最後の台詞はちょっと訳しすぎじゃないのかな、戸田奈津子先生。

 ところで、この映画で注目は「007」が表象するもの。もともと単なるコードにすぎない「007」という数字に何の意味があるのか、と根源的な問いを発する台詞があり、これは哲学的だなと思った。ジェームズ・ボンドという表象もまた映画の役名を超えて同時代に訴えるなにかがあると思える。だれかこの点に言及しているかも。

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
2020
NO TIME TO DIE
イギリス / アメリカ  Color  164分
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ
製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ
脚本:ニール・パーヴィスロバート・ウェイド、キャリー・ジョージ・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ
撮影:リヌス・サンドグレン
音楽:ハンス・ジマー
主題歌:ビリー・アイリッシュ
出演:ダニエル・クレイグラミ・マレック、レア・セドゥ、ラシャーナ・リンチ、
ベン・ウィショーナオミ・ハリスジェフリー・ライトクリストフ・ヴァルツ

クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代

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 Amazonプラムビデオではなぜか吹き替え版しか見られなかったので、日本語吹き替えで。しかしこれは意外な効果があった。ナレーションをラジオのように聞きながらほかの仕事の合間に「ながら見」が可能だったから。まあこういう見方は邪道だけどね。

 で、ここで改めて知ったことは、花の都パリ、芸術の都パリではなく、芸術の都はウィーンだったってこと。特に19世紀末に音楽、絵画、そして精神分析の都はウィーンだったということ。考えてみれば、ベートーヴェンもウィーンで作曲していたわけだし、パリに画家たちが集まる前はウィーンこそがベルエポックだったのだ。サロンがいくつもあり、カフェでは芸術的なケーキが提供されていた。

 そうだよそう、しかしわたしはウィーンに行ったことがないのが実に残念だ。この映画はクリムトエゴン・シーレの絵画を紹介・解説するだけではなく、フロイトや音楽についても物語っていく。実に素晴らしい教養番組だ。

 これで改めてわかったことは、シーレの絵画はほとんどポルノということ。男女の生殖器があからさまに描かれ、あるいは女性が自慰行為にふけっている場面がリアルに描写されている。長らくエゴン・シーレはポルノ画家とみなされていて、彼の絵は絵画市場ではなくポルノ市場で流通していたという。

 しかし単なる助兵衛画家ではなく、彼はジェンダーへの配慮を絵に込めた初めての画家だと説明されている。男の性的視線からではなく、シーレが描く女性の裸体は女性自身を主体として描いているという。それが証拠に、彼は縦長の女性裸体を多く描いた。しかし、男性学芸員たちはその絵を横長に展示したがったという。

 この映画ではフロイトも登場する。とても面白い。こういう映画は何度見てもいい。なにしろ勉強になるから。(Amazonプライムビデオ)

2018
KLIMT & SCHIELE - EROS AND PSYCHE
イタリア  Color  94分
監督:ミシェル・マリー
製作総指揮:ヴェロニカ・ボッタネッリ
脚本:アリアンナ・マレリ
撮影:マテウス・シュトレツキ
日本語版ナレーション:柄本佑

空白

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 これは「由宇子の天秤」と双璧をなす作品だ。わたしは「空白」のほうが好き。ラストに少しでも希望があるから。

 

<以下、あらすじをかなり書いていますので、鑑賞前に読むかたはご承知のうえでお願いします。完全ネタバレの注意は末尾に書いています>

 

 海辺の町、ゆったりとした時間が流れる様子をスローモーションで映していく巻頭の場面が印象的だ。そこではおとなしそうで気弱そうな女子中学生が堤防のそばを歩いて登校する様子が映り、やがて学校へ着いた彼女は周囲とあまり馴染めていない様子で他の生徒たちを眺めている。この導入部が最後に生きてくる。

 少女の名前は花音(かのん)という。花音は近所の小さな「スーパー青柳」で万引きし、若き店長(2代目オーナーでもある)につかまってバックヤードへと連れていかれる。次の場面では花音がスーパーから猛ダッシュで逃げ出し、青柳店長がこれまた懸命に追いかけるカットが続く。逃げきれずにつかまりそうになった瞬間に花音は道路に飛び出し、最初の車に跳ねられる。続いて後続のトラックにも。その凄絶な場面はトラウマになりそうだ。

 花音の父・添田充は腕のいい漁師だが、一人娘を亡くした父親として悲しみと怒りにくれている。もともと性格がきつくて粗暴なところがあったのだろう。彼の怒りの矛先はスーパーの店長や学校、そして花音を轢いた運転手に向かう。ほとんど言いがかりのような難癖をつけ、恐るべきクレーマーになっていく添田

 その添田の怒りに火を注ぐのが悪意をもったテレビ局の報道だ。青柳店長のインタビューを意図的にカットしてつなぎ、彼を悪者に仕立て上げていく。添田を演じるのが強面の古田新太で、添田に追い詰められるのが松坂桃李くんだから、これはもう既に古田こと添田の負けは目に見えている。やくざのような添田に「娘は万引きなんかしていない。お前こそ、痴漢をしたんじゃないのか!」と詰め寄られどなりつけられて「すみませんすみません」と声を震わせて謝罪するしかない青柳。添田の負け、というのは観客の同情心が完全に青柳に向かうという意味だ。

 添田は妻と離婚して男手一つで娘を育ててきたのだが、実はまったく娘を理解していなかった。そのことを別れた妻に指摘されても動ぜず、逆切れしていく。暴走する添田、追い詰められる青柳。さらに青柳の店のベテラン女性店員が「真人くんは悪くないから!」と正義を振りかざして青柳をかばうのがまた堪らない。この「正しい」おばさんが正論を述べれば述べるほど、青柳は追い詰められていく。

 こんな見事にドラマを設定し、人物の造形をわかりやすく練り上げ、先の読めないスリリングな展開で観客の心をざわつかせるなんて。誰が被害者なのか加害者なのか、その立ち位置は絶対的なものではなく、そしていつでも入れ替わり可能だということを鋭く示している。

 わたしはスケジュールの都合により、日本語字幕付きの上映回のを見たのだが、それが意外とよかった。普段なら気が付かない「音」も字幕で拾われているからだ。「遠くに電車の音」とか、「戸が開く音」といったト書き部分によって、画面のフレームの外から聞こえてくる音の存在に気づかされたのだ。ふだん何気なく映画を見ていたら気付かない「音」をうまく使っているではないか。

 また、カットのつなぎが絶妙にうまくて驚く場面もあるし、映画的な作り方がされている作品である。たとえば「由宇子の天秤」も傑作だったが、あれは小説でも表現できそうだ。こちらの「空白」はスローモーションや巧みなカット割りやフレーミング、といった映画らしい演出が随所で施されている。どちらの映画も役者が見事なので安心して見ていられた。片岡礼子の演技には脱帽。これは賞をもらえるね。

 本作はラストが甘いと思うのだが、その甘さが心地よかった。あのまま終わってしまったらもう映画館から出ていくときの気分が悪すぎる。それにしても人が変わるためにどれだけ多くの犠牲があったことか。

 

 さて、タイトルの「空白」について。劇場版パンフレットには別の説明があったが、わたしは花音が万引きをして店長につかまってから店を飛び出すまでの間の「空白」が気がかりだ。

 

 

 以下、完全ネタバレにつき、未見の方は読まないでください。

 

 

 

 

 

 校長がつぶやていていた、「3年前に店長に痴漢に遭った生徒がいる」という件。あの伏線は回収されたのか? やはりスーパーのバックヤードで花音と青柳の間に何があったのかは明らかにされていない。とても気になる。”実は青柳が花音にセクハラをしていた”とか、”暴力をふるった、暴言を吐いた”ということがあれば、事件の解釈は一変する。このあたりは見終わった人と語り合ってみたい。    

2021
日本  Color  107分
監督:吉田恵輔
製作:河村光庸
脚本:吉田恵輔
撮影:志田貴之
音楽:世武裕子
出演:古田新太松坂桃李田畑智子、藤原季節、趣里、伊東蒼、片岡礼子寺島しのぶ

MINAMATA―ミナマタ―

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 1977年だったか78年だったか。京都で水俣写真展が開かれていた会場の、1枚の写真の前に釘付けになり、わたしは静かに涙を流していた。そのときわたしはおそらく怒りに震えて涙を流していたのだろう。入浴する智子さんと、彼女を抱いたまま一緒に湯船につかる母親の写真。世界を震撼させた1枚の写真だ。確かに写真が人の心を動かし、世の中を変えることはあるに違いない。この1枚がわたしにとってはそうだった。そののち、社会運動にコミットすることをわが身の生き方として選択したわたしにとって、その1枚は背中を押した写真だった。

 それから40年以上が経ち、同じ写真を見て涙を流すわたしは、もはや怒りに震えてもいないし、悲しみに閉ざされてもいない。わが子を想う母の気持ちに胸打たれているのだ。40年の月日がわたし自身を二人の息子の母にした。再び見た1枚の写真が結晶させせた慈愛に満ちた母の姿に、自らの思いを重ねていた。

 だがこの写真は劇場用パンフレットには掲載されていない。「入浴する智子と母」は被写体である智子さんのご両親によって封印され、アイリーン・スミスは20年前に「2度と新たな展示・出版には使わない」と宣言した。しかし今回、事後承諾をとったとはいえ、再びこの映画で写真を使ったことについては、智子さんのご遺族ともども複雑な心情があるようだ。

 本作については、ロケ地がセルビアなので現実の水俣に似ても似つかないとか、史実を変えすぎているとか、子役が白人なのは違和感ありすぎとか、水俣の問題を商業映画の中で消費してるだけだとか、いろいろ問題点が指摘されているが、ある程度はやむを得ないと思う。

 「ラストエンペラー」そっくりのボレロが聞こえてきた瞬間に、音楽担当が坂本龍一であったことを思い出した。使い回しやんかと苦笑すると同時に、坂本龍一節やなぁと感動もした。

 この映画で初めて水俣病のことを知った人にとっては、今も続く闘いへの関心をもってもらうきっかけとなるだろう。そういう啓蒙的な意義はある。役者たちが熱演・好演していることも評価したい。特にジョニー・デップはさすがの演技で、いつも酔っぱらっているユージーンのダメぶりと、さらにそのダメを乗り越えるプロ魂を演じて見事だった。

 だが、残念な演出もある。川本輝夫さんをモデルとする患者代表の活動家(真田広之、かっこいい!)が、会社との交渉の場面でいきなり机の上に胡坐をかいているのは解せない。あそこは迫力ある交渉の場面を描くべきであり、川本さん(映画の中ではヤマザキ)が机に乗り上げるその動的なカットを採用すべきだったのではないか。

 もう一つ残念だったのは、チッソの従業員が「悪役」としてしか登場しないこと。新日本窒素労働組合は1968年に「水俣病と何ら闘いえなかったことを恥とする」という「恥宣言」を行ったことで有名だ。このことを少しでもいいから描いてほしかったものだ。

 わたしはアイリーンさんとは何度も反原発集会や会議で出会った。幼い娘さんを連れてきていたことが印象に残っている。それはもう40年ぐらい前のことだが、最近ネットで見た彼女の写真に、あの頃の面影がそのまま残っていたことが嬉しかった。

2020
MINAMATA
アメリカ  Color  115分
監督:アンドリュー・レヴィタス
製作:サム・サルカル、ジョニー・デップほか
脚本:デヴィッド・K・ケスラー、スティーヴン・ドイターズ、アンドリュー・レヴィタス、ジェイソン・フォルマン
撮影:ブノワ・ドゥローム
音楽:坂本龍一
音楽監修:バド・カー
出演:ジョニー・デップ真田広之國村隼、美波、加瀬亮浅野忠信ビル・ナイ