吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

MINAMATA―ミナマタ―

https://eiga.k-img.com/images/movie/94900/photo/ab0897dc1a14871d/640.jpg?1627525673

 1977年だったか78年だったか。京都で水俣写真展が開かれていた会場の、1枚の写真の前に釘付けになり、わたしは静かに涙を流していた。そのときわたしはおそらく怒りに震えて涙を流していたのだろう。入浴する智子さんと、彼女を抱いたまま一緒に湯船につかる母親の写真。世界を震撼させた1枚の写真だ。確かに写真が人の心を動かし、世の中を変えることはあるに違いない。この1枚がわたしにとってはそうだった。そののち、社会運動にコミットすることをわが身の生き方として選択したわたしにとって、その1枚は背中を押した写真だった。

 それから40年以上が経ち、同じ写真を見て涙を流すわたしは、もはや怒りに震えてもいないし、悲しみに閉ざされてもいない。わが子を想う母の気持ちに胸打たれているのだ。40年の月日がわたし自身を二人の息子の母にした。再び見た1枚の写真が結晶させせた慈愛に満ちた母の姿に、自らの思いを重ねていた。

 だがこの写真は劇場用パンフレットには掲載されていない。「入浴する智子と母」は被写体である智子さんのご両親によって封印され、アイリーン・スミスは20年前に「2度と新たな展示・出版には使わない」と宣言した。しかし今回、事後承諾をとったとはいえ、再びこの映画で写真を使ったことについては、智子さんのご遺族ともども複雑な心情があるようだ。

 本作については、ロケ地がセルビアなので現実の水俣に似ても似つかないとか、史実を変えすぎているとか、子役が白人なのは違和感ありすぎとか、水俣の問題を商業映画の中で消費してるだけだとか、いろいろ問題点が指摘されているが、ある程度はやむを得ないと思う。

 「ラストエンペラー」そっくりのボレロが聞こえてきた瞬間に、音楽担当が坂本龍一であったことを思い出した。使い回しやんかと苦笑すると同時に、坂本龍一節やなぁと感動もした。

 この映画で初めて水俣病のことを知った人にとっては、今も続く闘いへの関心をもってもらうきっかけとなるだろう。そういう啓蒙的な意義はある。役者たちが熱演・好演していることも評価したい。特にジョニー・デップはさすがの演技で、いつも酔っぱらっているユージーンのダメぶりと、さらにそのダメを乗り越えるプロ魂を演じて見事だった。

 だが、残念な演出もある。川本輝夫さんをモデルとする患者代表の活動家(真田広之、かっこいい!)が、会社との交渉の場面でいきなり机の上に胡坐をかいているのは解せない。あそこは迫力ある交渉の場面を描くべきであり、川本さん(映画の中ではヤマザキ)が机に乗り上げるその動的なカットを採用すべきだったのではないか。

 もう一つ残念だったのは、チッソの従業員が「悪役」としてしか登場しないこと。新日本窒素労働組合は1968年に「水俣病と何ら闘いえなかったことを恥とする」という「恥宣言」を行ったことで有名だ。このことを少しでもいいから描いてほしかったものだ。

 わたしはアイリーンさんとは何度も反原発集会や会議で出会った。幼い娘さんを連れてきていたことが印象に残っている。それはもう40年ぐらい前のことだが、最近ネットで見た彼女の写真に、あの頃の面影がそのまま残っていたことが嬉しかった。

2020
MINAMATA
アメリカ  Color  115分
監督:アンドリュー・レヴィタス
製作:サム・サルカル、ジョニー・デップほか
脚本:デヴィッド・K・ケスラー、スティーヴン・ドイターズ、アンドリュー・レヴィタス、ジェイソン・フォルマン
撮影:ブノワ・ドゥローム
音楽:坂本龍一
音楽監修:バド・カー
出演:ジョニー・デップ真田広之國村隼、美波、加瀬亮浅野忠信ビル・ナイ