吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

空白

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 これは「由宇子の天秤」と双璧をなす作品だ。わたしは「空白」のほうが好き。ラストに少しでも希望があるから。

 

<以下、あらすじをかなり書いていますので、鑑賞前に読むかたはご承知のうえでお願いします。完全ネタバレの注意は末尾に書いています>

 

 海辺の町、ゆったりとした時間が流れる様子をスローモーションで映していく巻頭の場面が印象的だ。そこではおとなしそうで気弱そうな女子中学生が堤防のそばを歩いて登校する様子が映り、やがて学校へ着いた彼女は周囲とあまり馴染めていない様子で他の生徒たちを眺めている。この導入部が最後に生きてくる。

 少女の名前は花音(かのん)という。花音は近所の小さな「スーパー青柳」で万引きし、若き店長(2代目オーナーでもある)につかまってバックヤードへと連れていかれる。次の場面では花音がスーパーから猛ダッシュで逃げ出し、青柳店長がこれまた懸命に追いかけるカットが続く。逃げきれずにつかまりそうになった瞬間に花音は道路に飛び出し、最初の車に跳ねられる。続いて後続のトラックにも。その凄絶な場面はトラウマになりそうだ。

 花音の父・添田充は腕のいい漁師だが、一人娘を亡くした父親として悲しみと怒りにくれている。もともと性格がきつくて粗暴なところがあったのだろう。彼の怒りの矛先はスーパーの店長や学校、そして花音を轢いた運転手に向かう。ほとんど言いがかりのような難癖をつけ、恐るべきクレーマーになっていく添田

 その添田の怒りに火を注ぐのが悪意をもったテレビ局の報道だ。青柳店長のインタビューを意図的にカットしてつなぎ、彼を悪者に仕立て上げていく。添田を演じるのが強面の古田新太で、添田に追い詰められるのが松坂桃李くんだから、これはもう既に古田こと添田の負けは目に見えている。やくざのような添田に「娘は万引きなんかしていない。お前こそ、痴漢をしたんじゃないのか!」と詰め寄られどなりつけられて「すみませんすみません」と声を震わせて謝罪するしかない青柳。添田の負け、というのは観客の同情心が完全に青柳に向かうという意味だ。

 添田は妻と離婚して男手一つで娘を育ててきたのだが、実はまったく娘を理解していなかった。そのことを別れた妻に指摘されても動ぜず、逆切れしていく。暴走する添田、追い詰められる青柳。さらに青柳の店のベテラン女性店員が「真人くんは悪くないから!」と正義を振りかざして青柳をかばうのがまた堪らない。この「正しい」おばさんが正論を述べれば述べるほど、青柳は追い詰められていく。

 こんな見事にドラマを設定し、人物の造形をわかりやすく練り上げ、先の読めないスリリングな展開で観客の心をざわつかせるなんて。誰が被害者なのか加害者なのか、その立ち位置は絶対的なものではなく、そしていつでも入れ替わり可能だということを鋭く示している。

 わたしはスケジュールの都合により、日本語字幕付きの上映回のを見たのだが、それが意外とよかった。普段なら気が付かない「音」も字幕で拾われているからだ。「遠くに電車の音」とか、「戸が開く音」といったト書き部分によって、画面のフレームの外から聞こえてくる音の存在に気づかされたのだ。ふだん何気なく映画を見ていたら気付かない「音」をうまく使っているではないか。

 また、カットのつなぎが絶妙にうまくて驚く場面もあるし、映画的な作り方がされている作品である。たとえば「由宇子の天秤」も傑作だったが、あれは小説でも表現できそうだ。こちらの「空白」はスローモーションや巧みなカット割りやフレーミング、といった映画らしい演出が随所で施されている。どちらの映画も役者が見事なので安心して見ていられた。片岡礼子の演技には脱帽。これは賞をもらえるね。

 本作はラストが甘いと思うのだが、その甘さが心地よかった。あのまま終わってしまったらもう映画館から出ていくときの気分が悪すぎる。それにしても人が変わるためにどれだけ多くの犠牲があったことか。

 

 さて、タイトルの「空白」について。劇場版パンフレットには別の説明があったが、わたしは花音が万引きをして店長につかまってから店を飛び出すまでの間の「空白」が気がかりだ。

 

 

 以下、完全ネタバレにつき、未見の方は読まないでください。

 

 

 

 

 

 校長がつぶやていていた、「3年前に店長に痴漢に遭った生徒がいる」という件。あの伏線は回収されたのか? やはりスーパーのバックヤードで花音と青柳の間に何があったのかは明らかにされていない。とても気になる。”実は青柳が花音にセクハラをしていた”とか、”暴力をふるった、暴言を吐いた”ということがあれば、事件の解釈は一変する。このあたりは見終わった人と語り合ってみたい。    

2021
日本  Color  107分
監督:吉田恵輔
製作:河村光庸
脚本:吉田恵輔
撮影:志田貴之
音楽:世武裕子
出演:古田新太松坂桃李田畑智子、藤原季節、趣里、伊東蒼、片岡礼子寺島しのぶ