吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

望み

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 高校生の息子が行方不明になった。と同時に、息子の周辺で殺人事件が起きる。息子は事件の加害者として逃亡しているのか、それとも被害者として殺されたのか。事件の様相がはっきりするまでの数日間、両親の心は揺れる。たとえ殺人犯でも生きていてほしいと願うのか、息子は殺人犯ではないと確信したいのか。映画を見る観客も同じようにこの「究極の選択」を迫られるようなクリティカルな作品だった。

 物語は基本的に親の視点で描かれる。建築家の父とフリー編集者の母、高校生の息子と中学3年生の娘、という一家四人が暮らす瀟洒な一戸建ては決して広くはないが、さすがに建築家の家と思わせるおしゃれな外観と内装を持つ。典型的な中流階級の一家は幸せに暮らしているかのように見えた。ある日突然息子が無断外泊するまでは。

 事件の真相を追う警察、ジャーナリスト、といった人々が一家の周辺に出没し、両親は息子がどの立ち位置にいるのかがわからず疲弊消耗する。娘は兄が殺人犯だと罵られて高校受験も危うい状況に追い込まれる。ネットでは息子を犯人扱いする書き込みがあふれ、建築家の父親の仕事は次々とキャンセルされるという経済的な危機にも陥る。たった数日のことで、幸せだった一家が奈落の底に突き落とされるというネット社会の怖さが描かれる。しかしまあ、中産階級の平和なんて所詮はそんなものだということはマルクスが200年近く前に言ってたよね? (たぶん)。

 家族の苦悩が手に取るようにわかり、子を持つ親の立場として映画を見ている自分には心に迫るものがあって目が離せない。最近の堤幸彦監督作品には「人魚の眠る家」のような、観客が映画を娯楽作として消費できない鬼気迫るものがあって、心にとげが刺さったままになる。

 巻頭と巻末が主人公一家の自宅を映すドローン撮影であるところが印象的だ。巻頭では鳥瞰からおしゃれな一戸建てに寄っていく画、巻末は逆に引いていく画である。それはどことも知れない町の風景から一軒の特定の、名前のある人々の生活へと入り込む視点から、最後は逆にその一つの家族の物語が普遍性を持っているという示唆として終わると読み取れる。(Amazonプライムビデオ)

2020
日本 Color 108分
監督:堤幸彦
原作:雫井脩介
脚本:奥寺佐渡
撮影:相馬大輔
音楽:山内達哉
主題歌:森山直太朗 『落日』
出演:堤真一石田ゆり子、岡田健史、清原果耶、加藤雅也市毛良枝松田翔太竜雷太

由宇子の天秤

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 天秤座は正義と天文の女神アストライアーが正義を測る天秤をかたどっているそうだ。この映画の主人公、ドキュメンタリーディレクターの木下由宇子の天秤もまた正義を測っているのだろうか。

 3年前に自殺した女子高校生の事件の真相を描くドキュメンタリーを製作中の由宇子は、若きディレクターだ。ネットでの誹謗中傷が女子高生の遺族を苦しめ、彼女の自殺の原因となった男性教師もまた自殺し、その遺族も同じく社会的制裁にさらされている。由宇子は、マスメディアの報道とネット社会の暴走が教師を死に追い込み、遺族を苦しめている状況を批判し、真相を暴く番組を作るのが自分の使命だと思っている。テレビ局上層部の方針と衝突しながらも、自分のやり方を通そうと正義感に燃えているのだ。

 由宇子の父は小さな学習塾を経営しており、彼女も仕事を終えた夜に塾で手伝いをしている。生徒である高校生たちから慕われている父娘であったが、ある日、思いもしなかった「事件」を父が告白することにより、由宇子は衝撃を受け、真実を追い求める彼女の信念が揺らぎ始める…。

 映画は巻頭しばらくは音声が聞き取りにくく、そのうえ全体に静かすぎる展開なので画面を見ているのが苦痛だったのだが、物語が起承転結の「承」に入るころにはもう、画面に釘付けになっている自分を発見する。社会の不正義に怒りを持ち、真実を追求する真摯な由宇子の姿に好感を持って感情移入していた観客も、彼女の父の告白にはたじろぐだろう。そこから後は、由宇子がどうするつもりなのか先が読めず画面から目が離せない。いつしか観客は由宇子とともに悩み、自分自身の良心を試されていく。

 自分の正義を疑うことのないネット住民たちへの怒りは、そのまま自らに跳ね返ってくることに由宇子は気づく。真実を明らかにすることと、自分の仕事や周囲の人々への配慮とを秤にかける由宇子。そして真相を探るほどに衝撃の事実が一つまた一つと明らかになり、さらに彼女を追い詰める。

 誰がどんな嘘をついていたのか。由宇子自身の嘘は許されるのか。思いやりや配慮という名の言い訳は通用するのか。苦悩する由宇子を静かに熱演した瀧内公美の演技と、父を演じた光石研の好演を始め、役者がみな素晴らしい。

 劇伴もなかったことに気づくラストシーン、淡々と静かにエンドクレジットが流れるのを眺めながら、観客は後を引く衝撃に身を浸すことになる。傍観者の立場にとどまることを許さない、そして加害と被害の逆転がこの社会では様々な場所で起きていることを想起させる、見事な幕引きであった。いや、幕はまだ引かれていない。果たしてこの先は。見終わった後に誰かと語り合いたくなる逸品だ。機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載したものに加筆)

2020
日本  Color  152分
監督:春本雄二郎
プロデューサー:春本雄二郎ほか
脚本:春本雄二郎
撮影:野口健
出演:瀧内公美河合優実、梅田誠弘、光石研、松浦祐也、和田光沙池田良、木村知貴、丘みつ子

浜の朝日の嘘つきどもと

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 こういう映画は面白くないという人が続出することが容易に想像できるのだが、わたしはこの物語の辻褄の合わなさも含めて面白いと思った。何よりも映画館への愛にあふれていて、こういう映画は好きだなあ。

 さて、その物語とは。福島県相馬市に実在する映画館“朝日座”の閉館をめぐって、なんとかそれを阻止したい若い女性の奮闘を描く。

 ある日突然キャリーケースを引きずって小さな映画館「朝日座」にやってきた茂木莉子(もぎりこ)は、映画館を閉じようとしてフィルムを焼いている館主に「なにをするんですか!」と駆け寄り、その手を止める。そこからは、この朝日座を絶対に閉めてはいけないと言い張る茂木莉子があの手この手でなんとか客を呼び込もうと頑張る姿が映し出される。そもそも彼女は何者なのか? なんでこんな田舎の小さな映画館にやってきたのか?

 その茂木莉子の背中を押したのは、彼女の恩師である田中茉莉子だった。映画を愛するその教師はかつて学校に馴染めない生徒だった茂木莉子にたくさんの映画を見せることによって黙って寄り添っていた。この個性あふれる田中先生の存在が何よりも光っている。

 朝日座をめぐる嘘は、映画そのものの嘘をも内包する。こんな物語、実際にはあり得ない! こんな偶然やあんな辻褄合わせやそんなとんとん拍子やら、あるもんか! そうですそうです、現実はこんなんじゃないよ、でもいじゃないの、映画なんだから! 映画の中では夢を見ましょう。この夢、わたしは楽しめたし。

 高畑充希、実にいい演技をしている。この女優さんは前から上手いと思っていたのだが、ますます感心した。

2021
日本  Color  114分
監督:タナダユキ
製作:河田卓司ほか
脚本:タナダユキ
音楽:加藤久
出演:高畑充希大久保佳代子柳家喬太郎甲本雅裕、佐野弘樹、神尾佑竹原ピストル光石研吉行和子

ミス・マルクス

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 本作を見る前に、「マルクス・エンゲルス」と「未来を花束にして」を見ておくとわかりやすいだろう。なんの予備知識もなく本作を見ると人間関係が混乱するので、マルクスエンゲルスの関係や、マルクス一家の家族構成は頭に入れておくことをお勧めする。

 かのカール・マルクスは左翼活動ゆえに故郷のドイツを追われ、フランス、ベルギーなど生涯のほとんどを外国で暮らすことなった。31歳のとき一家でイギリスに渡り、ロンドンが終生の地となった。そのイギリスでの極貧生活を支えたのが終生の親友フリードリッヒ・エンゲルスである。マルクス一家には6人の子がいたが、成人したのは3人の娘だけだった。この映画はその末っ子、エリノア・マルクスの半生を描く。

 カール・マルクスはあまりにも有名だが、その娘エリノアもまた社会主義運動の活動家であったことはあまり知られていない。というかわたしは何も知らなかった。今回この映画を見る前にマルクス一家のことをWikipediaで調べてみた。フランス語版や英語版を駆使すると、カール・マルクスの子孫の何人もが社会主義者、政治家、芸術家であることがわかって驚いた。社会主義を家業にする一家がいたのか! おそらく存命するマルクスの子孫も何らかの知的な職業についているのではないか。

 さて、映画の話に戻ろう。

 カール・マルクスが亡くなった1883年、墓前で悲しみに耐えて亡父の思い出を語るエリノアの力強い姿から映画は幕を開ける。父親譲りの聡明さをもち、アジテーションの才能があったエレノアは、父の葬儀に参列していた社会主義者で劇作家のエドワード・エイヴリングに目を止める。二人は運命的な出会いをしたのだ。やがて同棲を始めた二人は婚姻制度にとらわれることなく事実婚の関係となる。エイヴリングには若いころに結婚した妻がいたが、婚姻関係が破綻しているにもかかわらず妻が離婚に同意しないため、エイヴリングは既婚者のままエリノアと一緒になったのである。男女平等と女性の解放を求める社会主義者であったエリノアにとって、婚姻制度など意にも介さないものであったのだ。

 しかしというかやはりと言うべきか、二人の生活はその当初から暗い影がつきまとった。エイヴリングの浪費癖が生活破綻をもたらし、彼の女性遍歴がエリノアを苦しめた。貧困の撲滅を叫ぶ人間が贅沢な暮らしを好み、社会主義の理想を求める人間が女性を、妻をないがしろにしても平然としている。その言行不一致をエリノアはどのように感じていたのだろうか?

 こういう映画を見るとわたしはいつも、「奴隷解放を叫ぶ男が家の中に奴隷を飼っていることに無自覚」(大意)という駒尺喜美の言葉を思い出す。女(妻)を踏みつけにし、犠牲にしていることにまったく無頓着な社会主義者たち、それはカール・マルクスとて例外ではない。そんな姿に絶望したのだろうか、エリノアの晩年は不幸であった。

 ここに描かれた女性の姿は150年前の歴史物語ではすまない。いまに続く、まさに今こそ現代人に響くのではないか。エリノアの闘い、エリノアの苦悩、エリノアが訴えた自由で平等な社会の実現という理想は現代にもそのまま通じる。それほど今の世界は資本家の搾取が続き、日本では男女平等が遅れている。

 この映画にとって音楽は役者の一人といえるほど大きな存在である。ショパンやリストのクラシック曲も現代風にアレンジされて流れてくるし、時代劇の演出としては斬新かつ現代的なアレンジを見せている。最後はエリノアがパンクロックのビートに乗って踊りまくるクライマックスシーンも用意されている。驚きの連続だ。

 美術もみどころの一つ。貧困にあえいでいたというマルクス一家の乱雑な書斎さえも重厚な雰囲気が漂う、プロダクションデザインにはうっとり。 

 エリノアが語った社会主義の理想は単なる夢物語だったのだろうか、それとも? 「前へ!」と叫んだエリアノの遺志を継ぎたいと思うが、さりとてもはや社会主義は理想郷ではないと知ってしまった21世紀のわたしたちは、どこへ向かえばいいのだろう。それでもやっぱり「前へ!」と言う言葉をかみしめて。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載したものに加筆)

2020
MISS MARX
イタリア / ベルギー Color 107分
監督:スザンナ・ニッキャレッリ
脚本:スザンナ・ニッキャレッリ

音楽:ガット・チリエージャ・コントロ・イル・グランデ・フレッド、ダウンタウン・ボーイズ
出演:ロモーラ・ガライ、パトリック・ケネディ、ジョン・ゴードン・シンクレア、フェリシティ・モンタギュー

モロッコ、彼女たちの朝

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 女手一つで小学生の娘を育てるパン屋のアブラの店の斜め前に、大きなお腹を抱えた妊婦が座り込んでいる。その妊婦は「仕事が欲しい」と昼間、頼み込んできた女だ。夜になって野宿を始めたその姿が気になって仕方がないアブラは、彼女を渋々招き入れる。これがアブラとサミアの出会いであった。

 物語はゆっくりとしか進まない。二人の女は不機嫌そうな大きな目をしていて、何しろ顔が濃いからアップが続くと見ているほうも疲れてくる。しかし、おずおずと彼女たちが近づき始めると、表情に柔らかな光が差す。サミアがパン作りという特技を持っていることがわかったからだ。そして、頑ななアブラと悲痛な目をしているサミアの間をつなぐのが、陽気でお茶目なワルダというアブラの娘である。この絶妙な配剤の女三人の生活が始まり、やがて軌道に乗ったパン作りを通じて女たちは心と身体がほぐれていく。

 パンを発酵させる生地をこねる手つき、こねくり回されるパン生地が柔らかくて気持ちよさそうだ。器用な手つきでルジザという細麺を巻き取っていくサミアの手指の動きが艶めかしい。何とも言えない色気が漂う映画だ。

 このまま三人の生活がうまくいき、店も儲かって万々歳。なんてことにはならないのだ、だってサミアは未婚のまま、もうすぐ子どもが産まれてしまうのだもの。未婚の母への風当たりや差別のひどさは日本の比ではないだろう。2021年のジェンダーギャップ指数は日本が156か国中120位だったが、モロッコはさらに低くて144位(Wikipediaより)。ちなみに最下位はアフガニスタンだ。

 サミアは、産まれた子どもをすぐに養子に出し出産の事実を家族に隠して実家に戻るつもりだという。いよいよ陣痛が始まるときがやってくる。女たちのぶつかりあいと助け合い。ゆっくりとじわじわとおずおずと、そして最後は決然と。きれいごとではすまない様々なことが頭をめぐるラストシーン。彼女の選択は?!

 映画を見ながらわたしは息子たちを産んだときのことを思い出していた。懐かしいあの日々。最近なぜか授乳する夢を何度も見る。赤ん坊を抱いておっぱいを飲ませる幸福感や戸惑いに包まれたまま、目が覚めてからも妙な気分がずっと続く。あの感覚はなんなのだろう。もう一度赤ん坊を育てたいという願望なのだろうか。もはや二度と手に入らない日々だからこそ、大切に思える。そんな個人的な思いも刺激されつつ、映画を見終わった。女たちの行く末に希望はあるのだろうか。そう信じたい……。

2019
ADAM
ロッコ / フランス / ベルギー  Color  101分
監督:マリヤム・トゥザニ
製作:ナビール・アユーシュ
脚本:マリヤム・トゥザニ
共同脚本:ナビール・アユーシュ
撮影:ヴィルジニー・スルデー
出演:ルブナ・アザバル、ニスリン・エラディ、ドゥア・ベルハウダ

はちどり

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 青春物語をあまりにも繊細に描き過ぎたので、ものすごく退屈な映画になってしまった。これを見て喜ぶ人はほとんどシネフィルに限定されそうな気がする。わたしは全然退屈しなかったのだが、それはひとえに主人公があまりにも愛らしかったからだ。

 主人公は14歳のウニという少女。彼女は絶対的な男性優位の儒教道徳の国、韓国にあって、家族からも存在を無視される。両親の期待はひたすら長男であるウニの兄にそそがれるのだ。どんなに成績がよくても女はどうでもいい。それが韓国社会だ。時代は1994年、今よりまだまだ「遅れた」社会であった韓国のなかで、しかし急速な民主化を遂げているその社会で自我に目覚めていく少女の姿を静かに描いた。

 なんとなくわたし自身の子どものころを思い出して心が痛い。どんなに成績がよくても、どんなにリーダーシップがあっても、どんなに負けん気が強くても、女であることを親から嘆かれた身を思い出す。わたしの母はわたしを認めることなく、否定し続けた。それがわたしに親への反抗心を植え付けることになった原因だったのだと今ならわかる。そして今ならわかる、両親がとてもとてもわたしを愛していて、自慢に思っていたことを。

 余計なことは一切に口に出さなかった理性的な、しかし若いころは暴力的だった亡き父を思い出し、愚かで優しい母を思い出し、映画そのものよりもわたしの過去の傷に触れるようなそんなこんなを思い出して、うっすら涙が出る。映画についてはたぶん見る人によって全然評価が異なると思える、そんな作品だった。(レンタルDVD)

2018
韓国 / アメリカ Color 138分
監督:キム・ボラ
脚本:キム・ボラ
撮影:カン・グクヒョン
出演:パク・ジフ、キム・セビョク、チョン・インギ、イ・スンヨン、キル・ヘヨン、パク・スヨン

 

クライシス

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 劇場未公開作。確かに地味だし、構成がわかりにくいのでそうなったのかもしれないし、コロナ禍のせいかもしれないが、見ごたえのある社会派作品なので映画館でかからなかったのは残念だ。

 本作はアメリカで現在、大問題になっている鎮痛剤オピオノイド中毒問題を扱い、製薬会社・大学・政府機関の癒着を鋭く追及するサスペンスである。

 巻頭、美しい冬山が映る。映像があまりにもきれいなので感動したら、これはBlu-rayディスクであった。この場面はアメリカ・カナダ国境の森林地帯である。ここで麻薬密輸人が逮捕されたことから物語が動き始める(この場面で、2009年1月にミシガン州に出張したことを思い出した。デトロイトの街からカナダはすぐ目の前だった)。

 しかしこの後、3人の群像劇となる各パートのつながりがよろしくない。ドラッグの大量摂取で「事故死」した大学生の母クレアが一人で真相を探り麻薬組織に立ち向かおうとする復讐パート、麻薬組織に潜入捜査官として入り込むジェイクのアクションパート、オピオノイド新薬の依存症率の高さを知って薬害を事前阻止しようとする大学教授タイロンの良心パート。役者がいずれも大変いい演技を見せていて、もちろんゲイリー・オールドマンは職人芸だから当然としても、アーミー・ハマーも自分の妹がオピオノイド依存症で廃人寸前であることが彼の正義感を燃え立たせていることを観客に強く納得させる、よい演技をしている。クレア役のエヴァンジェリン・リリーはあまり見かけない女優だが…と思ったら、「アベンジャーズ エンドゲーム」に出ていたのであった。まったく印象が異なるからわからなかった。

 さて、つながりがよろしくないと書いたが、けっこう手に汗握るスリルのある展開となっていく。教授タイロンは良心に苛まれて製薬会社と大学に事態の深刻さを直訴するが、逆に大学での終身雇用の地位を剥奪すると脅迫されてしまう(テニュアですな)など、「科学者としての良心と安定した地位」とを秤にかける身につまされる場面もあり、見ごたえはある。

 こういう3つのパートに分かれた物語だと、最後にうまくこれらが絡まりあって大団円を迎える爽快さがあるはずなのだが、本作はそこが弱い。

 全編にわたってなかなか緊迫感に満ちており、さらに最後の結末も現実の厳しさを反映していて、どっちが「勝った」と言えない微妙な終わり方である点にはうならされる。最後にテロップが流れる。「毎年10万人がオピオノイド中毒で死亡する。アメリカ国内では過去2年間にベトナム戦争の戦死者よりも多く人が亡くなった」と。よい映画だ。(レンタルBlu-ray

2021
CRISIS
アメリカ  119分
監督:ニコラス・ジャレッキー
製作:カシアン・エルウィズ、ニコラス・ジャレッキー
脚本:ニコラス・ジャレッキー
撮影:ニコラ・ボルデュク
音楽:ラファエル・リード
出演:ゲイリー・オールドマンアーミー・ハマーエヴァンジェリン・リリーグレッグ・キニアミシェル・ロドリゲス、リリー=ローズ・デップ