本作は、2016年に起きた障害者施設での大量殺人事件を題材にした辺見庸の小説の映画化作品。原作は小説でしかなしえない表現で重度障害者の意識の流れを複数人の一人称でつづっていく意欲作だが、映画ではその構成を大胆に変えて、具体的なストーリーを組み、映像や音楽、そして役者の演技力によって、見る者の懐に刃を突き付けるような緊迫感をもたらしている。
多くの人の記憶に残っているであろう、かの事件は、その施設で働いていた元従業員の若い男性が起こしたものだった。彼がどのようにして犯行にいたるのか、映画は「さとくん」と呼ばれる好青年が恐るべき決断を下すまでを、新たにアルバイト職員としてやってきた主人公・堂島洋子とのかかわりを通して描いていく。
堂島洋子は42歳、かつては有名作家だったが、作品を書けなくなってしまったため、森の奥深くにひっそりと佇む障害者施設で働くことになった。彼女の夫は優しい人だが、夢を追いながらもその夢で食べていくことはできず、これまたアルバイトで糊口をしのいでいる。二人は時に傷つけあいながらも慎ましく暮らしていた。
洋子が勤め始めた施設では職員による入所者への虐待が日常化し、彼女は何度か職員たちに抗議の声を上げていたが、無視され続けていた。洋子は自分と生年月日が全く同じ入所者の「きーちゃん」と呼ばれる女性に関心を寄せ、四肢が動かず意志の疎通ができないきーちゃんの介護を熱心に行っていた。
洋子がここで親しくなったのは、さとくん以外には若い女性の陽子だ。陽子は作家を目指していて、この施設での仕事に対する絶望感を吐露したり、酔っぱらって洋子の作品を辛辣に批判したり、何かと精神的に落ち着かない。さとくんは日々、施設の現状に不満と怒りを募らせていき、障害者たちが抹殺されるべき存在であるという考えを洋子にぶつけるようになる。
作品のテーマは重い。音楽も重厚で悲哀に満ちて美しく、施設へと続く森は暗く禍々しい景色を見せている。主人公洋子とその夫は幼子を亡くした悲しみを共有しながらも、立ち直れないでいる。葛藤を抱えた登場人物たちはそれぞれの苦悩をぶつけ合い、批判しあい、言葉で相手を刺し、映画を見る者の心も刺していく。
「心がない人は人間じゃない」のか? 心がないってどうして断定できるのか。障害者はかわいそうだし、生まれないほうがよかったのか? 「国の負担になるだけ」なのか? いくつもの問いが、いや詰問が、この映画の観客に迫ってくる。障害者を殺すのはやりすぎだというなら、出生前診断で胎児が障害児であることが判明した妊婦は97パーセントが中絶するという事実をどう考えるのか。作家は障害や災害をネタに利用するだけなのか?
実際に知的障害をもつ人たちが何人も入所者として出演しており、作品にリアリティを与えている。主要な役者4人の演技も素晴らしく、とりわけ夫役のオダギリジョーの好演が光彩を放っている。洋子役の宮沢りえが攻めの演技を見せれば、それを受け止める彼の演技は深いまなざしに満ちた静的なものでありながら手に汗握るような緊張感を醸し出す。実に見事だ。
ラスト、その事件がついに起きる場面では、カットバックで洋子たちの「ある決断」が挿入される。この切り返しの演出が素晴らしく、この映画では石井裕也監督の力量が存分に見せつけられるカットが多い。ラストシーンは絶望なのか、希望への小さな光が見えたのか、どちらだろう。宙づりのその先へ。
2023
日本 Color 144分
監督:石井裕也
製作:伊達百合、竹内力
企画:河村光庸
原作:辺見庸 『月』(角川文庫刊)
脚本:石井裕也
撮影:鎌苅洋一
音楽:岩代太郎
出演:宮沢りえ、磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子、高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョー