吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

タロウのバカ

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 暴力、血、隔離された知的障がい者たち、叫び、暴力、育児放棄援助交際、暴力、貧困、イジメ、血、排除。こんなマイナスのエネルギーが横溢する怪作が登場した。樹木希林の遺作「日日是好日」の大ヒットで注目を集める大森立嗣監督の最新作である。大森監督には菅田将暉の才能をいかんなく発揮した「セトウツミ」という佳作がある。高校生二人がどうでもいい無内容な会話を大阪弁でダラダラとしゃべる退屈な日常。ただそれだけの映画なのに、とてつもなく面白かった。そして満を持して製作したという「タロウのバカ」はその対極にある。非日常的な日常を生きる男子高校生二人と、国家と社会から存在を無視されている中学生ぐらいの少年が河原で出会い、仲間になる。少年には名前がないから、「タロウ」だと、エージとスギオに呼ばれている。物語は菅田将暉が演じるこのエージの独白とともに進む。

 「小さな社会」からネグレクトされ排除された若者たちの無軌道物語、というのは古今東西いくらでもある。だから本作のそんな一つと言えるが、リアリズムを追求するかファンタジーへと寄るか、いずれかに収斂しそうなところをこの映画はどちらにも傾かず、そのあわいをいく。

 まずは巻頭のシーンからして異様だ。廃墟のようなビルの一室、いくつもの鉄の扉の鍵を開けた先には病院の大部屋のような「ホール」があり、そこには10数人の障害者が隔離拘束されている。この部屋でおきた血なまぐさい事件が物語の始まりだった。観客は三年前に相模原市で起きた事件を思い出すだろう。ヤクザまがいの男たちが福祉を食い物にする現場の禍々しさを見せつけられた観客の胸には、不穏な予感がよぎる。冥界からの呼び声のようなシタールの音色がまた不気味さを増す。

 不思議なことに、次々と事件が起きるにもかかわらず、映画には警察が登場しない。事件を報道するマスコミの姿も映らない。そう、彼らは徹頭徹尾、社会から不可視な存在なのだ。柔道で推薦入学したのに膝の故障で退部したエージは学校から放逐されかかっている。その友達のスギオは気が弱く、まだこの社会の片隅にしがみつこうとする心根が残っているが、密かに売春している同級生洋子に惹かれるという望みのない恋に身を焦がしている。タロウはシングルマザーの母親から完全にネグレクトされて学校に行ったこともない。正確な年齢も不明だ。

 そんな少年たちが都会の辺境である河原で出会う。そこにはまた、ダウン症の十代のカップルが毎日遊んでいる。タロウをこの世界に繋ぎとめてくれる「ともだち」はエージとスギオとダウン症の彼らだけ。

 世の中から存在を疎まれ、脱落し、無視されている彼らにとって生きるすべはなんだったのだろう。若さの暴走はただひたすら死の香りを発散させていく。タロウが主人公のこの映画は、実はエージこそがすべてを牽引していたのだ。彼がもたらす死の匂いにスギオもタロウも惹かれたのだろう。彼らが偶然手に入れた本物のピストルが象徴的に表すものは「死」だ。このおもちゃを最後まで三人は手放さない。それを手放したとき、光が見えてくるのだろうか? 答えの見えないよるべなき世界を若者は今日も生きていかねばならない。答えのひとつは「つながること」、「叫ぶこと」。感情を爆発させ、叫びのエネルギーを何に変えていこうか。

 賛否両論毀誉褒貶が渦巻きそうな作品だ。好悪はともかく、今年必見作の一つということだけは言える。

 ところで、この映画のロケ地に国士舘大学の道場が使われていて、エージが柔道部の部員たちに痛めつけられるシーンでは、わが親友の甥が映っている。その他大勢の一人で、エージに向けてヤイヤイと何やら罵倒する言葉をかけているのだが、撮影時に大森監督から、「そこの君、標準語でしゃべってくれるか」と言われたそうだ。どんだけ大阪弁丸出しやったんやろ? 笑った。

2019
日本、119分
監督・脚本・編集:大森立嗣
音楽:大友良英
出演:YOSHI、菅田将暉太賀、奥野瑛太植田紗々豊田エリー國村隼