吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ノクターナル・アニマルズ

f:id:ginyu:20190429110235p:plain

 巻頭いきなりの全裸肥満女のダンスに度肝を抜かれる。この瞬間にこの映画の禍々しさが象徴されていて、これから始まる映画の重苦しさと苦みを観客に覚悟させる。さあ、始まるわよこれから修羅場が! しかし実際には修羅場ではなく、劇中劇が始まるのである。
 主人公は厚化粧のギャラリーオーナー、スーザン(ポスターを見たとき、てっきりジェシカ・チャスティンかと思ったけどエイミー・アダムズだった)。成功した実業家であり豪勢な家に住む彼女は超美形夫(アーミー・ハマーですよ!!)との生活も倦怠期に入っていて、心が荒む。夫の裏切りを知ってしまったスーザンの元に突然、20年前に別れた前夫から小説の校正刷り(とはいえ立派に簡易製本されている)が届く。『ノクターナル・アニマルズ』(夜の獣たち)と題され、「スーザンに捧ぐ」という献辞のあるその小説を思わず読み始めたスーザンは、その凄惨な内容に心をつかまれていく。
 という物語は前編のうち3分の2ぐらいがその劇中劇である小説の内容を再現する。これは面白い試みで、小説として表現されている作品を読む女の脳内が映像で示されるわけで、小説の中の主人公の姿はスーザンにとっては別れた夫エドワードそのものである。
 この小説が恐怖に満ちた内容なので見ているほうも恐ろしさに震えあがる。しかもその話が盛り上がった瞬間に思わずスーザンが身を縮ませたり本を閉じたりして「現実」に戻る。さらにスーザンはエドワードとの結婚生活を思い出す。つまり、この映画は「小説」「現在」「過去」の三つの部分から成り立ち、しかもその場面の切り替えが絶妙にうまい。トム・フォード監督の才能をうかがわせる構成と演出だ。原作小説がよくできているからだろう。
 トム・フォードはデザイナーとして名を馳せた人物だけあって、美術へのこだわりにうならされる。エイミー・アダムズの化粧と服装、彼女のオフィスのデザイン、現代アートの不気味な作品、それぞれが計算されつくしていて美しい。
 ラストシーンはどう解釈すべきだろうか。元夫は何のためにこの後味の悪い小説を送ってきたのか? わたしはずいぶん深読みをしてしまったのだが、解釈は観客に委ねられている。よくできた作品だとは思うが、二度見たいとは思わない後味の悪さが尾を引く。(Amazonプライムビデオ) 
(2016)
NOCTURNAL ANIMALS
116分、アメリ
監督・脚本:トム・フォード
原作:オースティン・ライトミステリ原稿』/『ノクターナル・アニマルズ』(早川書房刊)、撮影:シーマス・マッガーヴェイ、音楽:アベル・コジェニオウスキ