吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

寝ても覚めても

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 雷に打たれたように恋に落ちる瞬間を奇跡のようにとらえた写真がもしあったとしたら、それがこの映画だ。
 長い長い夢から覚める瞬間に、後ろを振り返ることもなく駆けだしてそのまま地球を半周するような非現実的な物語、それがこの映画だ。

 わが息子Y太郎(27歳)がぜひとも見るようにとしつこく勧めてきたので、それならまあと思って見てみたら。これは本当に拾い物のような映画だった。原作が素晴らしいのだろう、その力も大きいと思うのだが、それ以上に映画的には原作でぼかされていた部分を見せてしまうから、インパクトが大きい。瓜二つの男を愛して二人の間で揺れる女、という設定が、原作小説では瓜二つかどうかが判然としないことになっている(らしい)のだが、映画では東出昌大が二役で演じているからまったく同じ顔である。同じ外見の別人に女は二度恋する。果たして彼女が愛しているのはどちらの「彼」なのか?

 バク(麦)という名前の、とらえどころのない不思議な男が突然失踪して2年が過ぎた。恋人だった朝子は今は大阪から東京に引っ越してきて喫茶店で働いている。そんな朝子がある日出会ったサラリーマンは大阪弁をしゃべる亮平。バクとあまりにもそっくりなその姿に打たれた朝子は「バク…?」と口走る。亮平もまた一目会った日から朝子に何かを感じたらしく、二人は徐々に距離を縮めていく。

 ここまでの設定がまず普通はありえない作り話だと観客は感じる。ところが、このあまりにも不自然で非現実的な設定をかくもリアリティに溢れた作品に仕上げたのが濱口竜介監督である。朝子の正面からのバストカットが多用され、観客は朝子の衝撃も朝子の戸惑いも朝子の決意もストレートに受け止めることになる。そして、セリフの間合いや発声、会話の重ね方、感情の爆発、すべてが素晴らしいタイミングで畳みかけるように演出されていく。

 この物語は朝子とバクの出会いから10年近い時を描く。その間、朝子は成長したのかどうか。2010年発表の原作には当然登場しない東日本大震災がこの映画では大きな位置を占める。ある日突然人がいなくなる。ある日突然家が流される。ある日突然すべての生活が一変する。昨日までの生活が明日も続く保証はどこにもないということを知らしめる突然の災厄は、たとえ被災者でなくても人生観を変えられてしまうような大きな衝撃であり、重りである。この災害を東京で経験した朝子は、ここで人生が変わる。

 そしてもう一度大きな転機が訪れる。亮平との穏やかな生活が続いていくかに思われたある日、バクが現れたのだ。

 という先の見えない展開にどんどんつかまれていく。「寝ても覚めても」っていうのは何の含意なのかほのめかしなのかと勘繰りながら見ていて、しかも重要なモチーフに双子の写真展が挿入されていたりと、いろいろな場面に思わせぶりが仕込んであるため、画面から目が離せない。朝子の大人しそうな顔と雰囲気からはとても考えられないようことが次々と起きて、ますます観客は振り回される。

 東出昌大がずいぶんうまくなっていて、いい役者に成長しているのが嬉しい。唐田えりかの素人くさい演技がこの映画の場合は奏功していて、内面がうかがい知れないミステリアスな雰囲気を見せてくれている。

 震災も病気も事故も、いつどこで誰の身に起きるかわからない。それでも人生は続いていく。地獄で笑いながら、天国で泣きながら、人は生きていく。この人たちの人生にはこれからどんな地獄が待っているのか、それとも地獄すら昇華して愛は続いていくのか。切なさと諦観とに彩られたラストシーンに呆然としつつ幸福感満ちて劇場を後にできる映画、それがこの作品。