吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

ノー・エスケープ 自由への国境

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 ただ逃げる、ひたすら逃げる、逃げる逃げる逃げる、また逃げる。という逃走劇。わたしは映画を見ながら「エッセンシャル・キリング」(イエジー・スコリモフスキ監督)を思い出していた。
 トランプのような男が大統領になる時代にはこのような物語も絵空事とは思えなくなる。現に、アメリカ国境近くには自警団なるものが存在していることは既に「カルテル・ランド」でも描かれていた。そして「ノー・エスケープ」はドキュメンタリーではなくフィクションとはいえ、今まさに起きていることをヒントにしているだろうと思わせる怖さがある。メキシコから国境を越えて不法入国してくる人々を一人また一人と殺していく恐るべき白人男性は「ここは俺の国だ」と大声で一人つぶやく。その容貌は極めて知的で、むしろかっこいいおじさんである。彼なりの正義感に駆られてこのような狂気の沙汰を演じているのだろう。演じたジェフリー・ディーン・モーガンはテレビドラマで人気が出た役者らしいが、10年ぐらい前の写真と比べて今作でのほうが痩せて渋くなっている。とてもいい感じだ。
 主人公であるガエルくんたち一行はトラックで国境の砂漠地帯を超えた。しかし、トラックがエンストしたために下車して砂漠を歩くことになる。サハラ砂漠とは違って砂丘が広がるのではなく、ここは凹凸の激しい丘陵地帯で、サボテンも生えている。本作にとって大きな「登場人物」はこの地形以外のなにものでもない。原題の「DESIERTO(砂漠)」という巨大なタイトルが空一杯に浮かび上がる巻頭とラストシーンの異形には圧倒された。タイトル文字そのものに圧倒される映画も珍しい。それほど、人を寄せ付けない砂漠の絶望が押し寄せてくる画面なのだ。しかし、恐ろしいのは砂漠ではなく人間だったということがやがてわかる。
 15人のメキシコ人グループが一人ずつ殺されていく様の戦慄は筆舌に尽くしがたい。人間狩りの醍醐味にひたるハンターの冷静な腕前には舌を巻く。その才能をほかに生かしたらどうよ。
 「エッセンシャル・キリング」と違って本作では主人公たちはひたすら逃げるのみで、誰かを殺すわけではない。一方的に被害者であるわけだ。そこが深みのない点でもあるのだが、非常に単純な設定ゆえに、また短い上映時間ゆえに、最後まで緊張が途切れない。逃げまくる主人公、追いかけるハンター。この追いつ追われつの物語の中に政治が入り込む余地はない。余地はないが、いつしかこの排外主義者の拠って立つものが見えてくるという作りになっている。と言いたいが、残念ながらそこまで説得力のある話でもない。
 こういう映画は映画館で見るべきだろう。喉が渇き、逃げ場所のない恐怖に冷や汗を滴らせ、岩山を駆け上る疲労に息を切らせる。なぜここまでして国境を越えてきたのだろう。自由の国アメリカには何が待っているというのか。考えさせられることは多いのだが、考える余裕がないうちに映画は終わってしまった。しかし、物語は終わらない。

DESIERTO
88分、メキシコ/フランス、2015

監督:ホナス・キュアロン、製作:ホナス・キュアロン、アルフォンソ・キュアロン、カルロス・キュアロンほか、脚本:ホナス・キュアロン、マテオ・ガルシア、撮影:ダミアン・ガルシア、音楽:ウッドキッド
出演:ガエル・ガルシア・ベルナルジェフリー・ディーン・モーガン、アロンドラ・イダルゴ