ネルーダといえば名作「イル・ポスティーノ」の印象しかないのだが、本作のネルーダはイル・ポスティーノとはかなりイメージが違って、我儘で好色な親爺という面が強く出ている。むしろそこしか印象に残らないという悪弊もあるかも。
演出そのものが詩のように断片的で、容易に時空間をジャンプする編集はヌーベルバーグのようでもある。主人公はネルーダなのだが、彼はひたすら逃亡するばかりで、追いかける警官ベルナル・ペルショノーの独白で物語は導かれる。ペルショノーをガエルくんが演じていたとは予備知識がなかったので若干驚いた。若者の域を超えてすでに中年の貫禄が出来つつあるではないか。なんと、来年は40歳か。いつまでも若いと思っていたら、ガエルくんもとうとうおじさんの年齢になってしまいました。
閑話休題。
して、ネルーダは1948年にチリ政権が共産党を弾圧し非合法化したために、地下に潜行し、国外脱出を目論む。しかし妻と共に逃げたのはいいけれど、国境を越えることができず、ぐずぐずとチリ国内にとどまることとなる。ネルーダの妻は美しきアルゼンチン貴族。彼女の財産のおかげでネルーダは裕福に暮らし、逃亡生活中も贅沢三昧で女遊びも止めない。しかし相変わらず国民の人気は高い。なぜネルーダの詩がそんなに人気があるのかさっぱりわからないのだが、わたしがわからないだけではなくて、ネルーダを付け狙う警官ペルショノーもひたすらネルーダを非難し続けるものだから、ネルーダって小物じゃないの、と当方まで思い始める始末。この映画はいったいどうしたかったのか、ネルーダ礼賛映画じゃないことだけは確かだけれど、彼を”憎めない俗物”として描くことによって新たな魅力を見せたかったのかもしれないが、ネルーダをよく知らない日本人にまでこんな映画を見せたらあかんやんか(笑)。
幻想的な演出と相まって、ペルショノーくんの追跡もだんだん神がかった感じになって来る。逃げるネルーダはほとんど人をおちょくっているとしか思えない爆笑シーンもあり、なかなか見どころがあるのだが、途中で眠くなってわたしは少々寝てしまいました。
最後に雪山の追走劇となるシーンは美しく、追う者と追われる者との不思議な共犯・共存関係が印象深い。
NERUDA
108分、チリ/アルゼンチン/フランス/スペイン、2016
監督:パブロ・ラライン、撮影:セルヒオ・アームストロング、音楽:フェデリコ・フシド
出演:ルイス・ニェッコ、ガエル・ガルシア・ベルナル、メルセデス・モラーン