午後5時の鐘が鳴り響く大都会、11分後にはある惨劇が起きるのだが、そこに至るまでの11分を群像劇で織り上げていく、斬新な作品。
だれが主人公なのかは最後にわかるのだが、次々といろんな人々が登場するため、いったい何がどうなっているのやらわかりにくくて困る。何よりも、人物の顔の見分けがつきにくい。馴染みのある役者が登場しないため、誰と誰がどうなっていたのかわからなくて困った。これ、2回見たら理解できるのかもしれない。
新作のオーディションに向かう豊満美女の女優が、下心丸出しの監督が宿泊している豪華ホテルの部屋にやってくる。これがそもそもミソだったんだ、ということが最後の最後にわかるのだが、そういうことを全然知らなくて見たら、群像たちの役回りが不明でイライラさせられるかもしれない。
ただ、同じ場面を違う角度から見るとまた違った見方ができるというところは面白い。「桐島部活やめるってよ」と同じ撮り方をしている部分があるのだ。いろんな人物がなんのまとまりもなく登場しては消え、消えてはまた現れる。そして時計は着実に針を進めて、運命の5時11分に近づく。
なんといっても圧巻はラストシーン。ストップモーションで見せたこの惨劇はどのように撮影したのかと首をひねるほど、計算されつくしている。これをしたかったのか、スコリモフスキ監督。このシチュエーションドラマは、人間の運命の不思議を感じさせる作品であり、ひょっとしたらこれって仏教思想が根っこにあるんじゃないかと思える。そう、「縁」とか「因果応報」とか。
この映画が、強烈な惨劇を描いているからインパクトが大きいが、わたしたちの人生にはこれよりはるかに規模の小さな「嵐」や「風」が吹いてくることがある。なんの因果でか人と人が出会うこともあり、一目合ったその日から何かが始まることもあり、偶然のからまりが事故を引き起こすこともある。
たとえば大地震が起きる11分前の出来事をこの映画のように描くことも可能だろう。11分後に大災害が起きることを誰も知らない、その日常の世界を。原爆投下が明日に迫っていることを知らない人々を描いた黒木和雄の「Tomorrow 明日」という作品もあった。だが、そういったものとは一味違うのは、この映画で起きる惨劇はどれか一つのコマが違ってもこの事件が起きない、という点だ。ありとあらゆる登場人物がたった一点の「発火点」に遭遇する、その場に居合わせる、そのことがドミノ倒しを引き起こす。
不気味に雰囲気を盛り上げる音楽に恐怖を募らせながら、ある意味爽快でもあるラストの臨界へ向けて、さあ、飛びこもう映像世界へ!
製作・監督・脚本:イエジー・スコリモフスキ、製作:エヴァ・ピャスコフスカ、音楽:パヴェウ・ミキェティン
出演:リチャード・ドーマー、パウリナ・ハプコ、ヴォイチェフ・メツファルドフスキ、アンジェイ・ヒラ、ダヴィッド・オグロドニック、アガタ・ブゼク、ピョートル・グロヴァツキ、ヤン・ノヴィツキ、アンナ・マリア・ブチェク、ウカシュ・シコラ