吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ボーダーライン

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 「灼熱の魂」「プリズナーズ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作。テンションの高い作品を作る人だから、この「ボーダーライン」もやはり随所に謎をちりばめ嘘をばらまき、主人公と観客をまどわせる。

 

 アメリカ合衆国とメキシコの国境で繰り広げられる麻薬戦争の渦中に放り込まれたFBI捜査官のケイト・メイサーが主人公。彼女が海千山千のおじさん上司たちに囲まれ、痛い目に遭って自らの未熟さを悟らされるという設定は、ひと昔前の映画なら大学を出たばかりの青二才に与えられたはずだが、今ではその役を女性が引き受ける。わたしの友人の一人は、ミソジニーを感じていやだったと言っていたが、わたしはそれは感じなかった。確かにケイトは叩きのめされ、羽交い絞めにされ、上司たちや男たちから軽く扱われたり侮辱されたり、屈辱的な目に遭う。それは男女機会均等的に、若い男も女も等しく上司のパワハラに遭う、ということではなかろうか。女だからといって容赦されない地獄の最前線、ということか。とはいえ、やはり女という「性」が弱点となってケイトは危機に陥る。 

 話を急ぐ前にケイトに課せられた仕事を説明しよう。ケイトはある日突然上司に呼ばれて、秘密の特殊任務の一員にスカウトされる。一緒に働く相手はFBIを名乗ったりコンサルタントを名乗ってはいるが、正体不明の男たち。正義感溢れるケイトは麻薬カルテルを撲滅させる仕事と聞いて、迷わず志願する。だが、一向に作戦の詳細を知らされないケイトには次第に疑心暗鬼がもたげてくる。観客はケイトの目線で成り行きを見ているから、わたしもこれがいったい何の作戦なのかはわからない。わかるのはただ、メキシコに入った特殊部隊たちが目にする、犯罪の町のすさまじさだ。高架につるされた死体、頭部だけがさらし首になっている遺体、銃撃戦の音。荒れた町の様子がゆっくりと映し出されると、心底ぞっとする。これからケイトたちは国境(ボーダーライン)を越えて、善悪の境界(ボーダーライン)の判然としない世界へと入っていくのだ。悪のカルテルを撲滅するためには手段を選ばない。そんな麻薬戦争の最前線に飛び込んでいくケイトとともに、観客も命をすり減らす思いを共有する。

 ベニチオ・デル・トロは元検事という自己紹介で登場するが、一目見た瞬間、やくざの親分にしか見えない怪しい風体。ジョシュ・ブローリンは特殊部隊のリーダーだが、彼こそカルテルの親分じゃないのかと思える面構え。そんな連中と一緒にメキシコに入るなり、犯罪組織の襲撃に遭って特別部隊は猛烈な反撃を加えることとなる。カルテル撲滅のためには民間人の犠牲もいとわない。ためらいもなく銃をぶっ放し、違法捜査も拷問も厭わないやり方に猛然と反発するケイトだったが、彼女はやがて無力感に打ちのめされる事態に直面する。

 残虐の限りを尽くす犯罪集団を壊滅させるには、目には目を歯に歯を以て当たるしかないのか。法と正義はどこにある。ケイトの絶望感は深い。

SICARIO
121分、アメリカ、2015
監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ、製作: ベイジル・イヴァニクほか、脚本: テイラー・シェリダン、撮影: ロジャー・ディーキンス、音楽: ヨハン・ヨハンソン
出演: エミリー・ブラントベニチオ・デル・トロジョシュ・ブローリン