吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

大鹿村騒動記

 20歳の息子Y太郎と一緒に鑑賞。

 役者の演技を堪能する映画。原田芳雄は「竜馬暗殺」(感想はhttp://www.eonet.ne.jp/~ginyu/050108.htm)のときと基本的に変わっていない。とても病人とは思えない元気溌剌の演技はさすがのプロ根性と言えようか。2週間の早撮りだったという撮影も、こういう映画なら監督は楽だよな、と思わせる出来。いや、果たして楽できていいのか悪いのか、とにかく役者たちがアドリブで好き放題演(や)っているということが波状攻撃で伝わってくるような楽しい映画だ。

 原田芳雄が長年やりたかったという、長野県大鹿村の300年の伝統を持つ歌舞伎を題材にした映画、これを遺作とできたことは役者冥利に尽きるだろう。映画の中で本物の俳優たちが演じる歌舞伎を見るエキストラたちは本物の村民であり、そのノリの良さにも感動する。



 ストーリーは、18年前に駆け落ちした妻と幼馴染がある日突然村に帰ってくる、というところから始まるどたばたコメディ。妻は認知症に罹って駆け落ちしたことすら忘れている。「善ちゃん、たかちゃんは、駆け落ちしたことすら忘れてるんだ。オレのこと、善さんって呼ぶんだ。だから、返す。たかちゃんを返す」という、善さんの親友オサムちゃん。善さんが原田芳雄で、オサムちゃんが岸部一徳。二人とも掛け合いが絶妙すぎて笑っていいのか感心していいのか、こういう芸風は天性のものなのだろうか。物語全体はこの三角関係を軸に、東京からやってきた謎の若者(冨浦智嗣)や役場の総務課女子(松たか子)、バスの運転手(佐藤浩一)、シベリア抑留帰りの老人(三国連太郎)などの群像劇だ。

 善さんは鹿料理を供する食堂の主人。店の名前が「ディア・イーター」というのが笑える。ところが、この映画を見にきていた観客はみなとても反応がよくてやたら笑うのに、「ディア・イーター」という看板を見てちっとも笑わない。後でY太郎が「他の観客と笑いのツボが違うからがっくりきた。なんで『ディア・イーター』で笑わへんねん?!」と大いに不満であった点、わたしも首肯。 

 物語の発端となる日から数日後には村伝統の歌舞伎の舞台がある。ところが、いろいろあって女形が出演できなくなり、また一方、妻たかこの突然の帰宅により振り回される善さんも「オレ、出演するの止める」と言い出し、村歌舞伎は大変な危機に見舞われる。果たして上演は可能なのか?!という波乱の物語だが、それはそこ、当然にもそういう波乱があってその後は、という起承転結をわきまえた物語展開となる。これといって予想外のことが起きるわけでもなくスイスイと話が進み、クライマックスは華麗なる歌舞伎の舞台。源平合戦が終わった後の時代を描く歌舞伎『六千両後日文章 重忠館の段』は、大鹿村でしか上演されていないという。絢爛豪華な衣装と派手な化粧で大見得を切る原田芳雄たち役者が歌舞伎を存分に楽しんでいる様子を観客もまた楽しむ。

 東京からやってきた謎の若者の存在が映画全体の中で妙に浮いているのだが、彼の「秘密」が明らかになる場面など、なぜこういう設定にしたのか、理解に苦しむ。認知症のたかこといい、この若者といい、困難を抱えた登場人物が何人もいるのに物語は明るく楽しい、というところが魅力的に思えるかどうかでこの映画の評価が分かれそうだ。

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93分,日本,2011
監督:阪本順治,原案:延江浩,脚本:荒井晴彦,阪本順治
出演:原田芳雄大楠道代岸部一徳松たか子、佐藤浩市、冨浦智嗣、瑛太、石橋蓮司小野武彦小倉一郎、でんでん、加藤虎ノ介三國連太郎