吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

最後の忠臣蔵

 16年後の「忠臣蔵」を描く。


 今年は時代劇の一年だった。その締めくくりの一作には大いに泣かされた。あんまり泣いたので、帰りの車の運転に支障が出るほどだった。
 

 赤穂浪士の討ち入り前夜に命惜しさに逐電したと思われていた瀬尾孫左衛門(役所広司)は、密かに大石内蔵助の隠し子可音(かね・桜庭ななみ)を育てていた。一方、討ち入りを果たした直後に大石の命を受けて吉良邸を去った寺坂吉右衛門(佐藤浩市)は、討ち入りの遺族を訪ね歩く旅を16年続けていた。映画の中では、この二人が出会うまでに時間がかかっている。また、孫左衛門と可音の関係もなかなか明らかにされない。観客は最初から孫左衛門と可音の関係を知っているので、全然秘密でもサスペンスでもないのだが、孫左衛門がなかなか真相を明かさないので、観客は自分が知っている事実を知らされないために、じりじりさせられる。こういう心理状態はおかしなものだ。観客はみな真相を知っているのに、映画の登場人物たちは知らない。超越的存在としてある観客は、いかにしてこの真相が孫左から語られるのかと固唾を呑んで待っているのである。

 忠臣蔵は日本人が大好きな演目であり、この映画もそのストーリーを観客が知悉していることを前提に作られている。そうでなければ、とても簡単に感情移入できるような内容ではない。話は極端に刈りとられ、なんの説明もなく赤穂浪士討ち入り事件が語られる。浅野内匠頭切腹から吉良邸討ち入りまでの1年9ヶ月を赤穂浪士たちがどのように耐えたのか、討ち入り後に生き残った浪士たちがどのような苦難に耐えたのか、ほんのわずかな台詞ですべて理解してしまうような「日本的演劇心性」を土台にしてこの種の作品は作られている。

 かくいうわたしも忠臣蔵は大好きで、これまで何度も何度も何度も同じ話を繰り返し見続けているのである。なぜ忠臣蔵が好きかと言えば、それはズバリ、「武士の心性」に共感するからだろう。人情よりも義理を重んじ、大義のためには命を落とすこともいとわない、その歴史的心性にわたしも共感するからだ。これは、古くは武士道倫理に通じ、新しくは天皇制国家への忠誠心に通じ、戦後は安保闘争に玉砕したブント魂に通じ、三池争議のホッパー決戦に水杯を交わして遺書をしたためた労働組合員の気概に通じる。彼らは私利私欲のためではなく、大義のために命を賭した。他者のために自己を犠牲にできる精神の持ち主であった。

 で、実はこういう倫理観は好きなのだがあまりよくないだろう、と思っている。思っているが、どうしてもこういうものが美しいと思ってしまう否定できない心性が自分の中にあり、同時に、唾棄すべきと思うネガティブな感情があるのも事実だ。だから忠臣蔵に接するときのわたしの感情は極めて複雑であるが、そういうややこしい想いとは別に、この作品では美しい四季の風景とともに、凛とした 可音(桜庭ななみ)の「おひいさま」(お姫様)らしい清らかな品格に素直に感動した。

 可音が言う。

「武士の心の中にはおなごが住む場所はありませぬ」


 武士には武士の意地と情と義理がある。だから、女は邪魔者で、武士は自分の美学にのっとって行動し、女(=私事)よりも仕事や義理や意地が大事、というその精神性をこの映画は描いている。


 本作にはどこにも予想を裏切る展開がない。思った通りに話は進み、予想通りの結末を迎える。ちょっとは読みを裏切る展開になってくれいと祈るような想いもあったが、見事に裏切られた。そういう意味でも極めて忠臣蔵的なお話である。結末をすべて知っているのに何度も繰り返し見てしまう忠臣蔵のような水戸黄門のようなお話になぜ日本人はこれほど夢中になれるのか。安心できるからだろうか。

 元禄赤穂浪士討ち入り事件は当時流行していた人形浄瑠璃の題材として取り上げられ、大人気を博す。この映画の中でも、瀬尾孫左衛門が可音を連れて人形浄瑠璃曽根崎心中」を見に行く場面があり、何度も何度も本作の中で効果的に浄瑠璃の芝居が挿入される。この浄瑠璃がくどいと思う人にはくどいだろうが、これは主人公の運命を暗示する大事なシーンなのである。この映画にはいくつかくどいところがあって、最後の可音の嫁入り行列に次々と浅野の旧家臣が付き従っていくところもそう。まるで桃太郎の鬼が島退治のように、いやその何倍も途中で家来が増えていくのである。

 主人の命令に忠実に仕えて耐えに耐える男の姿といい、予想を裏切らない展開といい、女の想いを振り捨てていく武士の意地といい、まことに日本的かついかにも忠臣蔵な映画である。アメリカでの封切りを見越して作ったオリエントな作品に現代の日本人が惹かれるとしたら、すでにわれわれはアメリカ人なのである。忠臣蔵大好きな日本人がオリエントな日本映画に感激する。これはまさに21世紀的な忠臣蔵だ。

 いつも気張っている役所広司が今回は耐える役を寡黙に渋く渋く演じたのが好感度高く、これまで見たどんな映画の役所広司よりもよかった。音楽も情緒的でよろしい。サントラが欲しくなる。

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監督: 杉田成道、製作: 小岩井宏悦ほか、製作総指揮: ウィリアム・アイアトン、原作: 池宮彰一郎最後の忠臣蔵』、脚本: 田中陽造、音楽: 加古隆
出演: 役所広司、佐藤浩市、桜庭ななみ山本耕史風吹ジュン田中邦衛伊武雅刀、笈田ヨシ、安田成美、片岡仁左衛門