吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

由宇子の天秤

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 天秤座は正義と天文の女神アストライアーが正義を測る天秤をかたどっているそうだ。この映画の主人公、ドキュメンタリーディレクターの木下由宇子の天秤もまた正義を測っているのだろうか。

 3年前に自殺した女子高校生の事件の真相を描くドキュメンタリーを製作中の由宇子は、若きディレクターだ。ネットでの誹謗中傷が女子高生の遺族を苦しめ、彼女の自殺の原因となった男性教師もまた自殺し、その遺族も同じく社会的制裁にさらされている。由宇子は、マスメディアの報道とネット社会の暴走が教師を死に追い込み、遺族を苦しめている状況を批判し、真相を暴く番組を作るのが自分の使命だと思っている。テレビ局上層部の方針と衝突しながらも、自分のやり方を通そうと正義感に燃えているのだ。

 由宇子の父は小さな学習塾を経営しており、彼女も仕事を終えた夜に塾で手伝いをしている。生徒である高校生たちから慕われている父娘であったが、ある日、思いもしなかった「事件」を父が告白することにより、由宇子は衝撃を受け、真実を追い求める彼女の信念が揺らぎ始める…。

 映画は巻頭しばらくは音声が聞き取りにくく、そのうえ全体に静かすぎる展開なので画面を見ているのが苦痛だったのだが、物語が起承転結の「承」に入るころにはもう、画面に釘付けになっている自分を発見する。社会の不正義に怒りを持ち、真実を追求する真摯な由宇子の姿に好感を持って感情移入していた観客も、彼女の父の告白にはたじろぐだろう。そこから後は、由宇子がどうするつもりなのか先が読めず画面から目が離せない。いつしか観客は由宇子とともに悩み、自分自身の良心を試されていく。

 自分の正義を疑うことのないネット住民たちへの怒りは、そのまま自らに跳ね返ってくることに由宇子は気づく。真実を明らかにすることと、自分の仕事や周囲の人々への配慮とを秤にかける由宇子。そして真相を探るほどに衝撃の事実が一つまた一つと明らかになり、さらに彼女を追い詰める。

 誰がどんな嘘をついていたのか。由宇子自身の嘘は許されるのか。思いやりや配慮という名の言い訳は通用するのか。苦悩する由宇子を静かに熱演した瀧内公美の演技と、父を演じた光石研の好演を始め、役者がみな素晴らしい。

 劇伴もなかったことに気づくラストシーン、淡々と静かにエンドクレジットが流れるのを眺めながら、観客は後を引く衝撃に身を浸すことになる。傍観者の立場にとどまることを許さない、そして加害と被害の逆転がこの社会では様々な場所で起きていることを想起させる、見事な幕引きであった。いや、幕はまだ引かれていない。果たしてこの先は。見終わった後に誰かと語り合いたくなる逸品だ。機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載したものに加筆)

2020
日本  Color  152分
監督:春本雄二郎
プロデューサー:春本雄二郎ほか
脚本:春本雄二郎
撮影:野口健
出演:瀧内公美河合優実、梅田誠弘、光石研、松浦祐也、和田光沙池田良、木村知貴、丘みつ子