吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

最高の花婿

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 フランスって多国籍多民族の移民国家なんだとつくづく思う。だからこういう映画も作れちゃう。

 田舎の豪邸に住むクロードとマリーの夫婦には才能にあふれた美しい娘が4人いて、みなパリに住んでいる。「娘たちをパリなんかにやったからよ」とマリーがこぼしているのは、娘3人がそれぞれ異教徒と結婚してしまったことを嘆いているのだ。長女はムスリムと、次女はユダヤ人と、三女は中国人と結婚してしまった。自宅の近所の壮麗なカトリック教会で娘を挙式させるのがマリーの夢だったのに、それはかなわない。いやいや、やっと四女が結婚することになった。相手はカトリック教徒だというではないか! 万歳、さすがは末っ子、えらいわー。と喜んだのもつかの間。実はその相手はアフリカ人だったのだ。。。。。
 というコメディ。娘の夫たちもあけすけに対立し口論しもめ事が絶えないのに、いつのまにか仲良くなっていたりする。いつも寄ると触ると喧嘩になるくせに、なぜかしょっちゅう一緒にいる3姉妹とその夫。こういう大家族の絆というか付き合いというか、揉めながらも仲がいいというのが実に楽しく開放的だ。クロードとマリーは保守派だが、人種差別者ではないと何度も何度も何度も自ら強調している。しかしそのリベラルぶった態度に一撃をくらわされるのが四女の結婚だった。

 そうなのか、異教徒でも異人種よりはマシ、ということなのかな。というか、黒人がもっとも差別されているということなのね。かつての植民地からやってきた誇り高い婿とその父は早速にクロードと大喧嘩を始める。けれど、子どもたちを愛する気持ちには嘘偽りがないから、どこかで妥協点を見つけるしかない。面白いことに、今まで喧嘩ばかりしていた三人の婿たちが四女の結婚には一致団結して反対するところだ。共通の敵が見つかれば団結するのか。これは現実社会がそうだから実によくわかる理屈だ。 

 次女がすごい美人。四姉妹とも美人だけど全員が違うタイプなのでとても本物の姉妹には見えない。とにかく最初から最後までずっと笑っていた。笑いながらいろいろと考えさせられる作品。お薦め。(U-NEXT)

QU'EST-CE QU'ON A FAIT AU BON DIEU?
97分、フランス、2014
監督:フィリップ・ドゥ・ショーヴロン、製作:ロマン・ロイトマン、脚本:フィリップ・ドゥ・ショーヴロン、ギィ・ローラン、音楽:マルク・シュアラン
出演:クリスチャン・クラヴィエ、シャンタル・ロビー、アリ・アビタン、メディ・サドゥン、フレデリック・チョー、ヌーム・ディアワラ、フレデリック・ベル、ジュリア・ピアトン、エミリー・カン、エロディ・フォンタン

 

バーフバリ 王の凱旋<完全版>

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 さすがに長いわー。エンタメ的にはこれ以上ないという無茶苦茶なサービスぶりだけれど、英雄としてバーフバリを称えれば称えるほど、だんだん虚しさが募ってくる。製作者の意図を超えて立派な反戦映画になっているではないですか!(んなわけないか)
 前作の続きがまたまた壮大なスケールで語られる。前作の見せ所は集団戦だったが、今回はさらにそれに加えて一騎打ちの場面が延々と続く。不死身の男二人が、普通なら100回は死んでる死闘を繰り広げ、もうお腹いっぱいです、許してくださいと言いたくなるほどのスペシャルバトルぶり。船は空を飛び、人間は全身武器と化し、背中に背負った弓矢は何本放っても無くならない、すべてが地球上の物理法則を無視して展開する。前作では人海戦術的に不利な自軍の籠城戦を勝ち抜くために先代バーフバリが知恵を使うところが見せ場だったのだが、今回はそういう頭を使う場面がないのが残念だ。
 その代わり、爆弾も火薬も重火器もない時代の戦争に見せ場を作るために考え付いたのが、人間噴射機! あり得ない作戦ばかり飛び出すのでもう笑ってしまうしかない。前作に続いて見せ場に過剰サービスするスローモーションも既に慣れてしまったので違和感なし。もう、この世界観に漬かってしまうところが恐ろしい(笑)。
 不思議なのは、国王の権力をも凌駕する国母の権威。なんでこんなに女が強いの? これ、インド伝説にそのまま則っているのかそれとも21世紀の映画として政治的正しさを主張するためなのか、どっち? 
 カッタッパ役の役者をずっとベン・キングズレーだと思い込んでいたわ!(←あほ

BAHUBALI 2: THE CONCLUSION
167分、インド、2017
監督・脚本:S・S・ラージャマウリ、音楽:M・M・キーラヴァーニ
出演:プラバース、ラーナー・ダッグバーティ、アヌシュカ・シェッティ、ラムヤ・クリシュナ、ナーサル、サティヤラージ、タマンナー

 

告白小説、その結末

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 次回作が書けなくてスランプに陥る女性作家のもとに熱烈なファンを自称する美しい女性が現れた。彼女の名前は「ELLE(彼女)」。エルもまたライターだ。ただし、エルはゴーストライターで、他人の自伝を書いているのだという。いつのまにかすっかり作家の信頼を得たエルは徐々に作家を支配するようになり・・・
 というような話はいくつかデジャヴュに襲われるようなストーリー展開。典型的には「ミザリー」。ほかにもこういう話はいろいろあったような気がする。
 本作の主人公である作家の名はデルフィーヌ。夫とは円満な別居生活で、彼女はその距離感を楽しんでいるが、実はそのことがデルフィーヌの孤独を高めていることに本人は気づいていない。熱烈なファンのエルはデキる女なので、デルフィーヌのスケジュール調整やメールの代理返信を行なったりして、もはやデルフィーヌの生活の切り盛りは全部エルが行うようになっていく。このエルをエヴァ・グリーンが演じているというのがぴったりのキャスティングだ。頭がよくて美しく、謎めいていて恐ろしい。取って食われそうなほどにこちらの心をわしづかみにしてくるエヴァ・グリーンの瞳が不気味だ。スレンダーな長身もまた格好よくて、ウォッカやワインをぐいぐい飲む様子もほれぼれするような女なのだ。
 映画の前半はそんなエルにデルフィーヌがどんどん惹かれていき、依存していく様子が描かれる。やがてデルフィーヌがケガをしたため、エルは郊外での静養を持ち掛ける。舞台がパリから郊外の別荘に移ってからがいよいよオカルト風味を増していく。エルの運転で郊外へ向かうその道すがらに起きるちょっとした「事件」が不穏な空気を濃くする。観客はそろそろ気づくのだ、「これはおかしい」と。そして別荘でさらに恐怖がボルテージを上げて徐々にデルフィーヌに襲い掛かる。
 さすがにポランスキー監督は観客を追い詰め怖がらせる技に長けている。音楽も絶妙に恐怖をそそる。エルは何者なのか? 彼女の狙いはなんなのだろう。復讐か、自己顕示欲か、それとも…?
 最後のシーンでネタが明かされるが、つじつまの合わない場面がいくらでもあったことを思い出す。でもそんなことはどうでもいいのだ。これはポランスキーの作品なんだから。緻密なサスペンスではなく、心理サスペンスであり、「怖がること」が観客にとって大事なのだ。なぜ怖がることが必要なのだろう。なぜわたしたちはサスペンスが好きなのだろう。それは、主人公デルフィーヌと同じくわたしたち観客もまた日々ストレスに押しつぶされそうになり、常に前進することを強いられ、疲れ果てているからだ。ここではないどこかに行きたい。今とは違う人生を送りたい。今の自分よりももっと優秀な自分になりたい。その欲望がなくならない限り、この映画を観続ける人は絶えないだろう。

D'APRES UNE HISTOIRE VRAIE
100分、フランス/ベルギー/ポーランド、監督:ロマン・ポランスキー、製作:ワシム・ベジ、原作:デルフィーヌ・ド・ヴィガン『デルフィーヌの友情』、脚本:オリヴィエ・アサイヤスロマン・ポランスキー、撮影:パヴェウ・エデルマン、音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:エマニュエル・セニエ、エヴァ・グリーンヴァンサン・ペレーズ、ジョゼ・ダヤン、カミーユ・シャムー、ブリジット・ルアン

 

空飛ぶタイヤ

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 見ごたえのある企業犯罪追及社会派作品。主人公の中小企業社長が正義のために闘う姿よりも、大企業の末端で出世を狙いながらうまく立ち回る一癖ある正義派のほうが魅力的だ。
 物語のもとになった事件は三菱自動車工業リコール隠しであることは言を俟たないが、わたしはあの事故や事件が数年前のことだと思っていたのに、調べてみたらすでに14年も前のことだったのだ! 光陰矢の如し。
 2004年に実際に起きた事件は三菱製トレーラーのタイヤ脱落事故によってタイヤに直撃された若い母親が亡くなった、というもの。ベビーカーを押して歩いていた29歳の母親は子どもたちと一緒に事故に遭い、幸い幼い子どもたちは軽傷だったが、母親は即死した。映画ではほぼ同じような状況を描いているが、事実と映画が異なる点は、事件の真相究明のために運送会社の社長自らが巨大企業に対して闘いを挑んだことだ。タイヤ脱落は整備不良が原因と疑われ、中小企業の赤松運送は神奈川県警の家宅捜索を受ける。二代目社長はイケメンで長身のかっこいい長瀬、じゃなくて赤松徳郎。いやほんま、長瀬智也、かっこよすぎるやろ。中小企業の社長には見えません。事故後には得意先から顧客契約を切られ、経営危機に陥る赤松社長の苦悩は深い。長瀬智也、映画の中ではずっと眉間にしわを寄せ続けていたような気がする。
 赤松社長は事故原因が自社の整備不良ではなく、自動車メーカーのホープ自動車のミスであることを確信するが、相手は財閥系の大企業。とても歯が立たない。それでも決して諦めることなくホープ自動車に食い下がる赤松。対して、ホープ自動車のイケメン課長沢田(ディーン・フジオカ)は赤松を鬱陶しがって会おうともしない。ところが沢田は同期の友人である品質管理部の小牧から自社内の不正を知らされて愕然とする。。。。
 登場人物がやたら多くて、原作では70人も登場するらしい。映画でも20人は居たように思うが、そのいずれものキャラクターがちゃんと描き分けられていたところが素晴らしい。ほんの数行のセリフしかないホープ銀行頭取にまでその人物像がわかるような演出がなされていて、この映画の作りこみの良さに感心した。

 本作の製作陣には松竹社会派エンタメ作の系譜を見事に受け継ぐ作品だという自負があるのだろう、鉄壁の脚本と言える。なんといってもわかりやすさがまず挙げられる。やたら込み入ったストーリーをこねくり回すのではなく、多くの登場人物に持ち味がはっきりしたキャラを与える。主人公を徹底的に窮地に追い込む。あからさまな正義の味方はおらず、主人公以外はみんな腹に一物を抱えている。自己保身、出世欲、生活保守主義、罪なき犠牲者の位置取り、という人々が大勢現れてくるのだが、ただ一人主人公の赤松社長だけがすがすがしく苦悩する。
 「中小企業をなめんなよ!」と赤松社長は吠える。まだ若き二代目社長は、たぶん先代のようなワンマンではないのだろう。創業者とは違う二代目の苦悩というのもありそうだ。わたしは身近に何人も二代目社長を見ているから、彼らが創業者のアクの強さを持っていないことを常々感じる。マイホームパパであるところもこの赤松の魅力だ。赤松の妻役のフカキョンがいったいいくつになったの、いつまでも若いねえ。昨今の作品らしく、ちゃんとジェンダーバイアスに配慮してあるセリフにも微笑してしまった。
 この映画の登場人物たちは団結して巨悪に立ち向かったわけではない。それぞれが少しずつそれぞれの思惑に従って「小さな正義」を実行したに過ぎない。心の底からの正義感であったかどうかも怪しい。所詮は組織のコマであり社畜に過ぎないという自嘲気味の沢田課長に至ってはニヒルな二枚目ぶりが板についていて、こういうちょっとワルっぽいヒーローはわたしのタイプだなぁとうっとり。

 そういう点でもっとも単純な正義の味方は赤松社長。彼は「俺が闘わずに誰が闘う!」と啖呵を切って社員の前でアジテーションするところなんか、50年前の全共闘みたいな。コンプライアンス内部告発、企業責任、といった昨今よく目にし耳にする言葉が飛び交う映画だった、間違いなく働く人々を描いた労働映画である。残念ながら労組の姿が一向に見えなかった。財閥系の大企業にはほとんどユニオンショップ制の労組があるはず。彼らの姿も描いてほしかった。 
 ところで、主役二人の身長が高すぎて、画面作りには苦労したんじゃないかと想像する。事故犠牲者の夫の身長が低いので、これも計算のうえなのか、面白い効果が出ている。犠牲者が「加害者」を糾弾するときの身長差、「加害者」が被害者に詫びるときの身長差が画面の中で強調されている。

 本作は図書館映画の一つと言える。過去の事故の記録を調べるために、ある登場人物は図書館へ行って新聞記事を調べてコピーを取ってきた。みなさん、図書館を利用しましょう。

120分、日本、2018
監督:本木克英、エグゼクティブプロデューサー:吉田繁暁、原作:池井戸潤、脚本:林民夫、音楽:安川午朗
出演:長瀬智也ディーン・フジオカ高橋一生深田恭子寺脇康文小池栄子阿部顕嵐ムロツヨシ浅利陽介津嘉山正種柄本明佐々木蔵之介津田寛治笹野高史岸部一徳

バーフバリ 伝説誕生

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 出たっ! B級超大作!! 興奮のるつぼと爆笑の嵐。歌って踊って大戦争
 なんでこれを観たかというと、現在劇場上映中の続編の完全版を観たいから、その予習のため。思いっきりCGとワイヤーアクションを使い、スローモーションを多用してあり得ない映像体験を提供してくれる、これぞ娯楽映画の極み。見終わった後によい子は「バーフバリ! バーフバリ!」と思わず叫んでしまうであらう。
 物語はインド神話マハーバーラタ」からキャラクターを引き継いで創造されたという。昔々のある王国の王位継承をめぐる争いと、蛮族との戦いがド派手に描かれる。主人公のバーフバリは祖父・父・息子と3代にわたってプラバースというマッチョ役者が演じている。それはもう50年分の物語なので、とても一話では終わりません。前後編に分かれた本作の前編では歌って踊るシーンがあるなどそれなりに見せ場があるとはいえ、前半はかなり地味な展開。と思いきや、後半は怒涛の進撃。
 王の息子でありながら赤ん坊の時に王宮を追われ、川で拾われたバーフバリは自らの出自を知らずにすくすくと成長する。いやもう、すくすくどころか育ちすぎでしょ! 毎日のように滝登りを繰り返して筋肉トレーニングに余念がない若者はいったい普段の仕事は何なのかと不思議になるぐらいだ。

 で、とうとう断崖絶壁の滝の上に上り詰めた彼は、理想の美女に出会ってたちまち恋に落ち、もちろん歌って踊るのである。その美女が反体制派の戦士と知るや、バーフバリも一緒に戦うことになる。お主には思想や信念がないのかね、惚れた相手が戦士だからってたちまち一緒に戦争するなんてちょっと思慮が浅いのでは、などと突っ込みを入れてももう遅い。怒涛の進撃は始まっているのだ! やがて彼は自らの出自を知らされ、父の若かりし頃の物語を聞かされることになる。

 というところから長い長い長い回想シーンが始まり、ここからが超ド級の進撃。「ベンハー」「ブレイブハート」「グラディエイーター」などなどの戦争史劇を全部足してリアリティを無視した味付けを施したてんこ盛り戦場シーンが続く。面白ければ何でもいいってか! まあえっか。しかし蛮族が黒い肌をして目と歯をむき出して襲ってくるってそれはちょっと人種差別コードに抵触しないのかね。
 というわけで、まだまだ続くのである。(Blu-ray

BAAHUBALI: THE BEGINNING
138分、インド、2015
監督・脚本:S・S・ラージャマウリ、原案:V・ヴィジャエーンドラ・プラサード、音楽:M・M・キーラヴァーニ
出演:プラバース、ラーナー・ダッグバーティ、タマンナー、アヌシュカ・シェッティ、ナーサル、サティヤラージ

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー

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 な、長い。何しろ登場人物が多いから、そのエピソード処理だけでもずいぶん時間がかかるのはしょうがない。で、お話は結構面白かったから長いけど退屈はしなかった。もう二週間以上前に見たのでまたしても細部はすっかり忘れたけど、エリザベス・オルセンの陰のある悲しそうな瞳が印象深かった。
 で、それぞれのキャラクターのお話がどういうことになっているのか全然わからなくて、過去のエピソードはどうなっているんだ! 過去作全部おさらいしないとわからないのか?! そもそもこのアベンジャーズって第何話?! とパニックになっていたんだけど、劇場用パンフレットにはすべてちゃんと解説ががついているんですねー、なんという親切なつくり! 助かります。こういうパンフレットは買う値打ちがあるわ。 
 そして銀河一の悪役、殺戮者、独裁者、巨漢のサノスが涙を流すという痛切なシーンまで用意されている! この人、根っからの悪人とは言えないのかもしれないという疑問が観客の胸に沸々とわいてくるくるのである。そもそも宇宙の人口を半分にする力を持った石がなんのために存在するんでしょうね。それは神が作って生命体の最終兵器としてとっておいたものかもしれない。ということはそれを使うときには信じられないほどの犠牲を伴う代わりに、以後は平和な世界が待っている、というパンドラの箱みたいな(ちょっとちゃうか)、触れてはならない奥の手だったりするのかもしれない。サノスが私利私欲で戦っているわけではないところがけっこう深い話か。(5月に鑑賞)

AVENGERS: INFINITY WAR
150分、アメリカ、2018
監督:アンソニー・ルッソジョー・ルッソ、脚本:クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー、音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ロバート・ダウニー・Jr、クリス・ヘムズワースマーク・ラファロクリス・エヴァンススカーレット・ヨハンソンドン・チードルベネディクト・カンバーバッチトム・ホランドチャドウィック・ボーズマンゾーイ・サルダナ、カレン・ギラン、トム・ヒドルストンポール・ベタニーエリザベス・オルセンアンソニー・マッキーグウィネス・パルトローベニチオ・デル・トロジョシュ・ブローリンクリス・プラットウィリアム・ハートサミュエル・L・ジャクソン
声の出演:ヴィン・ディーゼルブラッドリー・クーパー、ケリー・コンドン

 

いつだってやめられる 7人の危ない教授たち

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 東京出張中に見た7作品の一つ。映画館で声をあげてこんなに笑ったのは久しぶりだよ。この続編を先に見たときには、前編を見なくてもだいたいわかるからえっか、と思ったが、やっぱり前作を見てないと面白み半減だわ! そうか、このパターンを踏襲するのね、とか、ここでこういう動きをするから次回作につながるギャグになるのか、とかいろいろ今回学んだことがあったので、ここは一挙三部作を上映してほしいもんです。今回見たのも特別上映だったみたいで、パンフレットも作成されていなかった。実に残念である。プレスシートを300円も出して買ってしまったよ、試写に行けばタダでもらえるのに!
 まあそれはともかく、今どきの研究者の悲惨な状況がよく描かれていて涙がちょちょぎれる話でした。で、そもそも「いつだってやめられる」の意味を取り違えていたわ。この作品でそのセリフを主人公が言うのには、「非合法すれすれのドラッグを製造販売する仕事なんて、いつだってやめられる」という意味だったのだ。
 この映画がイタリアで大ヒットしたのはかわいそうなインテリたちへの同情心ゆえではなく、インテリを嘲笑う人々が留飲を下げるために見に来ていたというような意見をネットで読んだが、そうなると製作者の意図と違う結果であり、悲しいことだ。でもこの映画の面白さはインテリ自虐ネタでもあるわけだし、その点では狙い通りと言えなくもない。
 というわけで、金儲けのために犯罪に走る失業研究者たちの悲惨な生活ぶりを見ながら笑える社会派コメディでありました。日本ではたぶん第三作が公開されるはずなので、そのときにはぜひ三部作一挙上映してほしい。

SMETTO QUANDO VOGLIO

105分、イタリア、2014

監督:シドニー・シビリア

出演:エドアルド・レオ、ヴァレリア・ソラリーノ、ヴァレリオ・アプレア、パオロ・カラブレージ、リベロ・デ・リエンツォ