吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

0.5ミリ

 ある事件をきっかけに仕事と住居を失った若き介護ヘルパーが、次々と老人をたぶらかして押しかけヘルパーになって食いつなぐというブラックコメディ。 

 後半にいくほどダレてきて、特に津川雅彦じいさんの独白は認知症老人の特徴を出すために何度も同じセリフを繰り返させるのだが、これがしんどい。そこを狙った演出ということはわかるが、正面からのアップでこういうのを映画館で見たいかな? 語っている内容が「戦争なんてひどいもんだ」という反戦ものであるところが皮肉かもしれない。なんといっても”あの”津川だからねぇ。 

 しかし、前半はかなり面白かった。介護ヘルパーのさすらいの旅路、ならぬさすらいの老人ハンター。こういう題材は新鮮だし、主演の安藤サクラの自然体の演技がうますぎて舌を巻く。あののっぺりとした顔でアルカイックスマイルみたいな笑顔を見せられると、老人はつい心が緩むんだろうなあと説得力にあふれている。拝みたくなる顔といえばいいのか。 

 巧みに社会問題を練りこむ脚本もうまいし、伏線もあって最後はその回収にけっこう驚く。さすがに3時間は長いという気がするが、話がどう展開するのか先が読めないだけに飽きることはなかった。こういう快作もできるようになったのか、日本映画。しかし女の魅力は家事・介護、結局そこか。(U-NEXT)

196分、日本、2013

監督・脚本・原作:安藤桃子、エグゼクティブプロデューサー:奥田瑛二、音楽:TaQ

出演:安藤サクラ織本順吉木内みどり、土屋希望、井上竜夫東出昌大ベンガル角替和枝浅田美代子坂田利夫草笛光子柄本明津川雅彦

gifted/ギフテッド

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 また一人天才子役が現れた。前歯の抜けたなんともいえない愛らしい顔に、長い睫毛を震わせながらくちゃくちゃの顔で笑う、抱きしめたくなるようなマッケナちゃん! 天才子役が天才少女を演じる。これはもう地でそのまま天才という雰囲気が全身から蒸発しまくっている。
 天才少女のメアリーは7歳にして高等数学の難問を解いてしまうような驚異の才能を見せて周囲を驚かせる。実はメアリーの母がまた不世出の天才数学者だったのだが、赤ん坊のメアリーを残して自殺してしまったのだった。そしてメアリーは母の弟であるフランクの手で育てられる。フランクはメアリーをふつうの子どもとして育てようとしていたので、メアリーの才能に気づいた教師たちの勧めを断って彼女に英才教育を施すことを拒否する。ところがここに現れたのがおばあちゃんのイブリン。イブリンもまた数学者だったのだ。なんという一家だ、学者・天才の家系は幸せなのか不幸せなのか。
 フランクを演じたのはキャプテン・アメリカクリス・エヴァンス。まったく違う雰囲気で、とてもやさし気な憂いを帯びた瞳が魅力的。メアリーの担任教師とデキてしまってメアリーにばれる場面など、とてもユーモラスだ。メアリは子どもだけれど多くのことを見抜いている。でもやっぱり子どもだから詰めは甘い。そして、誰よりも愛を求めているのだ。
 訴訟社会のアメリカは親子といえども簡単に裁判を起こしてしまうのだから恐ろしい。メアリーの育て方をめぐって対立する祖母と叔父。その間にたってメアリーの幸せは誰が見つけるのだろう? 誰もがメアリーを愛し、メアリーを大切に思っているに違いないのだが、天才少女をどのように育てるのかは大いに見解が分かれてしまう。娘に死なれてもなお反省しない母親は、結局のところ自分の欲望と野望を娘に投影していただけなのだろう。娘亡き後は孫に希望を託す。
 いつだって、子どもには子どもの人生がある。本人が望まない未来を大人が押し付けることはできない。とはいえ、教育そのものがある意味押し付けなのだから、才能というのはやっぱり周囲が気づいて手を施さないといけないのではないか。いろいろ考えさせられる映画だった。でもそんなふうに理屈っぽい作品ではなく、マッケナちゃんのかわいらしさに微笑み癒される100分でした。(レンタルBlu-ray

GIFTED
101分、アメリカ、2017
監督:マーク・ウェブ、製作:カレン・ランダー、脚本:トム・フリン、音楽:ロブ・シモンセン
出演:クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス、リンゼイ・ダンカン、ジェニー・スレイト、オクタヴィア・スペンサー

 

リュミエール!

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 映画の原型であるシネマトグラフを生み出したリュミエール兄弟が残した1422本の作品から108本を厳選して解説を加えたもの。これがまた面白いったら。こんなに古い、ほんと、120年も昔の映像を見て何が面白いのかと思われそうだが、解説も含めて極めて興味深い。ただし、うちのY太郎(27歳)にこの映画のことを教えたら、「そんなもん、大学の映画史の授業で繰り返し見せられたからもう飽きた」と言われてしまった。
 しかしこの映画は4Kデジタル修復されているため、いま撮ったと見まがうばかりの鮮明さだ。一見の価値あり。これを観ると、映画の本質が120年変わっていないことがよくわかる。すなわち、「誰も見たことがないものを見せる」「映画は驚き」「映画は娯楽」「映画はユーモア」というもの。フランスの各地の風景もそそられるし、わたしとしてはこんな面白いもの、見ないのは損としかいいようがない。
 世界で最初に撮られた映画は、工場の出口であった。一日の仕事を終えて工場から出てくる人々を写した。ただそれだけなのだが、当時の人にとっては目の玉が飛び出るような驚きであったろう。続いて劇場公開された、「駅に入ってくる汽車」に至っては大スペクタクルである。近づいてくる列車に恐れおののいて観客が座席から跳びのいて逃げ惑ったという伝説の、アレだ。それ以降に作られた数々の短編がみなストーリを持っているところが興味深い。当時のフィルムは50秒しか連続撮影できなかったので、50秒一話のオチをつけてあるということろがミソ。大阪人も真っ青の笑えるお話がいっぱいあるよ。 
 目の前で起きていることは一過性のものであり、再現不能な切実なものであったはずだ。それが映像として記録されるようになって以来、人々の「時間」に対する観念が変わった。それが映画の始まりだったのだ。わたしたちは、120年前のパリの繁華街を歩く今は亡き人々の姿を観ることができるし、その姿は永遠に焼き付けられ、固定される。何かしら哲学的な気分に襲われる映像体験だ。(レンタルDVD)

LUMIERE!
90分、フランス、2016
監督・脚本・ナレーション:ティエリー・フレモー
製作:ティエリー・フレモー、ベルトラン・タヴェルニエ

 

リップヴァンウィンクルの花嫁

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 黒木華の魅力がほぼすべて。よくぞ彼女を主役に据えたものだ、お見事。あ、すべてではない。残りの魅力はなんといっても怪しげな綾野剛。彼が演じる正体不明の安室という何でも屋、物腰柔らかな善人そうな詐欺師、彼が物語全体を不思議なムードに陥れている。
 いかにも岩井俊二らしい、夢を見ているような不思議な美しい光景が繰り広げられる。それがたとえ新妻が策略に陥れられる悲劇の物語であっても、そのようにはかなげで美しい。
 黒木華が演じる非常勤教師は「声が小さい」と生徒に嘲笑されるような、自信なさげな若い教師だ。こんな人、そもそも教師に向いていない。これほど根性も度胸も声の大きさもないなら、教師にならなければいい。しかし、そんな彼女を慕う「通信教育」の教え子がいる。そうか、こんなふうに静かにはかなげに話す相手とは安心できる子もいるんだ。確かにそうかもしれない。いつも声が大きくて明るくて自信たっぷりな人間ばかりだとそれはそれで疲れるよね。わたし自身は地声が大きいから、それが苦痛になる人もいるんだろうなぁとうっすらと想像してみる。
 さて、物語は。これはもうストーリーがあるのかないのかよくわからない話だ。わたしはまったく予備知識なしに見始めたものだから、話がどこに転がるのか全然わからなくて、「えええええ、そんな話なの」と驚いたり感動したり、とうとう最後には「ほんまかいな」と、そのフェイクぶりにあきれながらも感心してしまった。りりぃが登場するところからいきなりすごい展開になるので、ここは必見。そして、そのりりぃを受けて立つ綾野剛がやっぱり怪しい。こいつは怪しい。絶対怪しい。
 で、ストーリーは。て、そんなもの、書かないほうがいいんです。だって、次にまたこの映画を観たことを忘れてもう一度見るときのために書かないほうがいい。でも、見終わった瞬間に、「で?」と思ってしまった。いったい何を言いたかったんでしょう。一人の若い女性の成長物語? でも彼女、成長しているようには見えないよ。いろんな人に騙されたままだしね。(レンタルDVD)

180分、日本、2016
監督・脚本:岩井俊二
出演:黒木華Cocco、地曵豪、和田聰宏、りりィ、綾野剛

 

遺体 明日への十日間

 

 ちょうどこの映画を観ていた時期に大阪で地震が起きたのでちょっとタイムリーだな、と妙な縁を感じたのだが、この映画は今回の大阪の地震の比ではない被害を描いている。
 東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県釜石市が舞台。

 ただひたすら遺体と向き合う人々を描く物語は見ていてとてもつらい。しかし、暗いだけの映画ではなく、震災から立ち直るために黙々と仕事をする人たちの美しい姿には心打たれる。しかも、「仕事」ではなくボランティアで遺体の手当てや見送りを申し出た主人公には本当に頭が下がる。これは実話に基づくという。遺体安置所となった廃校後の体育館を舞台に、2011年3月11日からの10日間を描く。場面はほぼこの体育館に限定されていて、何体も何体も運び込まれてくる泥まみれの遺体と対面する釜石市の職員、医師、歯科医師たちのつらい仕事が延々と続く。遺族もまた遺体にすがって離れない。
 人は死んだらそれでおしまい、死体はゴミと同じだという考え方もあるかもしれないが、遺族にとってはそんなものではない。主人公の民生委員・相葉は元葬儀会社社員だったという経験を生かして遺体を大切に扱い、遺体が生きているように語り掛け、手をさする。自らも被災者であるから家に帰っても水もガスも出ないところでペットボトルのお茶を飲み、ろうそくの灯で生活せざるを得ない。それでも毎日ボランティアにやってくる相葉は、ボランティアだからという理由で昼食も配給されない。これは確かに正当な理由があるのだが、しかし理不尽なことではある。
 延々と検死を続ける医師や歯科医もやがて疲弊し始める。心が折れそうな市職員は体が固まって動けない。読経をあげに来た住職も涙で声が出なくなる。だが、そんな人々も相葉の態度を見ているうちに、少しずつ心が柔らかくなる。これもまた労働映画の一つといえるだろう。言葉にできないほどの災厄に見舞われた人々が、それでも必死になって自分たちのするべきことをこなしていくこと。これがプロの仕事なのだ。たとえボランティアであっても、長年培った技を生かすこと、これがプロボノというべき仕事だろう。
 地味な映画で、何もドラマも起きないし、見ていてつらくなってくるが、それでもこの映画はぜひ大勢に人に見てほしい。(レンタルDVD)

105分、日本、2012
監督・脚本:君塚良一、製作:亀山千広、原作:石井光太『遺体 震災、津波の果てに』、撮影:栢野直樹、音楽:村松崇継
出演:西田敏行緒形直人勝地涼國村隼酒井若菜佐藤浩市佐野史郎沢村一樹志田未来筒井道隆柳葉敏郎

新感染 ファイナル・エクスプレス

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 数あるゾンビものの中でも出色の出来。走る列車の中でゾンビと闘うという究極のサバイバルぶりがサスペンスを盛り上げる。主人公はファイナンシャル・プランナーのソグ。小学生の娘を別居中の妻のもとに送り届けるために、ソウルから釜山行きの特急列車に乗った。この映画の前日譚が「ソウル・ステーション」というアニメで、要するに原因不明の感染が広がってゾンビと化した人間が列車内に増殖し、乗客を襲いにワラワラとあふれ出てくるという恐怖映画。しかしそのゾンビのわらわらぶりには思わず笑ってしまう。わたしは「ワールドウォーZ」を思い出してしまったわ。
 この主人公ソグが「パパは自分のことしか考えていない」と非難されるほどの自己中心的な人間だということがミソで、しかし自己中であってもわが子(だけ)は可愛いから、必死で守ろうとする。この娘を演じた子役が実にうまい。ちょっとすねた感じの陰気臭い目元もよい。この子は整形しておらず素の個性が見えていて印象がいい。同じく、高校生役の子役も素直な顔をしているのが好感度高い。

 して、絶体絶命のピンチに会うと、人間性がわかりやすく表出する。下品そうに見えたオヤジが実はとんでもなく強いおじさんでヒーローぶりを見せるとか、紳士が我利しか眼中にない最低人間だったり、高校生は意外に頑張ったり、さまざまにドラマが生まれる。ゾンビの短所を見つけてなんとか逃げおおせようと作戦を練る乗客たちの知恵と団結も素晴らしく、しまいには感涙ものの家族愛も描かれる。次から次へと繰り広げられる山場も緩急あって大変よろしい。

 で、結局最後は誰と誰が助かったのだったっけ? 1週間後にはもう忘れてしまうありさま。ビデオを見直してみたら、最後はえらく感動的である。しかも続編ができるのではないかと思われるような終わり方。。。。(レンタルDVD) 

118分、韓国、2016

監督: ヨン・サンホ 、脚本: パク・ジュスク、撮影: イ・ヒョンドク、音楽: チャン・ヨンギュ

出演:  コン・ユ、チョン・ユミ、マ・ドンソク、キム・スアン

ロープ/戦場の生命線

 2月半ばに鑑賞。

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 1995年のバルカン半島を舞台に、戦争が終わった後も続く空しい戦後処理の活動をブラックユーモアたっぷりに描く怪作。どこかしらタノヴィッチ監督の「ノー・マンズ・ランド」に似た味わいがある。
 「国境なき水と衛生管理団」って、なんの冗談ですか、そのネーミング。思わず笑ってしまったけど、もちろん元ネタは国境なき医師団とかそのほかのNGO団体なのだろう。物語はそのNGO「水と衛生」職員の奮闘を描くわけだけれど、そもそも当該職員がベニチオ・デル・トロという時点で既に怪しい。案の定、彼のもとにやってくる監査係の美女が元恋人ということで、ベニチオおじさんがNGO活動の合間に女たらしをしていたことがいろいろと露呈する。このNGOに属する人々の国籍が多様で、多くのスタッフが紛争現地で献身的に活動していることがよくわかる。

 ところが、本作では彼ら彼女らの活動がほとんど無意味なぐらいに意味がなくてほんとに無意味でシジュポスの神話ぐらいに無意味で意味がない。ということを描いた作品。その無意味さぶりが素晴らしかった。いや、けなしているのではなく、これは戦争の無意味さを戦後になっても引きずることの空しさをとことん描いたという点で素晴らしい反戦映画だ。
 邦題の「ロープ」は昨今にない素晴らしい日本語タイトルと言える。確かに、たった一本のロープを求めて「国境なきなんたら団」は彷徨い続けるのだから。彼らの自動車がバルカン半島の山岳地帯をうねうねと走る姿を空撮でとらえた映像はアッバス・キアロスタミ監督のくねくね三部作を思い出させる。つまり、終わりなき徒労を描いた作品といえるわけだ。
 ベニチオ・デル・トロの相棒の初老の男がティム・ロビンスだと気づくのにだいぶ時間がかかった。久しぶりに見たわ、ティム・ロビンス。すっかり白髪になってしまっているではないの。でも目元は相変わらず可愛らしい。お薦め作です。

A PERFECT DAY
106分、スペイン、2015
製作・監督・脚本:フェルナンド・レオン・デ・アラノア、原作:パウラ・ファリアス、共同脚本:ディエゴ・ファリアス、音楽:アルナウ・バタレル
出演:ベニチオ・デル・トロティム・ロビンスルガ・キュリレンコ、メラニー・ティエリー、フェジャ・ストゥカン、セルジ・ロペス