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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

チスル

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 描かれていることは残虐な暴力なのに、淡々とした描写。モノクロの深い陰影のある映像が美しい。

 いまだに全貌が明らかにされていない、済州島の「4.3蜂起」を描く作品だが、この映画を見ても4.3事件についてまったくわからないので、それは予習しておかないといけない。

 

 1948年、解放後まもない朝鮮半島の南側では、統一の願いにそむく単独総選挙が行われようとしていた。それが成立すれば南には新しい国家が誕生することになり、分断が固定化する。それに反対した済州島の人民300名が4月3日、武装蜂起した。当時アメリカの占領下にあった南朝鮮では、この蜂起は共産主義者の扇動によるとして、米軍と警察によって鎮圧された。事件はそこで終わらず、その後に凄惨な「アカ狩り」が行われた。1948年10月中旬、「済州島の海岸線5キロメートルより内陸に居る者は暴徒とみなし、無条件に射殺する」という布告文が韓国軍により発表された。11月17日には済州島戒厳令が布かれ、無差別虐殺が始まった。以後7年間に3万人の島民が犠牲になったという。4.3事件は長らくタブー視され、地元でも事件について語ることも追悼することもはばかられてきた。2003年、ようやくノ・ムヒョン大統領が済州島を訪れ、遺族と島民に謝罪した。(劇場用パンフレット参照・引用)

 

 映画は事件の真相を暴くことよりも、犠牲者への鎮魂のために存在している。だから、本作は韓国の伝統的な祭祀(チェサ)の儀式に則って四つの章に分けられている。第1章、無辜の民を黄泉の国から呼び戻し、1948年の冬に観客を連れて行く。島民たちが山の中に逃げてきて、小さな洞穴に姿を隠す。小さすぎてぎゅうぎゅう詰めになっている場所に一人、また一人とやってきては「狭い狭い」と文句を言い合うこの場面には静かなユーモアが漂う。これから始まる虐殺のプロローグとしてはいかにもそぐわない。どこかのほほんとした巻頭の場面にクスっと小さく心の中で笑ってしまうが、やがて軍人たちに見つかった人々は追い立てられ、ある者は拷問を受け、ある者は有無を言わさず殺されていくのだ。

 何度も山の稜線が映し出され、稜線に沿って山を登る島民たちの黒い姿が浮かび上がる。真っ黒い山肌に黒い人影が動いていく遠景の場面は、緩やかにカーブする柔らかな稜線の美しさが心に残る。済州島は火山島であり、島の中央に標高2千メートル近い漢拏山(ハルラサン)がそびえる。その地形を存分に生かして、絵画のように美しく静かな場面が何度も現れるが、その場面と場面の合間には、罪なき人々がわけもわからずに追い立てられ、家屋を焼き払われていくのだ。「チスル」は済州島の方言でジャガイモのこと。殺された老婆が最後まで抱えていたジャガイモがこの映画の象徴となった。

 雪の中を全裸で、素足を雪につけたまま立たされ続ける兵士はいったい何の咎(とが)を負ったのだろう。焼き払われる人々はいったい何の罪を負ったのか。なぜ赤子は生れ落ちるとともに息絶えなければならなかったのか。何もわからない。この映画は何も説明しない。ただ、「アカは殺していい」という呟きが聞こえるだけ。

 多くの虐殺を生んだ20世紀の過ちを、まだわたしたちはすべて知っているわけではない。ようやく語り始めた人々の口は重く、心は冷え冷えとしている。記憶は澱となって沈み、恨みは癒されない。この映画に登場した人々のすべての魂が安らかにあるように、せめて今はそれを願う。素人ばかりが演じたこの作品がひっそりと上映されていることが残念だ。多くの人に見てほしい。

JISEUL

108分、韓国、2013

監督・脚本: オ・ミョル、撮影: ヤン・ジョンフン

出演: ヤン・ジョンウォン、イ・ギョンジュン、ソン・ミンチョル