漫然と聴いていると気が付かないが、楽譜を見ながらベートーヴェンの第九交響曲第四楽章を歌ってみると、この曲がいかに緻密に練り上げられているか、その事実を実感して圧倒される。大オーケストラに四部合唱、さらに四声独唱を加えた、完璧な交響曲。これに何かを加えようなどと誰が思いつくだろう。ところが天才振付師のモーリス・ベジャールは第九をダンスで表現しようと閃いた。
この映画は、二〇一四年にモーリス・ベジャールバレエ団と東京バレエ団との共同制作として東京で上演された「第九」の舞台裏を追ったドキュメンタリーである。カメラは、スイスと東京で練習を重ねる二つのバレエ団の本番までの軌跡を追う。
本作にはガイド役に若い女優が抜擢された。彼女の名はマリヤ・ロマン。ベジャール亡き後、バレエ団の芸術監督に就任したジル・ロマンの娘である。ダンサーを両親に持つマリヤ自身はダンサーにならなかった。そして今、女優の視線でダンサーたちにインタビューし、自身の両親にもこの作品の解釈や、仕事と子育ての葛藤について尋ねていく。
世界最高峰のバレエ集団の練習場面では、素晴らしいテクニックを堪能できる。それ以上に興味深いのは、女性ダンサーの宿命である「妊娠とキャリアを天秤にかける」苦悩だ。ベジャールバレエ団の女性ソリスト、カテリーナの妊娠が発覚して舞台を降りることになる場面が本作の一つのハイライトである。大きなお腹をさすりながら、カテリーナは「舞台に復帰できるという保証はどこにもないけれど、この子が生まれることが何よりも楽しみだ」とにこやかに語る。お腹の子の父もまたベジャール団のソリストである。
インタビュアーのマリヤの母が「おまえを生んで最初のツアーでは、お前を連れてロシアに行った。ファンがおまえのことを『ベジャールの赤ちゃん』と呼んでぞろぞろとついてきた」と笑う。
この映画に登場する女性ダンサーたちはキャリアが寸断される恐怖をものともせず、妊娠出産を選んだ。出産によるキャリアの中断は世界中の働く女性の悩みだが、ここのダンサーたちは出産が決してマイナスではないことを知っているし、マリヤの母は「何も犠牲にしていない。わたしはおまえが欲しかったのよ」と娘マリヤに語る。その時のマリヤの少し照れた、幸せそうな笑顔が美しい。
ベジャールバレエ団の大きな特徴は、人種・国籍が多様なダンサーが揃っていること。多様性が力を生むことをジル・ロマンは知っている。「人類はみな兄弟になる」と謳ったシラーの「歓喜の歌」を第四楽章に持ってきたベートーヴェンの第九を、ベジャールは畏敬の念をもって振り付けた。しかし、ベジャールは崇拝するジャン・ジュネに「人類がみな兄弟だって?」と冷笑されて傷ついていたとジル・ロマンは証言する。怪物作家と呼ばれた放浪詩人のジュネなら言いそうなことだ。二十一世紀の私達は人類が兄弟になるなどとは能天気に信じることができない。にもかかかわらず、友愛を歌い上げる第九を聴くと感激に満たされるのはどうしたことだろう。
インド人のズービン・メータがイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、栗友会合唱団が歌った第九は多民族共生の象徴でもあった。
カメラは、ダンサーやオケの練習風景に肉薄する。軽やかに踊っているように見せて、アップになると彼らが息を大きく弾ませ横隔膜を上下させながら顔だけはにこやかに笑っている苦し気な様子を映し出す。本番では、舞台の上でにこやかに踊るダンサーに迫り、彼らが全身汗まみれになっている姿や、舞台袖で神経質に手を揉み合わせながら出番を待っている様子もリアルに伝える。
第四楽章のコーダでダンサー全員が舞台で手をつなぎ、四重の大きな円を描いて走り回る圧巻の様子が天井からのカメラで映し出される。すべてが終わった! 観客はその余韻に満たされながら幸せを分かち合うことができるだろう。年末年始はぜひ、劇場で第九の音楽と踊りを堪能あれ。
DANCING BEETHOVEN
83分、スイス/スペイン、2016
監督: アランチャ・アギーレ、撮影: ラファエル・レパラス、振付: モーリス・ベジャール
出演: モーリス・ベジャール・バレエ団、東京バレエ団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、マリヤ・ロマン、ジル・ロマン、ズービン・メータ