太平洋戦争下のフィリピン戦線。日本兵は既に大量餓死の状況を迎えていた。田村一等兵は肺を病んで野戦病院送りになるが、病院では「肺に穴が開いているぐらいじゃ病気じゃない」と前線に戻るよう命令される。原隊に戻った田村は上官に殴られ、「せめて2日ぐらい置いてもらえ」と再び病院に送り出され、ジャングルの中をよろよろと歩いて掘立小屋のような病棟にたどり着くが、、、、
原作はかなり前に読んだので、人肉を食べるシーンなどはある程度予測がついたけれど、やはり死屍累々の映像を見せられると衝撃度が大きすぎる。塚本晋也監督は主演、脚本、編集を務め、製作も兼ねているという気合の入れようで、そのものすごい熱意はこれでもかとばかりに伝わってきたが、ややチープな感じが否めない。なによりも音楽がおどろおどろ過ぎて、耳が痛い。ここまでしないといけないのかしら、と思うほどにうるさい。
フィリピンのレイテ島での行軍は、ほとんど飢餓との戦いだった。フィリピン全体では50万人の日本兵が戦死し、そのほとんどが戦病死だった。要するに餓死だ。栄養さえ足りていれば罹らないような病気に罹って死んでいく兵士たちの無残なこと。そしてこの映画でも島民たちがなんの咎もなく殺されていく様子も描かれている。戦後、日本兵が報復されたことも理解できる。
殺される島民の女は喉が破れそうなほどに泣き叫ぶ。その断末魔の姿は田村一等兵の脳内に悪夢として住み着く。彼はそののち、撤退の知らせを受けてジャングルの中をひたすら歩くこととなる。うっそうと茂ったジャングルの中の細道にはいたるところ、日本兵が死んで転がっている。生きている者も生きたまま蛆虫に食われている。映画に臭いがなくてよかった、となによりもほっとするシーンだ。突然の砲撃、突然銃撃に遭って脳漿が飛び散り、内臓が裂けて腸が垂れ下がる。そんな目に遭う兵士たちがみなわたしの息子たちの年齢だ。もう見るに堪えない。あまりの残虐に開いた口が塞がらない。もういったい誰と戦っているのか、なんのための戦争なのか、そんなことすら考えられなくなる究極の戦場だ。
やりすぎ、との海外での批判も受けたという塚本監督は、インタビューに答えて曰く、「現実のほうが遥かに残虐。これでも描き足りない」と。「戦後70年が経って戦争体験者がいなくなり、肉体的な実感をもって痛みや恐怖を語る人が少なくなると、国が戦争に傾いていく恐怖を感じている」と述べている(劇場用パンフレットより)。
ただ、危惧するのはここに描かれていることがやはり70年前の戦争だと思わせる点だ。ここまでひどい飢餓は今の戦争には起きないだろうし、こんなひどい状況にはならない、という反論が容易に想像できる。しかし、ひとたび始めた戦争はこのようにして最前線では戦われる。そんなことを本国の政治家は一つも実感を持って知ってはいなかった。そのことが戦争というものの本質を抉り出している。
原作にはなかった、戦後のシーンが追加されている。そこでは田村一等兵が書き物をしながらなにやらブツブツとつぶやいている。彼は既に戦場を遠く離れたが、病んだ魂はもはや戻らないのだ。彼は永遠に戦場の飢餓の中にいる。
必見作、といいたいけれど、もう二度と見たくない。PG12指定ってゆるすぎないか。
87分、日本、2014