去年見た映画のなかでもっとも映画らしい体験ができた作品。「2001年宇宙の旅」のような深遠な哲学的隠喩はないけれど、ストレートに伝わるメッセージが心地よい。
宇宙空間でシャトルの修理作業に勤しむライアン・ストーン(サンドラ・ブロック)とマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の二人は、ロシアが爆破した衛星の破片によって修復不能な打撃を受け、他のクルーは全員死亡し、地上との更新も途絶した。絶体絶命の危機にあってベテラン飛行士のマットと初飛行のライアンは必死に地球に戻ろうとする。…というサバイバルもの。このサバイバルが史上空前なのは、宇宙空間をここまでリアルに描いた映画がなかったということ。本物の宇宙飛行士が本作を見て「見事に宇宙空間を再現している」と驚嘆したという。
キュアロン監督には傑作「トゥモロー・ワールド」があるが、ドラマ性はあの映画にはかなわないとはいえ、この「ゼロ・グラビティ」もさすがの長回しで緊迫感をあおるのがうまい、としかいいようがない。どうやって撮影したのか本当に不思議になるほどスムーズに無重力状態を再現していて、感嘆の上にも感嘆。ライアンのヘルメット越しに宇宙と地球が写り、それがくるくると回転する美しさと迫力は筆舌に尽くしがたい。これほど、「画(え)を見てください、画を」としかいいようのない作品もなかなかない。
宇宙というのはこれほど恐ろしいところはなかろう。わたしは決してどんなことがあっても宇宙へなど行きたくない。ましてや宇宙船の外に出るなんていう恐ろしいことは絶対にやらない。かつて沖縄の深い海を覗き込んだとき、その深い深い青色にどれほどの恐怖を感じたことか。私が浮かんでいる海の下には何十メートルかわからない深い穴が開いていて、そこに落ち込めばもう二度と上がってこられない。その恐怖感に駆られてわたしは海にもぐることができなかった。だがそれでも一方で頭を上げれば燦燦と輝く太陽が眼に入り、陸地もちゃんと見えていて、手を伸ばせば土に届くのだ。それが大きな安心を生む。しかしこの宇宙空間は絶対の無であり、限界がない。踏みしめる大地がないことのなんという恐ろしさ。そんな恐怖の空間になぜ女性博士はやってきたのだろう。実は彼女は4歳の娘を突然の事故で亡くしていた。主人公が予め生きる希望を失っているという設定がこの映画のキモである。
ジョージ・クルーニーがかっこよすぎる。サンドラ・ブロック、見事な一人芝居だ。これほど登場人物の少ない密室劇でこれほど緊迫感に満ちてしかも面白い作品に仕上げたのはサンドラ・ブロックの演技力と「身体の演技」のよさに拠る。宇宙空間ではオムツを履いているのが本当のところらしいが、映画的には女優にオムツなどはかせられないから、彼女は「エイリアン」でシガニー・ウィーバーがタンクトップとショートパンツだけになっていたのと同じように、露出した姿で全画面を圧倒する。彼女ならなんとかするだろう、きっと地球に戻れるに違いないと観客を納得させられる素晴しい肉体だ。だから、「うっそ~!」と叫ばざるを得ないような驚異の「跳躍」にも納得せざるを得ない。そうか、その手があったか!
映像体験が素晴しいだけではなく、台詞が凝っていて、特にジョージ・クルーニーのお茶らけキャラが抜群にいい。彼が繰り出す与太話が最後までライアンを励まし続ける原動力となったことは特筆すべき。生きるか死ぬかの瀬戸際にユーモアを発揮できる余裕こそが人間の強さの証だろう。そういう意味でも、ライアンが「こんな素晴しいフライトはない」と叫ぶシーンの爽快さ、彼女の勇気に素直に感動した。
ストーリーのご都合主義を批判するレビューも見られるが、ご都合主義大いに結構、この映画はグイグイとご都合主義を乗り越えて前進する、根性と気合の入った作品。正月に見て今年もすっきり頑張ろう!
ラストシーン、地球の重力にとらわれたライアンはよろよろと立ち上がる。その瞬間に”Gravity”というタイトルが現れる。なんというタイミングの良い、センスのいいラストシーンだろう。ライアンの笑いとともに、この感動のラストシーンを仰角でとらえたカメラの良さに敬服した。2013年のベスト1。毛だらけの小男の話の続きを聞きたいよ!
GRAVITY
91分、 アメリカ、2013
製作・監督・脚本: アルフォンソ・キュアロン、共同脚本: ホナス・キュアロン、撮影: エマニュエル・ルベツキ、音楽: スティーヴン・プライス
出演: サンドラ・ブロック、 ジョージ・クルーニー
声の出演: エド・ハリス