吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

おおかみこどもの雨と雪

 さすがは細田守監督。号泣の母物語。個人的には今年のベスト1かも。

 シングルマザーへの応援歌であると同時に心情的シングルマザーの鬱屈した感情を発散させるカタルシス映画でもある。

 人間の姿をした狼の末裔という青年に恋をした少女の名は「花」。花が生まれたとき、裏庭にコスモスがいっぱい咲いていたからだという理由で亡き父が命名した。親を亡くして苦学中の花は国立大学の学生。設定からしてどうやら一橋大学のようだ。その大学に偽学生として紛れ込んでいたのが、かの狼男。孤独の影を背負い、懸命に勉学する姿に打たれた花は、彼が狼であるとカミングアウトしてもひるまない。やがて出産、子育て、二人目のお産。だが幸せな日々は続かず、狼男は狼の姿のまま事故死してしまう。

 このスティグマを抱えた狼男くんの姿がやるせなく切なく乙女心をくすぐる。花でなくても惹かれるだろう。わたしなら間違いなくこの狼男に恋をする。


 花は年子の幼い姉弟を育てるために大学を辞めて田舎暮らしを始める。都会でひっそり生きようにも、ちょっとした拍子に狼の姿になってしまう子どもたちを抱えていては生きていけないのだ。そして花は山奥の廃屋を借りて移り住むことにした。ここなら誰とも会わずに自給自足で生きていけるに違いない、と。こうして、花と子ども達の生活が始まった。姉の名は「雪」、弟は「雨」、二人は正反対の性格を持ったきょうだいだが、山の暮らしは狼の血を引く彼らには絶好ののびのびした環境であった…


 狼男が事故死した場面から泣き始めたわたしは、自分の妊娠・出産・子育てのしんどさを思い出してさらにいっそう泣けてきた。夜泣きする子どもを抱いて何度夜中の町を彷徨っただろう。花はたった一人でそのつらさを引き受け、泣き言もいわず懸命に子育てしている。なんといういじらしさだろう。何もかも自分の力でやり遂げようとする強い意志、子どもへの限りない愛、異形の者たちをも受け止めて愛してしまう包容力。だがそんな彼女ですら子どもたちを世間から隠して育てようとするのだ。こんなに強い母親なら、いっそ子ども達の姿も隠さなければいいのに、と思う。

 そして、一人だけで懸命に生きていこうとする花が、結局は地域の人々に教えられ助けられて生きていくことになる姿が感動的だ。頑張る人には必ず救いの手が差し伸べられるものだ。花が知った「先生」はぶっきらぼうで偏屈なお爺ちゃん。だがこの農業の先生は偏屈ながらも花を愛して止まない。菅原文太がこの老人の声を担当していて、たいそう存在感があった。


 学校が大好きなお転婆な雪はやがて思春期を迎えて女の子としての自我に目覚める。一方、学校に馴染めないおとなしい雨はいつしか山を駆け巡る楽しさを知る。二人は人間として生きていくのか狼として生きていくのか、我知らず人生の大きな岐路に立っていたのだった。


 この映画、子育ての経験のある人なら誰でも胸に迫るものがあるだろう。おおかみこどもを育てるという特別な設定などなくても、どんな子どももそれなりに手がかかり、どこかに何かしら問題を抱え、人は人との間に垣根を作って生きていこうとする。子どもも大人も大小さまざまな秘密や触れられたくない傷を抱えて生きている。それぞれの千々に乱れる思いを丁寧に掬い取ることにこの映画は成功し、その結果、多くの人がそれぞれに抱える困難に寄り添える普遍性を獲得した。

 子どもはいつか親の手を離れる。それがあまりにも早いとつらいが、自分の力で生きていくことを知った者の気高さは澄み渡る青空と共にわたしたちの心を未来へと運ぶ。


 巻頭の美しい花畑の、香りが漂ってきそうな繊細さといい、狼目線の疾走感の爽快さといい、相変わらず細田作品は画が素晴らしく、心が洗われる。



 これもまた図書館映画。花と”彼”は大学図書館で仲良く本を探し、花は田舎暮らしの中で移動図書館から子どもたちのために本を借りる。花の小さな書棚には本が並び、その背表紙を見ているだけで彼女の心根のやさしさや強い意志が伝わるようだ。生活の中に根ざした読書文化が素晴らしい。花の強さもしなやかさもこのような文化に裏打ちされてきたのだろう、と思わせる。

 と同時にミュージアム映画でもある。地域の自然史資料館に花は子連れで出勤する。その労働条件の厳しさも理事長の口から語られるが、花は迷うことなくここを働き場所として選ぶ。

 図書館とミュージアムがこれほど重要な場所として描かれているアニメは初めて観た。業界人は泣いて喜ぼう。

 帰途、思い出しては涙が溢れ、道々何度も反芻してはまた涙。最近これほど涙腺を刺激されたのは久しぶりか。

117分、日本、2012
監督・原作・脚本: 細田守、共同脚本:奥寺佐渡子、音楽: 高木正勝
声の出演: 宮崎あおい大沢たかお黒木華西井幸人、大野百花、加部亜門麻生久美子菅原文太