吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

八日目の蝉

 蝉は成虫となって地上に出て7日で死んでしまう。でももし八日目まで生き残った蝉がいたとしたらその蝉は幸せなのだろうか、不幸せなのだろうか。


 愛人の赤ん坊を誘拐して愛情豊かに4年間育てた女と、誘拐されて4歳のときに実の両親のもとに戻された、いまは21歳になった女。二人の女の物語が時間軸をいくつも交錯させて描かれる。どちらも愛に飢え、愛されることも愛することにも不器用だった女たちの、愛しぬいて傷ついた物語。


 原作未読なので原作と比べての評価はできない。そのほうがかえって新鮮な気持ちで映画を堪能できてよかった。正直いうとあまり期待していなかったし、巻頭のシーンは違和感がぬぐえない演出で、のっけからどうなることかと思ったのに、見終わったら深い感動に包まれていた。


 両親との関係がギクシャクしている女子学生秋山恵理菜(井上真央)はかつて4歳まで「薫」と呼ばれて母一人の手で育てられた。恵理菜には、父親の愛人野々宮希和子(永作博美)によって生後4ヶ月で誘拐され、その愛人が深い愛情で薫を育てたため、誘拐犯を本当の母親と思っていたという複雑な過去がある。4歳で突然、実の両親に引き合わされた恵理菜はしかし、両親に馴染めなかった。母は恵理菜を見るたびに「あの女を思い出す」と言って泣き喚き、「あの女がわたしたちの幸せを全部奪った」と憎しみを募らせる。父は「愛人に娘を誘拐された男」として全国に知られてしまい、職を失い職を転々とした。一家はいつも不幸だった。そして、両親との愛情をどのように育めばいいのかを知らずに育った恵理菜は親元を離れて一人暮らしを始めたが、妻子ある男性と付き合って、身ごもってしまう――


 映画は、裁判の場面から始まる。夫の愛人だった誘拐犯への憎しみを証言する妻(森口瑤子)の正面からのアップに続いて、誘拐犯野々宮希和子の証言が同じく正面からのアップで映し出される。観客はいきなり緊張の場面に引きずりこまれ、この特異な設定の物語の異様な始まりに戸惑いながらも、徐々に映画の世界に引き込まれていく。永作博美の渾身の演技とその赤ん坊のような童顔の愛らしさゆえ、彼女がさらった赤ん坊の可愛さと二重写しになって、わたしはすんなりとこの偽の母子に感情移入し、二人が幸せに逃げ切れるようにと祈り始める。赤ん坊を誘拐することによってよその家庭を不幸に陥れた女だというのに、この映画では嫉妬に駆られてヒステリーを起こす本妻のほうが悪人に見える。森口瑤子のぶち切れ演技が素晴らしく憎たらしい。そして優柔不断で「妻とは別れてちゃんとするから」とすぐに底が割れる嘘を平気でつく夫、この男もまた情けなくどうしようもない人間に見える。

 このように大人三人のキャラクターを設定しながら、観客を複雑な心境に陥らせる作品である。悪人は誰なのか? 誘拐は憎むべき犯罪だ。絶対に許されない。けれど、さらった子どもをほんとうに大事に大事に懸命に育てる希和子と、すくすく育つ薫(=恵理菜)の幸せそうな笑顔を見ていると、この映画の登場人物の誰もが我執にとらわれていることに慄然とし始める。みなが愛を求めて得られず、椅子取りゲームのように欲望をぶつけ合い奪い合っているのだ。

 実の両親と素直に愛情関係を結べないままの恵理菜に、もう一人の若い女性がからむ。フリーライターだという安藤千草(小池栄子)が恵理菜のことを本に書きたいと取材を申し入れてくるが、この千草が妙に馴れ馴れしく、他者との距離のとり方を知らない人物のようである。千草の気持ち悪さを小池栄子がまた実にうまく演じていて、この女優は地でこんなに気色悪い人物じゃないかと思わせるほどだ。


 登場人物が多くてそれぞれに印象的な役割と演技をみせるため、気を抜く暇のないまま、147分が過ぎた。とはいえ、途中で妙な間合いを入れたり、編集が不自然だったりという不完全なできばえが多少気になる。おまけに物語は何度も時間が前後するため、こういう構成に慣れない観客には分かりにくいだろう。


 恵理菜(=薫)の子ども時代を演じた子役渡邉このみがものすごく可愛いし、上手い。演技経験ゼロというのが信じられないぐらいだ。永作博美が本当の母親に見えるぐらいにこの二人はよく似ている。互いに深い愛情で結びつき、逃避行のさなかに二人はカルト集団に匿われたり(余貴美子の教祖様ぶりは不気味すぎて笑える。これ、必見)特異な体験をするのだが、いつも永作博美の聖母のような笑顔に観客は癒され惹きつけられるだろう。誘拐犯が「聖母」とは、大いなる矛盾である。


 愛にとらわれて愛を貫こうとすれば誰かを傷つけることになる。愛ほど始末の悪い欲望はない。愛に傷つき愛に引き裂かれた幼年時代をすごした恵理菜が、愛の無い大人になって、やがて自分の愛の原点を探しに小豆島までやってくる。小豆島の風景は小ぢんまりと懐かしく、うら寂しくも温かい。この映画を見て小豆島に行きたくてたまらなくなった。

 恵理菜は愛を見つけることができるのだろうか。彼女は生き直すことができるのか。そして誘拐犯野々宮希和子のその後は?



 八日目の蝉には生き延びたことを後悔するような世界が広がっているのか、それとも仲間の誰もが経験できなかった素晴らしい未知のものを知ることができるのか。タイトルにふさわしい結末だったかどうかは若干の疑問が残るが(それは原作にはきちんと描かれているのだろう)、切なく悲しく、最後は感動して涙が溢れる映画。よかったです。 

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147分、日本、2011
監督: 成島出、製作: 鳥羽乾二郎、秋元一孝、原作: 角田光代、脚本: 奥寺佐渡子、音楽: 安川午朗
出演: 井上真央永作博美、小池栄子、森口瑤子田中哲司市川実和子平田満渡邉このみ劇団ひとり余貴美子田中泯風吹ジュン