わたしが映画ファンになった頃、毎月読んでいた雑誌『ロードショー』のグラビアを飾っていたのがジャクリーン・ビセットだった。その頃のグラビア常連女優はほかにカトリーヌ・ドヌーブやラクウェル・ウェルチなどがいた。ジャクリーンの映画はとうとう一度も見ることなくこの歳になってしまったが、当時の彼女の美しさは今でも目に焼きついている。
生きて動いているジャクリーンを見るのは本作が初めてだ。やはりとても美しい。目の色が神秘的で吸い込まれるようだし、知的で繊細な雰囲気が漂い、かつかわいらしさの感じられる美女だ。
この作品じたいには、ストーリーと言えるほどのものは存在しない。ただ、映画の製作風景を再現したというだけのこと。けれどもこれが映画ファンにはたまらなくいい。映画という現実世界に虚構の異化作用を一瞬で持ち込む「カット!」という監督の叫び声、わたしなどはこの巻頭のシーンでいきなり引き込まれてしまって、もうトリュフォーの虜。あとはトリュフォー自身が演じる「監督」とすっかり同化して、映画製作の艱難辛苦を共に味わってしまった。
映画ファンなら、映画製作の現場を見てみたいという欲望を持っていることだろう。そしてもう一歩すすんで自分で映画を作って(出演して)みたいと思うのではなかろうか。そんな夢をくすぐる憎い映画だ。ニースを舞台にした画面は明るく楽しげで、しかもエキセントリックな劇中劇の場面と、現実の俳優やスタッフたちの人間模様があれこれと垣間見られて、ストーリーが二重三重にからまるおもしろさがある。
映画監督って本当に大変なんだとつくづく感じる。毎日毎日、山津波のように押し寄せる雑用・打ち合わせ・難問に果敢に取り組んでいかねばならない。次から次へとキャストもスタッフも問題を起こすし、プロデューサーはせっついてくるし、せっかく撮った場面が全部パアになったり、とにかく大変なことこの上ない。もうこれでお手上げかと思う場面でも監督は決して弱音を吐かないし、とにかく映画を作ることに執念を燃やす。ほんと、感動してしまう。
映画撮影の部分以外でもトラブルを起こす俳優たちの面倒まで見ないといけないなんて、監督って人望がなければやってられない。恋人に振られて自棄になり、勝手に役を降りようとする主役の若者と監督は言い争う。
「映画よりも人生だ」「人生より映画だ。私生活の悩みは誰にでもある。映画は私生活と違ってよどみなく進む」
いつも人生を映画に重ねて見てきたわたしには、この虚構の世界こそが足元を照らす導きの灯火となるものであり、感情の放出もまた映画の中のカタルシスとともにあった。トリュフォーといい、ゴダールといい、トルナトーレといい、映画への愛に溢れた作品を作る監督には限りない共感を覚える。
本作にはいろんな問題を抱えた人物たちが多彩に登場し、それぞれの細かなエピソードがつづられて行く。一つ一つはたぶん、どうということもない話だけれど、それらが「映画への情熱」という糸によって繋がれ、トリュフォーの洒脱な台詞によって紡がれていくと、映画ファンの琴線をかき鳴らす堪らない作品になる。この完成度の高さ! ストーリーはよくよく考えてみればめちゃくちゃなのに、最後には大いなる満足感に浸ることができる。
映画ファン必見の作品。バッハのブランデンブルク協奏曲を彷彿させる音楽もすごくいい。「ニュー・シネマ・パラダイス」とはまた違った、映画ファンへ贈る愛の一編だ。
ところで、「アメリカの夜」とは、夜のシーンを昼間に撮るためにレンズにフィルターをつける、ハリウッド映画がよく使う手法のことを指す。つまり、嘘っぱちっていうこと。昼を夜に見せるのが映画なのだ。映画という虚構の装置をいかに作り上げるのか、その「真実」を描いたのが本作だ。ただし、ゴダールに言わせると、トリュフォーは嘘を描いているというのだが。曰く、「彼はほかの人たちについては平気でいろんな物語をでっちあげているにもかかわらず、自分とジャクリーン・ビセットの」個人的で親密な関係を描いていない、と。さらに、この映画がアカデミー最優秀外国語映画賞を受賞した理由は「映画というものがどういうものかを――明らかにするように見せかけながら――見事におおい隠したからです。人々には理解できないような魔術的トリックをつかい、きわめて快いと同時に不快でもある世界をおびきよせたからなのです。人々にむしろ、自分はそうした世界には属していないという安心感を与え、それと同時に、映画を見るたびきちんと5ドル払うことの喜びといったものを感じさせたからなのです」(『映画史』1)(レンタルDVD)
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La Nuit Americane
117分、フランス、イタリア、1973年
製作・監督・脚本: フランソワ・トリュフォー、脚本:ジャン=ルイ・リシャール、シュザンヌ・シフマン、撮影: ピエール=ウィリアム・グレン、音楽: ジョルジュ・ドルリュー
出演: ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・レオ、ジャン=ピエール・オーモン、アレクサンドラ・スチュワルト、フランソワ・トリュフォー