吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

ジョゼと虎と魚たち

f:id:ginyu:20201006232810p:plain

 巻頭、懐かしい思い出が詰まったアルバムを見ながら一人語りする若者の声が流れる。ジョゼという少女と行った旅行の写真が次々と画面に現れる。せっかく行ったのに水族館は休館。砂浜では貝殻を拾った。ラブホテルの写真もある。「いや、これはそのぉ、あいつが泊まりたいっていうからさぁ」
 美しい思い出をたどる巻頭のシーンが数年前の二人の出会いへと戻り、なくしてしまった恋の物語が始まる。それは大学生と障害ある少女の儚い恋物語
 ジョゼと名乗る少女がもっと可憐でいたいけで素直な女の子かと思っていたわたしは、度肝を抜かれた。大阪の下町に祖母と二人隠れ住むように暮らす足の不自由なジョゼは、下品で口の利き方もなっていない、ぶっきらぼうで無愛想でかわいげもない、けれども不思議なパワーと知性を秘めた少女だった。
 ジョゼの作る出汁巻き卵のおいしそうなこと! このおいしい食事に誘われて恒夫は彼女の家へ足繁く通う。偶然の出会いから始まる日々からはそんなに簡単に恋が生まれ育つわけではない。九州出身の恒夫は大阪で一人暮らし。けっこう男前だから、女子学生は何人も近づいてくるし、彼もごく普通のスケベな男子学生だから、女の子たちにはきっちり手を出す。
 ジョゼもまた偏屈な祖母と二人暮らしで偏屈ひねくれパワーを全開させているから、この二人の会話はまるで漫才のようにおもしろい。ふつうの大阪弁の会話よりかなりスピードは遅く、のらりくらりぼそぼそとしゃべるジョゼの間合いがなんともいえず可笑しい。素直じゃないジョゼが、それでも恒夫に惹かれていることが観客には痛いほどよくわかって、見ている方もすっかりつらくなる。

 祖母を亡くしてひとりぽっちになったジョゼが恒夫に初めて弱みを見せる場面は、涙を誘う。「帰れと言われて帰るようなやつは、帰れ!」と泣き崩れるジョゼ。ほとんど女性客しかいなかった場内からすすり泣きが漏れた場面だ。見事に女心を描いたこの科白、この一言。この映画は脚本があまりにも素晴らしいので、感嘆してしまう。
 この映画の全編にわたって交わされる大阪弁の会話がとても自然でユーモラスで心地よい。妻夫木、池脇の主役二人はもちろん大熱演だ(熱演すぎるキスシーンにはちょっと閉口したが。わたしとしては、もっとあっさりやってほしい)。とりわけ池脇千鶴の演技や表情にはいじらしさや可愛らしさが溢れ、そのあどけない顔から憎まれ口がこぼれたりするのも微笑ましい。
 ジョゼと恒夫の二人が動物園で虎を見る場面も、ラブホテル「お魚の館」で見る魚の幻想的ライトも、美しく心に残るシーンだ。海も魚も旅行もジョゼにとっては何もかもが初めての世界。彼女は恒夫と暮らすことで初めて外の世界を知ったのだった。けれど、そんな暮らしがいつまでも続かないことをジョゼは知っていた……。
 恋人をジョゼに取られた香苗がジョゼの前に立ちはだかり、殴る場面が印象深い。香苗は「福祉の仕事に就きたいんです」とお嬢様らしいかわいい顔をほころばせて夢を語っていたのに、身障者が自分の恋人をとったとわかるや、「障害者の癖にわたしの恋人をとるなんて」と怒りに震える。香苗の偽善性が顕わになる場面なのだが、同時にここで初めて彼女は身障者と対等になったといえるだろう。香苗はジョゼを殴る。相手を弱者と思っていないからこそ殴ることができるのだ。さらに彼女は殴り返そうと手を挙げたジョゼに頬を差し出す。こういう「バリアフリー」もあるのだな。
 この場面を坂道で撮った犬童監督の強い演出意図を感じる。坂道を登る途中でジョゼが乗った乳母車が止まる。その前に立ちはだかる香苗を仰角で撮る。ジョゼの視線から見える香苗は大きく、鬼のようだ。乳母車を押すのは幼い少女。乳母車は坂道の途中で止まるという不安定な状態。観客は不安と緊張感で息が詰まるような思いでこの場面を固唾を呑んで見守ってしまう。うまい!
 ラストシーン、魚の切り身を焼くジョゼの美しいこと。それまでボサボサだった髪を引っつめ、きりりとした眉から意志の力が静かに放出される。固く結んだ口元からは微かに笑みが漂っているようにすら錯覚してしまう。ジョゼは強く逞しく生きる。虎と魚の思い出とともに。
 恋のためらいも喜びも空しさも切なさも、すべての感情が込められた素晴らしい作品だ。もう恋愛とは無関係な中高年にこそお奨め。こういう思いは映画の中でしか味わえない。忘れてしまった感情と想い出が吹き出して、多くの観客から心を絞るような感情を引き出すだろう。

 

 以下、完全ネタバレ注意


 男の愛というのはこんなに情けないものなんだろうか。九州男児は強くあらねばと育てられたであろうに、恒夫は情けなくも逃げる。困難に立ち向かうこともできず、愛を貫く勇気もなく、かわいい女の子にはふらふらと惹かれる。男の愛は結局は受け身なのだ。いまどき、女のほうがずっと強い。恒夫と別れたジョゼはこれから一人逞しく生きるだろう。だが、恒夫はいつまでも思い出から自由になれず、ジョゼを捨てた呵責に心をひくつかせながら生きるのだ。
 その情けない姿に哀れを感じて、もらい泣きしてしまう観客も多そうだ。ラストシーンの泣き崩れる恒夫の姿と凛としたジョゼの姿の対比は、深い感慨を呼ぶ。物語が決して悲しいだけのものではなかったと思わせるものがある。あっさりしすぎている別れのシーンも、ジョゼらしくていい。
 人はいつだって強く生きる、なんてことはできない。わたしは恒夫の脆さや弱さの中にこそ自分自身を見てしまう。

制作年 : 2003

上映時間:116分

制作国:日本

監督: 犬童一心

制作: 久保田修

原作: 田辺聖子

脚本: 渡辺あや

撮影: 蔦井孝洋

音楽: くるり

出演: 妻夫木聡池脇千鶴新井浩文上野樹里、江口徳子、新屋英子藤沢大悟、 陰山泰、真理アンヌ、板尾創路