吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

THE GUILTY/ギルティ

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 画面に登場する主要人物は主人公の警官たった一人。場面は警察署のコールセンターのみ。これほど金のかかっていない映画も珍しいだろう。舞台劇でも再現可能な物語だ。それでも、これほど緊迫感に溢れる映画が作れるということにまずは感動した。そして、なぜ本作のタイトルが”GUILTY”なのか、それも "the" がついている、そのことに思い至った衝撃のラストシーン。これほど見事な脚本と演出の映画も珍しい。まずは喝采を送りたい。

 さて物語は。

 主人公のアスガーは、警察の緊急ダイヤル専用オペレーター。現場に一刻も早く戻りたい彼にすれば退屈な仕事だ。酔っ払いが転倒したとか、売春婦にパソコンを盗まれたとか、彼にしてみればどうでもいいような電話ばかりかかってくる。このアスガーを演じたヤコブ・セーダーグレンがわたしの大好きなケヴィン・コスナーによく似たイケメンなので、見ているだけで飽きない。ほとんど彼のアップばかりが映るんだから、これでもしも自分の好みと違う俳優が出てきたらもう悲劇だ。せっかくの素晴らしい作品が台無しになるではないか! でもこの映画はハリウッドがジェイク・ギレンホール主演でリメイクするんだそう。これはたまりません、あの顔を90分アップで見続けるなんて拷問だ。

 それはさておき、アスガーが受け取った一通の緊急電話がどうやら誘拐事件らしいことがわかり、俄然、画面は緊迫感を帯びていく。機転を利かせたアスガーは、誘拐された女性に適切なアドバイスを繰り返す。

 そうこうするうちに、「明日は大切な日だから」と同僚や上司に言われ続けるアスガーは、どうやらなにかの事件を抱えているらしいことが徐々にわかってくる。彼はその事件がらみで左遷されていること。あしたの公判をうまくしのげればあとは現場復帰がかなうということ。さまざまなアスガーの状況が明らかになる。

 そのいっぽうで、本編たる誘拐事件は刻一刻と油断ならない展開を見せる。ワンカットではないけれど、事件の進行と画面上の時間はほぼ同じだ。電話が途切れて沈黙が続く時間もじっと観客はアスガーとともに耐えねばならない。

 アスガー以外に登場する人物たちは電話を通してその姿を想像するしかないため、この映画では音が非常に重要な要素を占める。誘拐された女性の6歳の娘が電話口で泣きじゃくる様はまさに鬼気迫る。信じられないぐらいの演技力に驚くしかない。その他、雨音やドアを閉める音、靴音、さまざまな音が電話越しに聞こえてくる。この音の効果が素晴らしい。

 人は正しいことをすれば気持ちがいい。適切な判断のもとに適切な助言をし、それが事件の解決に向かえばなによりだ。そのことに誇りを感じるだろう。しかし、その「適切な判断」が間違っていたら? 正義と不正のはざまにいることがやがて明らかになる警官アスガーは、自らの罪と向き合うことになる。そこに至る脚本の見事さに脱帽。

 ラスト、彼がかけた電話の相手は誰だろう? 見ごたえのある一作。お薦め。

(2018)
DEN SKYLDIGE
88分、デンマーク
監督:グスタフ・モーラー製作:リナ・フリント、脚本:グスタフ・モーラーエミール・ニゴー・アルバートセン、楽:カール・コールマン
出演:ヤコブ・セーダーグレン

シンプル・フェイバー

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  シンプル・フェイバー、つまり「ささやかな頼み事」。この映画ではそれが「ちょっと、うちの子のお迎えを頼める?」というもの。しかしそれがきっかけでとんでもない事件へと発展する。
 巻頭、大音量でフレンチポップスがかかる。懐かしい”ÇA S'EST ARRANGE”! すでにノリノリ。 この映画全体でいったい何曲かかったのかというぐらい、フレンチポップス祭りである。ポール・フェイグ監督の趣味だそうな。そして、主人公ステファニーの親友である超絶かっこいいエミリー(ブレイク・ライヴリー)が住んでいるバブリーな家がまたおしゃれでたまりません。とにかくおしゃれな映画なので、その点は眼福、耳福。
 女同士で憧れたり惹かれあったりするのって、すごくよくわかる。何しろブレイク・ライヴリーですからね、どう見たってかっこいい。そのかっこいい彼女がさらに素敵なパンツスーツですらりとした長身を目立たせながら登場するんですよ、ピンヒール履いて! すごいわ、すごい。こんなかっこいいキャリアウーマンのママを見たら、その瞬間に恋するよね、絶対にあこがれると思う。だから、主人公のシングルマザー、ステファニーが何か勘違いしてすっかり親友気取りになる気持ちもわかる。たった数週間のつきあいで「彼女はわたしの親友なの」と公言する馬鹿さ加減もあきれるが、それ以上に、「わたしの親友が行方不明なの」と涙声で語る動画をアップして毎日のようにブログを更新する自意識過剰ぶりにも驚く。こうして彼女は「親友」の行方不明を意識的にか無意識的にか利用して、ブログのフォロワーを増やすのである。
 物語は当初、エミリーが行方不明になったというミステリーとして展開する。やがて彼女は死体で発見され、彼女の夫のこれまた超絶かっこいいアジア系のショーンが悲嘆にくれる。これほどの美男美女のカップルってそうそうは見当たりませんよ。しかしそこから物語は二転三転していく。
 途中からはちょっとホラーの味付けがなされて、ぎょっとさせられるのだが、恐ろしさに震えあがりそうになったら途端にはしごを外すような演出でかわされてしまう。気が付いたらコメディになっていて、最後は笑ってしまったという、よくわからないお話。演出のぶれが激しすぎて、わざとやっているのか単に下手なだけなのかよくわからない。でもとにかく面白かったことは確かであり、ステファニーのセリフで言及されるフランス映画「悪魔のような女」みたいな展開を見せる。てっきり「悪魔のような女」のリメイクかと思いきや。。。
 結局恐ろしいのは女、ということかな。男がばかなだけかもしれない。
 まあ、金持ちにあこがれるとか美女にあこがれるという凡人を笑う映画かもしれない。
シンプルフェイバー(2018)
A SIMPLE FAVOR
117分、アメリカ/カナダ
監督:ポール・フェイグ
原作:ダーシー・ベル『ささやかな頼み』、脚本:ジェシカ・シャーザー、音楽:セオドア・シャピロ

グリーンブック

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 早くも今年のナンバー1が決まり!という感じ。やっぱりわたしは音楽映画が好きなんだと実感した作品でありました。

 1962年のニューヨーク、イタリア系移民のトニー・ヴァレロンガはナイトクラブで用心棒を務めていたが、店が改装のため休業になる8週間、黒人ピアニストの"ドクター"・ドナルド・シャーリーの運転手兼ボディガードに雇われることになった。黒人を差別していたトニーだが、ドン(ドナルド)・シャーリーの天才的な音楽に感動し、またその品格に触れていくことによって徐々にドンとの距離を縮めていく。公民権法が成立していないこの時代にあえて南部を回るという「暴挙」ともいえる旅に出たシャーリーを案内していくのもトニーの役目だ。彼は『グリーンブック』という黒人専用施設の情報が載っているガイドブックを頼りにドンと共に旅を続けるうちに、Deepサウスの人種差別のひどさに直面することとなる。

 本作は典型的なジャンル映画だ。バディもの、ロードムービー、そして大人のビルディングズロマン。さらに典型的な予定調和の物語。実話を基にしているだけに奇抜なストーリー展開もないし、奇をてらったような演出もない。実に素直な作品で、優れた脚本と優れた役者、素晴らしい音楽のおかげでアカデミー賞作品賞を獲った。作品と俳優と脚本と編集はノミネートされたのに監督はノミネートされていないというかわいそうな映画ではあるが、実にすがすがしい気持ちになれる、観てよかったと思える後味のよい作品だ。

 物語の最初と最後では主人公たちは変化し、成長している。そのことがとても好ましい。無自覚な差別者だったトニーがドンの孤独と苦しみを知って変わっていく。上流階級の暮らしに慣れた天才ピアニストのドンがどれほどの孤独と引き裂かれた思いに耐えていたのか、彼のかたくなな心を溶かしていったのはトニーの天真爛漫で陽気な気質、武骨だけれど暖かな人柄だった。何よりも、トニーはドンを尊敬していた。

 役のために20キロ太ったヴィゴ・モーテンセンの面影もないほどの変身ぶりに驚かされた。そして、本当に陽気なイタリア人やくざに見えてしまうから役者のプロ根性は驚くべきものだ。アカデミー賞を獲ったマハーシャラ・アリのピアノにも驚いた。これはボディ・ダブルというか、プロのピアニストが弾いていて、難しいところは編集でうまく繋いでマハーシャラ・アリが弾いているように見せているそうだ。これまた編集さんえらい! アカデミー賞をやってほしい!

 ところで、本作に対してスパイク・リーが酷評を投げているが、いちゃもんつけにしか思えない。ホワイトスプレイニングだとか言われているようだが、むしろわたしがこの映画の中で気になったのは、ドンの上から目線態度だ。トニーが一生懸命書いている手紙を読んで、偉そうに「直してやる」とおせっかいをするところはまだいい。トニーが「コツをつかんだから自分で書けるようになった(ので校正を頼まなかった)」と言っているときにトニーの手から手紙をひったくって「直してやるよ」と偉そうに言うのがわたしにはカチンとくる。つまり、ここでは上下の格差が人種ではなく階層によって決定されているのだ。黒人だがインテリで芸術家のドンと、白人でも無学のトニーという格差。結果的にトニーの手紙はずいぶんうまくなったので、それをドンも認めるわけだが。この手紙のエピソードは最後に生きてくる。その時のドンの笑顔が素晴らしい。 

 天才ピアニストとして登場するときには黒人であっても尊重されるが、ただの一人の黒人になったとき、露骨で暴力的な差別を受ける。それが社会的差別の実態というものだろう。わたしたちは差別の様々な、そして複雑な位相を理解することが必要なのだということをこの映画を通じて知ることができる。最後には「個」としてのドンとトニーが互いを信頼することができた、そのことが感動を呼ぶ。ほんとうにすがすがしい映画だ。

(2018)
GREEN BOOK
130分
アメリ

監督:ピーター・ファレリー
製作:ジム・バーク、ニック・ヴァレロンガほか
脚本:ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー
撮影:ショーン・ポーター
音楽:クリス・バワーズ
出演:ヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリリンダ・カーデリーニ

ブルゴーニュで会いましょう

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 ずらりと並ぶワインとグラスがアップで写る巻頭。軽快なジャズボーカルが流れるこの場面がおしゃれだ。そのワインを次々とテイスティングするかっこいいお兄ちゃんはシャルリという名のワイン評論家。ソムリエとはまた違うんだな。彼はワインの評価をして本を出版する。かなりの影響力のある成功した評論家であるシャルリはワイナリーの跡取り息子だったのだが、頑固な父親と衝突して家を出てしまい、パリで華やかな生活をしていたのだった。

 しかし、実家の畑が借金のかたに人手に渡りそうだと知って、やむなく田舎に戻って来てワインづくりに精出すこととなる。ワインの味はわかっても、作るのはド素人の彼は、隣家のワイナリーの手助けも得て昔ながらの製法で葡萄畑を耕し、ワインを作ろうと決意する。。。。

 ボルドーのワイナリーをディスる親父。「ボルドーには販促のプロ、資本家、建築家ばかりで醸造家がいない」とボルドーから買い付けに来たワイナリーの経営者を面罵する父にうんざりするシャルリだった。

 牛を使い、また、人力によって丘陵地帯を登りながら畑を耕す作業は重労働だ。その重労働ぶりが画面からはさほどには感じられなかったのが残念。ブルゴーニュの葡萄畑の光景は圧巻だ。地平線のかなたまで広がる丘陵地帯すべてが葡萄畑だ。ここからいったいどれだけ多くのワインが採れるのだろうと思うとわくわくする。

 父との対立や隣家の娘との恋愛など、それなりの波乱万丈があっても、シャルリのワイン造りは懸命の努力と勉強によって着実に進んでいく。物語は予想通りの予定調和を迎えるという安心路線を行くので、ストレスなく見られる。なんといってもワインが美味しそうだし、料理もそそられるし、なかなかいいんじゃないでしょうか。

  この映画がどれだけフランスのワイナリーの実態を反映しているのかはわからないが、伝統産業とりわけ第1次産業の跡取りが人手不足であることは容易に想像がつくから、こういう苦悩はあちこちでみられるのではないだろうか。

 根が単純なわたしはこういう映画を観るとすぐにワインが飲みたくなる。美味しそうな映画を観るとすぐに食べに行きたくなる。で、よく考えてみたらボルドーだろうがブルゴーニュだろうが、ワインの味なんかわからないんだよね。美味しいか美味しくないかは自分の好みに合うかどうかだけ。ロマネコンティなんか飲まされたってきっと美味しいと思わないだろうし、ボジョレー・ヌーヴォーが美味しいなあと思うような人種なんだから、ワイン通からは嘲笑されるだけだと思うが、とにかく美味しそうに思えたので、とりあえずイオンで売ってた3リットルの箱入りワイン(1500円)を楽しく飲んでる。最近こればっかり飲んでいて、けっこう気に入ってます。(Amazonプライムビデオ)

2015
PREMIERS CRUS

97分、フランス
監督:ジェローム・ル・メール、脚本:レミ・ブザンソンほか、音楽:ジャン=クロード・プティ
出演:ジェラール・ランヴァン、ジャリル・レスペール、アリス・タグリオーニローラ・スメット、マリー・マレシャル

麒麟の翼 ~劇場版・新参者~

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 あ、これはシリーズものだったのか。テレビで放送していたドラマの劇場版ね。なるほど、それでキャラクターの説明があまりなかったわけだ。

 労災問題が登場するのだが、気になるセリフが。「労災なら、治療費は会社から出るだろう」と登場人物の一人が言う。これ、間違いです。労災なら、治療費は保険から降りるのです。このへんの詰めが甘いな。労働問題を取り扱うならちゃんと調べてほしいわ。

 で、わりと本格的なミステリーなのだが、どうにもその本格的というあたりに実感がない。たとえばイギリスドラマ「シャーロック」に見るような見事な推理が展開されるわけでもなくて。主人公の刑事はなんでも「勘」で怪しいと思うみたいで、非科学的なのである。

 登場人物が多くて話の筋が変わるので若干わかりにくいが、当初、まったく謎の殺人事件と思われた事件が徐々に真相が明らかになるつれて、被害者の人間像が浮かび上がり、彼がとてもいいひとであったことが判明して切なくなる。明らかな悪人が存在しないにも関わらず、多くの人が不幸になるという展開がいたたまれない。まあ、それもこれも被害者たる父親の優柔不断や判断ミスが引き起こした悲劇であるのだが。

 被害者が倒れていた場所が東京日本橋麒麟像の下。ここが江戸の起点だから、というのがその理由だ。そういえば東海道はここから始まるのだよね。

 最後の場面、刑事が教師を説教するのが鬱陶しい。これが無ければよかったのにねぇ。(Amazonプライムビデオ)

クレイジー・フォー・マウンテン

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 原題は「マウンテン」だけなのに、そこに「クレイジー」という言葉を足したくなる気持ちはわかる! ほんと、頭おかしいよね(褒めてる)。この映画は、世界中の名山を舞台にありとあらゆる手段で駆け上り駈け下りるクレイジーな人々を追ったドキュメンタリー。そして、映像詩でもある。
 映像詩だけに、音楽と映像美を堪能する作りになっているところが、実はわたしには気に入らない。「この映像は何年のどの山なのか、ちゃんと説明してほしい!」と思うことしきり。やはりわたしは実証的な記録を求めてしまう癖がついているのか、ついつい、固有名詞と固有の時間を知りたくなる。しかしそんな人間の欲望を尻目に、この映画は固有名詞も数字もしったこっちゃないという態度を見せる。憎たらしい。
 なので、見ている間中、ここはエベレストなのかマッターホルンなのかマッキンリー(今ではデナリ)か、などとあれこれと考えてしまう。しかもナレーションがウィレム・デフォーである。最初から最後まで誰がナレーターなのかわからなかった不覚のわたくし、あとで知ってからは「なるほど」と思うほど淡々と、そして深い陰影に満ちた声であった。
 で、何がクレイジーなのかといえば、まずは巻頭。ロッククライミングの場面で息をのむ。フリークライミングと呼ばれるその手法は、命綱もつけずに断崖絶壁にへばりついて素手だけで何百メートルも岸壁を登っていくのである。この瞬間にわたしは「ばかか、ほとんど死んでいる。生命保険も下りないなー」とあれこれ考えてしまった。命を10個ぐらいは神様に差し上げたも同然。
 登山の場面だけではなくて、スキーで滑空するさまも写されていて、これはもう撮影するほうも大変だなと感嘆。いつも思うけど、山岳撮影はカメラマンがいちばん偉い。
 山の峰をマウンテンバイクで走る様なんて、狂気の沙汰。高いところが怖いわたしからすれば、開いた口が塞がらない。ついでに綱渡りも登場しましたよ、どうやってロープを渡したんだろう。
 まあとにかく口あんぐりと開けているうちにあっという間の74分が過ぎて行った、という感じ。映像が綺麗だから退屈せずに見られる、お薦め作。 (レンタルDVD)
クレイジーフォーマウンテン
2017
MOUNTAIN
74分、オーストラリア
製作・監督・脚本:ジェニファー・ピーダム
撮影:レナン・オズターク
音楽:リチャード・トネッティ
ナレーション:ウィレム・デフォー
言葉:ロバート・マクファーレン

天才作家の妻 ―40年目の真実―

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 グレン・クローズに主演女優賞を差し上げたいが、作品賞は無理。彼女の演技が素晴らしいので目を見張るが、映画としてはさほどの優れた点は感じられない。いかにも原作小説がありそうなお話で、古典的な演出なので、大画面で見るほどのことはなさそうな感じがする。
 とはいえ、夫婦が激突していく会話の緊張感はなかなかスリリングで、ベルイマン作品ぽさがある(ベルイマンに比べると甘さが残る)。
 さて物語は。老境を迎えた夫婦のもとに「ノーベル文学賞受賞おめでとうございます」という電話がかかってくる。時代はどうやらクリントン大統領の頃らしいので、1995年ぐらい。この夫婦、作家として名を成した夫ジョセフの作品はすべて妻のジョーンが書いていたのだった。それは世間に絶対知られてはならない二人だけの秘密だ。しかし、大作家ジョセフの伝記を書こうと夫婦の周囲をかぎまわるライターのナサニエルはその秘密を暴こうとする。ノーベル賞の授賞式が行われるストックホルムに向かう夫妻とともにナサニエルストックホルムにやってきた。果して大スキャンダルは暴かれるのか。
 という、なかなかに緊張感のあるストーリー。ノーベル賞授賞式の楽屋裏も垣間見えるので、たいへん興味深い。しかしながら、大画面で見てこその広がりや奥行がほとんど見られないのが残念。また、原作小説が2003年に発表されていて、なんで今頃その映画を作るのか、意図がよくわからない。物語は1958年に始まり、女性が抑圧されている時代から40年が経ってもまだかわらない世の中への怒りを込めたとしたのなら、今の時代性を映画に込めるべきではなかったか。21世紀の映画なのだから、もう少しヒロインの性格付けをアグレッシブにしてもよさそうと思ってしまった。とりわけ、MeeTooの嵐の後では。
 そして、妻を支配していたようで実は支配されていたのではないかと思えるジョセフ、彼の心理があまりこの映画ではわからなかったのだが、自信のない男に限って異性の前では自分を大きく見せようとし、挙句に次々と浮気を繰り返していたものと推測できる。本来彼は優秀な編集者だったのだろう。ストーリーを思い付く才能もあったはずだ。だったらその仕事に徹すればよかったのだ。しかし時代がそうはさせなかったという、男にとっても女にとっても不幸な1950年代だったと言えるだろう。 
 さて、ラストシーンのその後について考えてみよう。この映画は何通りにもその後を考えることができるので、そこが優れた点だ。以下、完全ネタばれにつきご注意。
 
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「すべてを話すわ」と息子に言ったジョーンは何を考えているのだろうか。彼女にすれば自分の作品をこれからも書きたい。しかし夫は亡くなってしまった。次は自分の作品を息子の名前で発表し、息子を小説家として大成させるのか? いずれ息子が10年もすれば真実を語るときがくるのではなかろうか。「夫の名誉を傷つけたら訴える」とライターのナサニエルに釘を刺した本心はいずこに。
 あるいは、しかるべき時間が経てば彼女が実名で小説を書くのか。そうなると夫との作風の酷似が批評されるだろう。
 三つ目の選択肢。ジョーンが真実を告白する。その時、ジョセフへのノーベル賞は剥奪されてしまうだろうが、だからといってジョーンに与えなおされるとは限らない。
 いろいろと「損得」(金、名誉、自尊心)を考えたとき、ジョーンはどういう選択をするのだろう。とても興味がわく。 
(2019)
THE WIFE
101分、スウェーデンアメリカ/イギリス
監督:ビョルン・ルンゲ、
製作:ロザリー・スウェドリンほか、原作:メグ・ウォリッツァー、脚本:ジェーン・アンダーソン、撮影:ウルフ・ブラントース、音楽:ジョスリン・プーク
出演:グレン・クローズジョナサン・プライスクリスチャン・スレイターマックス・アイアンズ、ハリー・ロイド、アニー・スターク