吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

運命は踊る

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 イスラエルに住む裕福な家庭のもとにある日突然軍の関係者がやってきて、「息子さんのヨナタンが昨夜亡くなりました」と告げる。その言葉を聞いた若く美しい母親は卒倒し、父親は冷静を装いながらも感情のやり場に困惑し、絶望に震える。だがそれは誤報であることがその日のうちにわかり、再びやってきた軍人たちに怒りを爆発させた父親は「今すぐ息子を連れ戻せ!」と怒鳴り散らす。軍の上層部にコネがあると吐き捨てる父親は激情のままに携帯電話を手に取った。息子を取り戻すために。
 いきなり衝撃的な場面から始まる本作は、最後までその緊張の高さを持続する。全体が三部に分かれた構成といい、強度の高い物語性といい、ギリシャ悲劇を思わせるものがある。原題は「フォックストロット」。アメリカで流行した簡単なステップの社交ダンスのことを指す。ボックス型に足を運び、元のところに戻ってくる。これは本作のテーマである「運命は帰るべきところに戻る」の隠喩である。映画の中でこのステップは3度登場する。これもまた三部作の三部それぞれに用意されたステップが異なる側面を見せ、観客に強いインパクトを残す。
 強いセリフのやりとりと激しい感情が行きかう第1部とうってかわり、第2部のヨナタンの赴任地ではあまりにも退屈な国境警備が描かれる。ヨナタンと同じく二十歳ぐらいの若い兵士4人が守る検問所では、ラクダがのんびりと通過するたびに遮断機を上げる。たまに通り過ぎる車を止めては身分証明書を確認する。それだけのことだが、彼らは検問を通過する人々に極めて冷淡な態度をとり、雨の中でも平気で通行人を立たせておく。だがある夜、いつものように退屈な警備の最中に事件が起きた。ヨナタンの運命が狂っていく。
 第3部、ヨナタンの二十歳の誕生日を祝うケーキを作る母親。罪を告白する父親は、その罪が自身を苦しめていたことをようやく妻に語るのだった。しかしそれは遅すぎた贖罪の言葉だったのかもしれない。
 ホロコーストの生存者の子孫であるヨナタンは、代々伝わる物語を仲間の兵士に語った。上級将校は「今は戦争をしているんだ。戦争ではなんでもありだ」と強面の表情を崩さずに冷淡に言い放った。すべてのセリフがこの国、イスラエルの歴史と現状を指し示す含蓄に満ちていて、時にユーモラスに、時に苦く観客の感情に響いてくる。
 他責の言葉は自らを撃つ。ホロコーストの被害者が強者へと生まれ変わろうとし、他責・他罰の思考に凝り固まり、夫が軍を妻が夫を責めたとき、運命の歯車はフォックストロットのステップとともに動き始めた。
 本作のカメラはしばしば天井から見下ろす位置をとる。それは運命を嘲笑うかのように、人知を超えたものの存在を知らしめるように、観客とともに神の位置を独占する。ラストシーンは巻頭のシーンと同じ、イスラエル北部の広野の一本道が映し出される。運命はどこに向かったのか。それはどうあがいても変えることができないものだったのだろうか。
 いつまでも余韻が残る作品。ベネチア映画祭で銀獅子賞受賞。

FOXTROT
113分、イスラエル/ドイツ/フランス/スイス、2017
監督・脚本:サミュエル・マオズ、音楽:オフィル・レイボビッチ、アミト・ポツナンスキー
出演:リオル・アシュケナージ、サラ・アドラーヨナタン・シライ、ゲフェン・バルカイ、デケル・アディン、シャウル・アミール、カリン・ウゴウスキー

愛と法

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 大阪で開業する弁護士夫夫(ふうふ)の日常を追ったドキュメンタリー。二人の名前はカズとフミ。二人で「なんもり法律事務所」を開業したのは2013年のこと。映画は2014年、性の多様性を祝福する「レインボーフェスタ」会場で派手なTシャツ姿の二人が壇上に上がる場面から始まる。

 そして時間は少しさかのぼって二人の結婚式のビデオが流れる。家族に祝福されて結婚した二人は、ゲイのカップル。そして、彼らの法律事務所では二人を祝福してくれたカズの母親も働いている。初めて息子がカミングアウトしたとき、母も兄もその事実を受け止められず、激しい口論になったという。しかし、その時の母の言葉「だって、知らなかったもん。誰も教えてくれなかったもん」を聞いてカズはハッとした。「そうか、知らない人のことは責められない」
 このドキュメンタリーはカズこと南和行、フミこと吉田昌史の二人の家庭と仕事の日々を記録していく。生活も仕事も一緒という二人は時には言い争い、喧嘩もする。それはどんな夫婦も家族もそうであるように、普通のカップルなのだ。そして二人はとても仲がいい。
 なんもり事務所で扱っている事件も映画の中で紹介される。猥褻物陳列罪で起訴された「ろくでなし子」さん、「無戸籍者問題」の当事者、「君が代不起立」で処分された教師など、二人はさまざまな人々の反差別・人権獲得訴訟に取り組んでいる。そしてカズは音楽活動にも精を出し、プロモーションビデオを撮影して二人で照れ笑いもしながらその動画を見ている。
 そんな二人のマンションに一人の少年が同居することになった。フミが身元引受人になったため、一時的に引き取ったものだが、彼は弁護士たちが同性婚していることを「ふつうやん」と受け止める自由な感性の持ち主だ。三人で暮らすうちにその少年も徐々に料理を覚え、生活になじんでいく。
 訴訟では裁判官の心無い言動に怒りを覚えたり、法の世界に限界を感じながらもそこが社会の最後のよりどころだと信じる彼らは、まさに「愛と法」の世界に生きていると言える。この映画の主人公二人はもちろん魅力的な人たちだが、それだけではなく、たくさんの魅力的な無名の人々が登場する。そして、ろくでなし子のようなぶっ飛んだアーティストも登場して、まったく飽きない。
 ユーモアに溢れたドキュメンタリーは見ていて力づけられるが、いっぽうで、彼らが弁護士という士業に就いている恵まれた人々だからこそ、この生活はありえるのではないかと思われる。彼らと違って閉鎖的なコミュニティで苦悩するLGBTの人々が楽に生きられるためには、言葉の力を使うことのできる人々が自ら表に出てその存在を曝していかないと世の中は変わらないのだろう。
 39歳の誕生日を祝うカズとフミは里親になろうとしている。彼らは、「家族」とはなにかと問い、家族として子どもを持ちたいと願っている。同性婚がごく普通のこととなる時代はいずれやってくるだろう。黙っていては変わらない世の中で、彼らはカミングアウトして自らの生活を公表した。彼らが親になる日が楽しみだ。
 そうそう、音楽も忘れてはならない本作の魅力だ。映画の邪魔をせず、けれどラストシーンで流れるピアノの軽やかな旋律は楽曲そのものが前面に出てそれが心地よい。愛と信頼で結ばれた人々の物語はさわやかだと、素直に思えるいい作品だ。

94分、日本/イギリス/フランス、2017
監督:戸田ひかる、プロデューサー:エルハム・シャケリファー

 

幸せなひとりぼっち

 お気に入りの一作になった。

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 オーヴォは59歳、無職になったところ。妻に先立たれて半年。しかしわたしにはオーヴォは59歳に見えなかった、70歳ぐらいかと思ってしまったわ。今年フランスにいってわかったんだけれど、ヨーロッパの水で顔を洗うと肌が荒れる。あんな水で体を洗ったり飲用を続けると、すぐに老ける。日本人が若く見えるっていうのはたぶん水がいいからだろうな。
 で、そのオーヴォは巻頭、スーパーのレジで店員に文句をいう「恐るべきクレーマー」だ。何かにつけて文句ばかり言っている。近所を見回っては「車を住宅地に入れるな」「ここにごみを捨てるな」「あれをするなこれをするな」とうるさい。なんていうガミガミオヤジなんだとあきれてしまう。ここでわたしは近所のある初老の男性を思い出した。その人はいつも駐車違反の車にうるさく言い寄っては「ここは駐禁です」と言い続けていた。そして、わたしたちがこの町に引っ越してきてその人とご近所づきあいをするようになって数年後に、60代前半で亡くなった。実はその人はとても気のいいひとで、確かに倫理観が高くて口うるさかったけれど、みなが嫌がって鬱陶しがってしないことを言う人だった。いま、その人が居ないことがとても寂しい。あの方が生きておられたら、きっとこのあたりの違法駐車には口うるさく言って回ったんだろうな、あの人がいつも公園のごみを拾ってくださっていた(今はそのご本人に代わっておつれあいが公園の溝を掃除してくださっている)こともありがたくて頭が下がる。


 閑話休題
 オーヴォは最愛の妻を喪ったので、後追い自殺を試みるが、何度首をつろうがどうしようが、その都度邪魔がはいって、なかなか死ねない。そして、死に向かうその時に彼の意識は過去に戻り、若き日の姿が観客に提示される。好青年だった若かりし頃、父が急死し、火事に遭い、けれど失意の中で美しく聡明な女性と出会い、愛し合って結婚する。という、彼の日々が描かれていき、すべての記憶が亡き妻への深い愛につながっていることがわかる。
 孤独なオーヴォが愛しているのは亡妻だけのように思えるが、ここに新たな転居者がやってくる。新しくやってきたご近所さんは可愛らしい女の子二人をもつまだ若いカップル。妻のほうはイランからの難民で、三人目の子どもを身ごもっている。イラン人の妻の名はパルヴァネ。屈託のない彼女は気難しいオーヴォにも恐れることなく接し、持ち前の明るさでいつしかオーヴォと心を通わせることになる。この過程がとてもいい。パルヴァネは過去に多くの悲しみを抱えているのだろう、そこから立ち上がった人間は優しく強い。
 恐るべきクレーマーのように見えたオーヴォだが、彼は自分たちの街並みを守り、快適に暮らせるように全力で努力していたわけだ。この姿勢は素晴らしい。何事も自力でやり遂げようとするオーヴォは、車椅子生活者のためのスロープ設置を行政(学校)に要求して拒絶されると、自力で作ってしまう。この姿勢が感動的だ。 
 オーヴォのかたくなな態度も観客にとっては笑いの種、彼の幾度にもわたる自殺未遂も笑いの種、それらのユーモラスなシーンは決して爆笑を誘うようなものではないが、映画全体がほのぼのとした可笑しみに満ちている。こういう頑固おやじって、コミュニティには必要な人材なんだと痛感する。彼は生活保守主義者には違いないが、かといって排外主義者でもない。心根は優しい人なのに、様々な苦労やつらい出来事を体験して、いつしか心が固くなり孤独に耐えられなくなっていたのだ。彼が固い心を溶かしていく過程がじっくりと描かれ、死と新しい生命の誕生が交錯するような結末が印象深い。オーヴォが生まれたばかりのパルヴァネの赤ん坊をそっと抱き上げるシーンの幸せそうなこと! 涙が出そうになった。いい映画を観たという思いがずっと残る作品だ。(U-NEXT)


<備忘録>
(1)テーマ音楽に聞き覚えがあるような気がしてたまらない。「刑事フォイル」に似ている。作曲家が同じではないかと疑ったのだが、ちがうようだ。
(2)44分57秒あたりのレストランのシーンのカメラワークがさりげなくすごい。これ、どうやって撮ったのか知りたい。今度Y太郎に訊いてみよう。

EN MAN SOM HETER OVE
116分、スウェーデン、2015
監督:ハンネス・ホルム、原作:フレドリック・バックマン、撮影:ギョーラン・ハルベリ、音楽:グーテ・ストラース
出演:ロルフ・ラッスゴード、イーダ・エングヴォル、バハール・パルス

ジュピターズ・ムーン

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 主人公が浮遊するシーンが素晴らしいという触れ込みだったので期待してみていたのに、それほどでもなく、それ以外の部分も全然予想していたようなメルヘンチックな話ではなくてほとんどノワールの世界、みたいなアクション逃亡劇だったので爆睡につぐ爆睡でいったい何を見たのかわからないまま終わってしまった。
 悔しいので翌朝もういちど早送りで見直す。すると、これはこれでとても面白い作品であることがわかった。主人公は難民キャンプから逃げ出したシリアの少年(少年ということになっているが、全然少年に見えない。どう見ても40歳代)。彼、アリアンは国境警備隊の警官の違法発砲によって重傷を負うが、それがきっかけなのか、重力を操る能力を身に着ける。彼を診た医師のシュテルンは「天使が実在する」と驚き、その能力を使って金儲けを考え付き、密かにアリアンを連れて逃避行に出る。 
 彼は行く先々で奇跡の空中浮揚を見せたり(見せなかったり)するが、着実に追手が迫ってくる。そこでカーチェイスあり、銃撃戦ありのアクション映画になっていくのだが、時々見せる空中浮揚がとても稚拙で独特の雰囲気を持っている。この感覚がハリウッド映画の「なんでもあり」とはまったく異なるところだ。不器用に手足を動かして、ほとんどもがいているように見える浮揚の仕方がなんともいえず滑稽でさえある。もっとスマートにスピード感を出してCGがんがん使いまくって、という映像感覚とは違うところが面白い。 
 寄る辺なき難民が驚異の能力を身に着けることになるというのは、現実の難民問題への意趣返しのような設定だ。彼らが行くところもなくさまよい続ける現状を批判する視点をもつ本作は社会派SFと言えるが、同時に空中浮遊する少年は天使の仮託であるように、神の存在がこの映画でも問われ続けていく。主人公のシュテルン医師が医療ミスを犯して賠償金を支払わなくてはならない立場にいるというのも大きな意味がある。人はみな過ちを犯す。その犯した過ちにどう向き合うのか、どう責任をとるのか。 
 倫理、宗教、自己犠牲、さまざまなテーマを含んだ、異色作。(U-NEXT)

JUPITER HOLDJA
128分、ハンガリー/ドイツ、2017
監督:コルネル・ムンドルッツォ、脚本:カタ・ヴェーベル、撮影:マルツェル・レーヴ、音楽:ジェド・カーゼル
出演:メラーブ・ニニッゼ、ギェルギ・ツセルハルミ、ジョンボル・イェゲル、モーニカ・バルシャイ

さよなら僕のマンハッタン

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 マーク・ウェブ監督の演出はさすがだ。ちょっと退屈な話かな、と思わせておいて後半ぐいぐいと思わぬ展開を見せる。ラストに至るまでの波乱が爽やかに収束するのが小気味よい。
 本作は劇場で予告編を見たときにとてもそそられたのだが、結局映画館で見ることは叶わなかった。そして今般はiPadにダウンロードした動画を通勤電車の中で小刻みに見るという不規則な見方であったけれど、それでも十分楽しめた。そしてラストシーンが終わったとき、慌ててもういちど巻頭に戻って見直してみた。なんだ、ここをちゃんと覚えていれば全然違う見方が可能だったのに。そうなのだ、巻頭のナレーションはジェフ・ブリッジスの声だ。なぜ彼が主人公のことを語るのか? そして物語が動き出したとき、観客はそのナレーションのことを忘れてしまっている。そしてまんまと騙されるわけ。
 ストーリーはそれほど複雑ではない。大学を卒業したけれど、自身の将来をはっきり描けないモラトリアム青年トーマスが主人公で、彼が恋するミミという22歳の美しく聡明な女性とのデートの最中にたまたま父親の浮気現場を目撃してしまう、そこから始まる物語。父親の浮気相手は若くて美しいジョハンナ。トーマス自身もジョハンナの魅力に一撃されてしまう。トーマスは物書きになりたいと思っていて、彼の父親が出版社の社長だから、なにかとコネを使ってトーマスを引き立てようとしてくれているのだが、トーマス自身は親の七光りを良しとしていない。
 そんなこんなのある日、家を出てマンハッタンの下町で一人暮らししているトーマスのアパートに新しい隣人がやってきた。いつも酔いどれているその初老の男は不思議とトーマスを魅了する。若きトーマスの成長譚がこれから始まるのだ…
 どこまでがフィクションでどこまでが事実なのか? もちろん映画そのものがフィクションであるわけだが、そのフィクションの中でも事実と虚構は描き分けられてしかるべきもの。そのような映画文法のもとにこの物語は紡がれるが、巻頭のナレーションが謎を解く鍵であると同時に謎をしかける元でもある。劇映画というフィクションはおよそどのようなリアリティを観客のに提示するのであろうか。虚実の閾(しきい)が曖昧な、夜明けのまどろみのような語りの中にこそ、実は真実が宿っている。そしてわたしたち観客はそのあわいを楽しむ。映画的な微笑ましいトリックを仕込んだ本作は、わたしの新たなお気に入りとなった。青年の成長譚は爽やかで、ニューヨークのさまざまな「顔」(セントラル・パーク、ダウンタウンのレストラン、ギャラリーなどのロケ)とともに魅力的な画を魅せてくれる。(U-NEXT)

THE ONLY LIVING BOY IN NEW YORK
88分、アメリカ、2017
監督:マーク・ウェブ、製作総指揮:ジェフ・ブリッジスほか、脚本:アラン・ローブ、音楽:ロブ・シモンセン
出演:カラム・ターナーケイト・ベッキンセイルピアース・ブロスナンシンシア・ニクソン、カーシー・クレモンズ、ジェフ・ブリッジス

500ページの夢の束

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 最近は本人よりも姉のエル・ファニングのほうをよくスクリーンで見かけるようになったダコタ・ファニングだが、子役から大人への過程であまりヒット作に恵まれなかったところ、本作で久しぶりに演技の上手さを見せてくれた。
 ダコタが演じたのは自閉症若い女性。少女なのかもう成人しているのか設定上の年齢はよくわからないが、ピュアな印象を受けるその瞳や表情からは、大人になり切れないもどかしさと肉親の愛を求める渇望があふれている。
 両親を亡くし、たった一人の肉親となった姉とも離れて施設に暮らすウェンディは、日々をアルバイトと「スタートレック」の脚本を書くことに費やしていた。トレッキースタートレックのマニア)である彼女はトリビアルなクイズにもすべて即答できる驚異の知識を脳内に詰め込んでいた。それだけではなく、ストーリーを創造する力にも長けており、パラマウント映画社が公募する「スタートレック」新作脚本コンテストに応募することを決意した。
 だが、やっと書き上げた500ページ近い「傑作」は、郵送していては募集期限に間に合わないことがわかった。サンフランシスコ郊外に住むウェンディは、パラマウントスタジオがあるロサンゼルスまで、原稿を抱えて旅立つことになる。バスの乗り方も知らないウェンディがたった一人でロスまでたどり着くことができるのか?! 期限まであと3日足らず。ウェンディの旅が始まった!
 というコミカルな展開のだが、前半はテンポがよくなくて、物語が走りだすまで多少もたつく。とはいえ、いよいよウェンディが愛犬を連れた一人旅を始めたところからは、彼女に降りかかる様々なアクシデントから目が離せない。
 さらに、物語はウェンディが書くスタートレックの「最後の航海日誌」との二重写しとなり、感情表現ができないスポックに自身を投影しているウェンディの切なさが観客にもしみじみ伝わる。
 ウェンディの旅は災難に遭ったり誰かに助けられたり騙されたり、「よくぞここまで頑張れるね」と心から声援したくなるものだ。彼女は一人で頑張りぬくことを選んで、最後まであきらめない。「パラマウントスタジオへ」。その言葉が呪文のように彼女を駆り立てる。もうこうなったら、どうしても彼女の脚本でパラマウントには「スタートレック」次回作を作ってほしいわ! 当然にもこの作品はパラマウントの製作だと思い込んでいたら、違ったみたい。
 脇を固めるトニ・コレットが、ウェンディを支えるケースワーカーという心温まる役をもらって好演。だが、スタートレックスターウォーズの区別もつかないなんて、ちょっとやりすぎの設定かも。

STAND BY
93分、アメリカ、2017
監督:ベン・リューイン、原作・脚本:マイケル・ゴラムコ
出演:ダコタ・ファニングトニ・コレットアリス・イヴ

 

ある天文学者の恋文

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 もう絶対にあのイタリアの小さな島に行きたい行きたい行きたい。と思わせるような素敵な舞台設定。風景の美しさに我を忘れる。そんな映像美が強く印象に残り、見終わって2か月が過ぎればもうストーリーの細部は一切忘れているし、結末はさっぱり思い出せない。
 美しき女子学生エイミーは老教授と恋愛関係にあり、深く寵愛される優秀な生徒である。エイミーはアルバイトとしてスタントウーマンを演じてもいるので、情緒たっぷりの恋愛映画なのに時折いきなりエイミーのスタントシーンが挿入されるため、驚かされる。そんないたずらたっぷりの演出でトルナトーレ監督は何が言いたかったのかな。老境に差し掛かった監督自身を投影しているかのように思える教授エドワードは、ジェレミー・アイアンズが相変わらずダンディで渋くてほれぼれする佇まいを見せて演じている。特に最後に後姿だけで語った愛の言葉は忘れがたい。
 この文章を書くためにもう一度また映像を見てしまった。二回目のほうがしみじみと感動する。一回目はエドワードの「死後も愛人を支配したい」という欲が鬱陶しく感じたのだが、二回目には彼の切ない愛、永遠への思いが見えて、思わず遠い空を見やってしまった。
 親子以上に年の離れた若い学生を熱愛する天文学者は、その哲学を愛するエイミーに語り続ける。そう、死後も彼女のもとに届き続ける「恋文」によって。死んだはずの教授からなぜ手紙やビデオレターや携帯メールが届くのか? ミステリアスな物語は舞台をイタリアの小島の別荘に移したりイギリスの町へと動いたり、街並みや風景の美しさだけでも観客を魅了する。決して華々しい世界遺産が映し出されるわけではないけれど、静かでむしろ陰気臭い空の色に落ち着いた心持ちが生まれる。
 これもまた男の身勝手を描いた映画には違いないが、その深い深い愛がいつまでも彼女を束縛するのではという杞憂はさて、ラストシーンによってどのように変わるだろう。
 大切な誰かを失ったことのある人が見たら切な過ぎていつまでも心に残る作品だろう。(U-NEXT)

LA CORRISPONDENZA
122分、イタリア、2016
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ、撮影:ファビオ・ザマリオン
音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:ジェレミー・アイアンズオルガ・キュリレンコ、ショーナ・マクドナルド、パオロ・カラブレージ、アンナ・サヴァ、イリーナ・カラ