吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

パリで一緒に

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 脚本も演出もあほらしくて見ていられない。本当にこんな映画、よく作ったとあきれる。しかし最後までちゃんと見てしまったわたくし。それもこれも何といってもオードリー・ヘプバーンの魅力に尽きる。こんな女優、なかなかいませんよ。画面のほとんどを彼女の魅力で占めているなんて、その名前だけで大ヒット確実だなんて。スクリーンの大画面で彼女の愛らしい顔と姿を見ているだけで幸せになれるというのはこの時代の人々にとっては大変な行幸であったと思う。翻って今の時代のわたくしはパソコンの画面で配信動画を見ているわけで、これはこれでまあお手軽な幸せ感を味わえる。

 ストーリーはばかばかしいようなドタバタコメディだけれど、これが脚本家を主人公にして映画の自己言及作というところが映画ファンを喜ばせる。こういう映画はずるいね、映画ファンは見てしまうもんね。脚本を書けない脚本家が主人公、ウィリアム・ホールデンでございます。彼はこの当時、オードリーのことが好きで好きでたまらなかったらしいけど、既に人妻だったオードリーに言い寄ってもだめだったのだ。しかし「麗しのサブリナ」に続いて本作で共演できてよかったね。
 さて、本作のあらすじは、脚本家が口述する原稿をタイプする美しきタイピストと、彼らが紡ぐ劇中劇の二重の物語が進展するというもの。劇中劇は大泥棒の捕り物で、現実の脚本家とタイピストの恋愛と並行していく。 

 して、本作の数少ない魅力、見どころを探してみれば。。。
オードリーが美しいとか愛らしいとかを除けば以下の通り。
1.過去の様々な映画への言及、オマージュ、コピーの数々。それを当てるのが映画ファンの喜び。
2.自己言及映画であるからには、映画製作者へのオマージュも当然に。例えばダルトン・トランボと思われる脚本家への言及もあり。
3.エッフェル塔の姿、パリ祭の様子。しかしパリ祭当日の広場の様子はスタジオ撮影見え見えで興ざめ。なんとかならんのかね。
4.オードリーの衣装。当然にもジバンシーのデザイン。特筆すべきはナイトガウン。こんな素晴らしすぎる「ネグリジェ」を着て寝る人が本当にいるのか?!!
5.「端役ですらまともに演じられない」とさんざんコケにされた役者がトニー・カーティス。気の毒に。
6.マレーネ・ディートリッヒが一瞬登場する、無駄遣いとも言える場面での堂々たる女優ぶりが素晴らしい。さすがのオーラを放っている。
tsutaya動画配信)

PARIS - WHEN IT SIZZLES
110分、アメリカ、1963
監督:リチャード・クワイン、製作:リチャード・クワインジョージ・アクセルロッド、原作:ジュリアン・デュヴィヴィエアンリ・ジャンソン、脚本:ジョージ・アクセルロッド、音楽:ネルソン・リドル
出演:ウィリアム・ホールデンオードリー・ヘプバーントニー・カーティスノエル・カワードマレーネ・ディートリッヒ

笑う蛙

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 15年くらい前から見たい見たいと思い続けていた作品、とうとう見ることができた。予想と違ってコメディだったのには驚いたが、なかなかに軽快で、先が読めない面白さがある。ただし、場面は伊豆にある古い別荘から動かず、ほぼ舞台劇のようなコンパクトなつくり。狭い納戸に閉じこもっている主人公同様、映画も狭い人間関係を描いている。 
 巻頭、大塚寧々の着物の喪服姿を後ろからアップで捉えるカメラ。襟足に汗が流れるその姿は色っぽい。その法事は寧々が演じる涼子の父親の三回忌であることがわかるのだが、訳ありの一家は「親戚も呼べない」と愚痴る母親(雪村いずみ、もう64歳なのに若い色っぽい)のセリフから、涼子の夫が犯罪を犯したことがうっすらと読み取れる。
 次の場面では伊豆の旧家が写る。そこにこっそりと現れた中年男性一人。開いていた風呂場の窓から室内に侵入し、誰もいないはずのその家に涼子がいることを知って大いに驚く。。。。実は彼は涼子の夫であり、銀行の支店長を務めていたが、銀行の金を使い込んで逃亡していたのであった。涼子は離婚届を書くことを条件に一週間だけ夫の倉沢逸平を納戸に匿うこととなる。納戸に隠れて妻の行動を覗き見するという不思議な一週間が始まった。。。。


 笑う蛙とはどういう意味だろうかと不審に思っていたところ、なんということはなく意味のない蛙の姿が時折挟まれるということであった。人を食ったような蛙。蛙は人々の行状を嘲笑う超越者の位置を占めている。
 登場人物全員が俗世の価値観に捕らわれぎくしゃくしているかと思えば超然としていたり。そのあけすけな性的会話と裏腹に、妙に行儀がよい。大塚寧々のセリフ棒読み演技が最高に素晴らしい。いかにもお金持ちのお嬢様らしい鷹揚な態度、物静かで品のいいたたずまいを崩さない姿勢がよろしい。そしてこの娘にしてこの母ありの雪村いずみ演じる母親がなにかと常識外れな奥様なのもよろしい。
 夫は水商売の女性に入れあげて金を使い込み逃げたわけだが、自分がないがしろにしていた妻に恋人ができたことを知って嫉妬に狂う。捜査にやってきた刑事が妻に馴れ馴れしいのも許せない。なにかと妻涼子の行状に一喜一憂し、いちいち嫉妬する。そのうえ、自分はもはやなにも口出しするべき状況ではないくせにいまだに妻を「自分の女」「自分の所有物」と思っているフシがありありと分かって、不愉快極まりない。

 この映画は、男の身勝手と女の強欲を描いて実に小気味よい。涼子もひょうひょうとした態度を崩さないままに平気で嘘をついたり、なかなか頭のよい切れ者である。逃亡犯の夫を匿うという崖っぷちの中でしか見えない人間関係の本音も露わになり、最後まで楽しく面白く見ることができた。さして話題にならなかった作品かもしれないが、これは一見の価値あり。(U-NEXT)

100分、日本、2002
監督:平山秀幸、製作:岡本東郎、原作:藤田宜永『虜』、脚本:成島出
出演:長塚京三、大塚寧々、ミッキー・カーチス國村隼、きたろう、三田村周三、金久美子、南果歩雪村いづみ

ドリーム

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 あふれる才能がありながら人種差別の壁にぶち当たって正当な評価も待遇も受けられなかった時代、黒人かつ女性という二重の差別の下にあった女性たちが自らの存在を認めさせるまでになる過程を描いた。
 東西冷戦という時代背景があるから、アメリカとしてもソ連に対抗するためには才能のある人間は誰でも登用するのが当たり前と言えば当たり前。この時期に黒人差別が撤廃の方向に向かっていたのはむしろ国家的な利害に一致していたといえるだろう。

 映画の時代は1960年代初頭。ケネディ政権の下で進む宇宙開発のチームの中には、計算専門の部署があった。当時のNASAではスパコンもなかったから結局人力で計算していたのね! 映画「アポロ13」でもいざとなったら計算尺で計算している様子が写っていたが、今ならPCであっという間にできる計算も当時は人間が一生懸命計算していたのだった。計算専門の部署では事務所にずらっと並ぶ机に向かって座っているのは黒人女性たちで、彼女たちが懸命に紙と鉛筆で計算している様子が映し出される。
 この物語の主要人物は三人の黒人女性たち。いずれも優秀な頭脳を持ち、向学心と向上心が強く、数学の才能があった。彼女たちはトイレが人種別であるために、作業所の近くのトイレに行けず、遠く離れたトイレに行かねばならない。そのために毎日往復何十分もの無駄な時間をトイレのために費やしていた。そんなこんなの不満を上司に訴えて彼女たちは自分たちの存在を認めさせる。もっとも、最初はおずおずと。彼女たちの優秀さに気づいた上司も一目置き、次々と理不尽な差別を撤廃していく。その上司がケヴィン・コスナー演じるアル・ハリソン所長だ。しかしその道はそう簡単なものではなかった。
 白人上司たちが黒人差別の理不尽さに気づきもしない現実。そして徐々にその現実に気づいていくが、それでもなお自分たちは差別者ではないと思い込む傲慢。こういったことはいつでもあることだし、今でもあるし、私自身にもあると思う。内なる差別を解体するのは相当な努力が必要だ。それには外在的な助力も必要だろう。アル・ハリソンがそのことに気づき自らを変えていき、やがては胸のすくある行為をするまでに至るのには、目の前にいる黒人女性の類まれな才能という現実があったればこそだ。そして、彼自身がたいそう優秀な科学者であったと言えるのではないだろうか。だからこそ優秀な才能を見つけるとそれを伸ばしたいし、活用したいと思う。上司としてはある意味当然だ。 
 このように才能ある人々は自力と他力によって差別の壁を打ち破ることができる。しかし凡人はどうなる? 多くの凡人は伸ばせる才能もなく社会の底辺で腐っていく。差別と貧困から抜け出ることもその壁を自ら打ち破ることもできない。ほんとうの差別解体はそこを打破することができなければ難しい。社会の矛盾は志ある人々がまずは突破口を開くことによって克服されていくものなのだろう。歴史がその事実を物語っている。だからこそ前衛論は消えることがない。 
 わたしのケビン・コスナーがとてもいい役をもらっているので、個人的にも高評価。そして本作は労働映画の一つと言えるだろう。今は存在しない「計算室」での計算係という仕事がかつてはあった、ということがよくわかる。(レンタルBlu-ray

HIDDEN FIGURES
127分、アメリカ、2016
監督:セオドア・メルフィ、製作:ドナ・ジグリオッティほか、原作:マーゴット・リー・シェッタリー、脚本:アリソン・シュローダー、セオドア・メルフィ、音楽:ハンス・ジマーファレル・ウィリアムスベンジャミン・ウォルフィッシュ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサージャネール・モネイケヴィン・コスナーキルステン・ダンスト

僕たちの戦争

 樹木希林さんを追悼して。映画ではなく、TBSで放送されたテレビドラマをご紹介。

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 2005年の茨城県在住のフリーターが、サーフィンの途中で溺れたはずみに1944年にタイムスリップし、予科練飛行士と入れ替わってしまうというコメディ。ドタバタコメディから始まった物語がいつの間にか戦争の悲惨さを伝える内容へと移り変わっていく。
 無責任でチャラい若者、尾島健太は海で溺れて浜辺に打ち上げられる。見覚えのない田園風景に絶句し、一軒の民家に転がり込むが、そこが60年前の世界だということに気づくまでのやり取りが笑える。民家には老婆と若い娘が二人で住んでいた。この老婆が茨城弁をしゃべる樹木希林。十年以上前の演技だが、既に完全に気のいいお婆さんである。時代を超えた二人の会話が絶妙に面白くて、お互いの言っていることが理解できないミスコミュニケーションが笑いを誘う。
 一方、霞ヶ浦飛行場で飛行訓練を受けている途中に墜落事故を起こした1944年の予科練生・石庭吾一は、同じく茨城県の浜に打ち上げられて病院送りに。そこにやってきた恋人のミナミと頓珍漢な会話を交わすと、吾一は一時的な記憶喪失に陥っているのだと家族にもミナミにも思い込まれてしまった。やがて町に出た吾一はそこが未来の日本であることに気づいて愕然とする。
 タイムスリップした二人がそっくりな外見であったことから、二人ともそれぞれの時代の相手と入れ替わることになり、真実を語っても誰も信じてくれないだろうと思って、ついつい黙ってそのままズルズルと別世界で過ごすこととなる。当然にも二人はその二つの世界の価値観の違いに驚き、自分たちの入れ替わりが周囲に影響を及ぼすことを知って狼狽する。
 入れ替わった二人を森山未來一人二役で見事に演じ分けた。もともと彼の一種独特の風貌は、チャラい現代人にも生真面目な軍国青年にも見える。細い目で力んで思い切り横目で睨む演技も可笑しい。
 このドラマは反戦ものとして製作されているが、異なる視点から解釈可能で、たとえばフリーター健太は無責任でろくに努力もしない自堕落な男だが、戦時中の軍国青年は自己犠牲の美しい精神に満ちているといったステレオタイプは気になる。その二人が入れ替わることによってフリーター健太が成長していく、一種のビルディングスロマンでもあるわけだが、健太は決して軍国青年になるわけではない。日本が戦争に負けたことも原爆投下も知っている健太は、「お国のために死ぬ」ことを否定している。
 健太が滑り込んだ時代では日本の戦況はどんどん悪くなり、ついに特攻攻撃が開始されることとなる。本作では飛行機による特攻ではなく人間魚雷「回天」が登場する。若い命を犠牲にするこの特攻作戦が無謀でばかげていることを知りながら反対できない健太は、人間としていかに成長を遂げるのだろうか。ここには、ばかばかしいとわかっていながら抵抗することができなかったかつての戦争の姿がある。
 ところで、本作はまた図書館映画の一つとも言える。現代にスリップしてきた吾一は戦後の日本史を知るために図書館で懸命に勉強している。やはり、わからないことがあれば図書館に行け! ですね。
 見終わって、作品の解釈をめぐって誰かと語り合いたくなるようなドラマだ。

2006/09/17放送、日本、110分
演出:金子文紀、原作:荻原浩僕たちの戦争』、脚本:山元清多
出演:森山未來上野樹里内山理名玉山鉄二古田新太麻生祐未田中哲司樹木希林

あの頃、君を追いかけた

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 男子高校生の実態がこれほど恥ずかしいものであることを発見して大いに驚いた。
 高校生の幼い恋がこれほど後を引くまどろっこいしいものであることに驚き桃の木山椒の木である。
 物語は、1994年からの10数年間の若者たちの恋を描く甘酸っぱいコメディだ。学校一の秀才美少女を巡る恋のさや当ては誰の勝利になるのか? 恥ずかしくも楽しい男子たちがなんとかして彼女の気を引くためにあれやこれやとくだらない策を弄するのがいちいち笑える。監督の自伝的小説が原作となっているため、主人公をかなり美化しているものと思われる。とはいえ、おばかな主人公が美少女のために一生懸命勉強して成績をぐんぐん上げていく様子は爽快で、漫画的な演出も過度にならずに見終わったあとにさわやかさを残す。
 なんといっても美少女役のミシェル・チェンが初々しく、とても良い。(レンタルDVD)

YOU ARE THE APPLE OF MY EYE
110分、台湾、2011
監督・脚本・原作:ギデンズ・コー、音楽:クリス・ホウ
出演:クー・チェンドンミシェル・チェンスティーヴン・ハオ、イェン・シェンユー、チュアン・ハオチュアン

友罪

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 帰りの機内で見た。もともとは往復ともエールフランスに乗るはずだったので、帰路に見ようと思って楽しみにしていた映画が何本もあったのに、それが見られなかったのが残念。帰りは台風で欠航になった代替機がANAだった。ANAよりエールフランスのほうが映画の選択肢がわたしの好みに合う。
 さて、物語は。
 重厚なドラマがいくつも重なり、心の傷が新たな血を流した後、その血が乾いた先の草原の輝きへ、かすかな希望へ、手が届くかもしれない光へと向かうラストシーンへと誘う。 

 草原が波打つ描写はタルコフスキー「鏡」を彷彿とさせる。トム・ティクヴァが「ヘブン」でオマージュを捧げたシーンでもある。ティクヴァの「ヘヴン」もこの作品と同じく罪と罰と贖いの物語であった。

 主人公は元ジャーナリストの益田。彼が転職した町工場には、同じ日に就職してきた「鈴木」という無口な青年がいた。二人はともに一ヶ月の試用期間を経て本採用になるかどうかが決まる。住み込みで働く青年労働者たちは粗暴で教養がなく、しかし彼らなりの秩序と同僚意識を持って働いている。益田と鈴木はなぜか友達になり、お互いが過去に傷を持っていることを敏感に察知する。実はその鈴木はかつて「少年A」と呼ばれた連続殺人鬼だったのだ。物語は前半、鈴木の過去を秘密にしたまま展開していく。無口で不気味な鈴木は何者なのか? 益田は鈴木のことを知りたいと思い、やがてその本名や過去を知ることとなる。
 一方、鈴木と益田という同い年の青年たちと一瞬交わるタクシー運転手にもつらい過去があった。運転手の息子は無免許運転で子ども三人を殺していたのだ。
 「殺人鬼」の家族は幸せになってはいけないのか? 笑って暮らしてはいけないのか? 一生贖罪を続けなければならないのか? 何をすれば許されるのだろう。どこまで自分を責めれば許されるのだろう。答えの出ない問いがぐるぐると回り続けるうちに、何組もの傷ついた人々の命のやりとりが交錯していく。

 登場人物全員が重い過去を背負い、今を生きる苦しさにあえぎながらも前を向こうとするため、緊張感が途切れず、思わず手に汗を握ってしまう。
 このドラマのヒントとなった実在の事件はすぐにわたしたち観客の脳裏に浮かぶ。あまりにも有名な酒鬼薔薇事件や、飲酒運転で子ども三人を死なせた運転手や、多くのいじめ自殺事件。これほどまでにつらい物語を背負っている人々ばかりが登場するなどということは通常の人生ではなかなかありえない。この寓話は、生きることのつらさから逃げ、そして逃げることをやめて生きていこうともがく人々を見つめ、観客に他人事とは思わせないリアリティを生む。
 映画を観ながら、これは原作があるのだろうと思っていた。やはり原作小説が存在する。小説ではおそらく丁寧に描かれていたはずの部分が映画ではきちんと説明できていないため、なぜ益田と鈴木が友達になったのかがよくわからないし、そもそもいつの間に友達と言える関係になったのか、そのキーとなるセリフか描写があれば説得力があったのに、残念だ。
 しかし、そのような瑕疵はそれほど気になることではなく、役者の演技を見て感動する映画でもあるわけで、佐藤浩市瑛太の演技は特に瞠目すべき。苦しみを背負う人間の償いはいつになれば終わるのか、許される日はないのか、被害者家族の苦しみにも終わりがない。救いようがない悲劇の繰り返しの中に人々の心が彫像のように置いてある、そんな映画だった。その彫像は悲しいけれど、窓から差し込む光がぼんやりとその姿を浮かび上がらせる。再び、人間を信じて歩んでいこう、この生き難い世界で。

128分、日本、2017
監督・脚本:瀬々敬久、原作:薬丸岳、音楽:半野喜弘
出演:生田斗真瑛太夏帆山本美月富田靖子、奥野瑛太、飯田芳、西田尚美光石研古舘寛治佐藤浩市

ピーターラビット

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 機内で見た映画。とっても楽しい実写とアニメの融合映画。イギリスが舞台なのにアメリカ映画だから、やたら派手に暴れまくるし、爆弾まで登場するというアクション映画だとは予想外であった。
 ピーターラビットのお話というから、てっきり愛らしいうさぎの物語かと思いきや、とんでもない! 人間とウサギの一大戦争なのである。といっても「戦場」はロンドンから遠く離れた田舎で、闘うのはマジソンとその家を元々のテリトリーとしていたウサギ一家。ウサギの味方は我らがミス・ベアトリクス・ポター、いやこの映画の中ではまだピーターラビットの作者として名が知られる前のビアという女性画家。

 この映画を観ると、レニ・ゼルウィーガーが主演した「ミス・ポター」を思い出す。というか、そんな映画があったことを思いだした。例によって内容はほぼ完ぺきに忘れている(;^_^A
 で、本作はウサギと人間がどちらも実写なんだけど、ウサギはCGですね。どうやって合成したのかと疑うぐらい、見事な融合場面だ。
 なにしろウサギのセリフもたいへんユーモラスでよろしい。三つ子のウサギは誰が長女かを巡っていつも争っているし、ウサギたちは自分たちが齧歯類としてネズミと同類と思われることを快く思っていないとか、ウサギだけじゃなくて個性あふれる動物たちが登場するのがとても楽しい。
 ウサギとバトルを繰り広げる敵役はトーマスというサラリーマン。彼は大手玩具店で働いていたが、同僚が自分を追い抜いて出世したとわかるやいなや腹を立てて辞職するような上昇志向丸出し人間だ。生きている間は存在も知らなかった大叔父が突然死したために田舎の家と土地を相続することになった彼は、出世争いに負けたのをきっかけに人生をやり直すことになる。しかし、この曲者の若者はそう簡単に自分の価値観を変えたりしない。あとはもう、田舎の家でラビットたちと大太刀回りを見せるのが爆笑の渦。
 こういう映画は大好きです。ほんとに映画らしいなぁ。アニメ好きにもお薦め。

PETER RABBIT
95分、アメリカ、2018
監督:ウィル・グラック、脚本:ロブ・ライバー、ウィル・グラック、音楽:ドミニク・ルイス
出演:ローズ・バーン、ドーナル・グリーソン、サム・ニールエリザベス・デビッキ