吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

君の名は。

 2週間以上前に見たので、やや印象が薄くなったが。。。。

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 ラストシーンで背筋が粟立った。この感覚を体感したくてリピーターが多いのかな、このアニメは。新海作品のこれまでのテイストとかなり違って、明らかにヒットを狙っている作品であり、その狙いが見事に的中した。今年ナンバー1のヒット作になるだろう。

 大きな災厄を経験した町の人々の記憶をテーマにすることが、3.11後の日本にとって重要な意味を持つ。本作は、東日本大震災後の日本でこそ作ることができた作品だ。

 高校生の男女の身体が入れ替わるという着想はもちろんSFのそれだが、決して珍しい設定ではない。

 ここでミソは、入れ替わりが時間軸のねじれた二人の間で起こった、ということ。だから、入れ替わった二人がお互いに会いに行けばすっきり解決するようなことも、実はまったく解決不能であることがわかってくる。なぜこの二人の間に入れ替わりが起きたのか。理由はわからないけれど、突然の天災によって一つの町がまるごと消えてなくなるという惨劇を経験した3.11後の日本にとって、これはリアルな設定だ。今はもう消えてなくなった町。住む人もいなくなった町。けれど、その記憶をとどめようと懸命に記憶をたどってスケッチしていく少年が、実はその町の住民ではない、というところがまた興味深い設定だ。

 町の記憶、地域の記憶とはなんだろう。それは誰のものなのだろう。この映画では、それが赤の他人のしかも未来に住む少年に託された。一瞬で消えてなくなった町の記憶は誰が引き継ぐのか。記憶を次世代へ。それを使命と考えるわたしにとっては、本作にとても重い問いかけを背負わされた、と感じる。しかし、過去の記録を未来へとつなぐことがわたしの仕事ではあっても、過去の災厄を書き換えることはできない。本作ではそこを力技で変えてしまおうというのがすごい発想だ。いや、タイムパラドクスものではそれは当然の筋書きかもしれない。未来を知ってしまった人間は、過去に遡って災厄を未然に防ぐことができるはず。ああ、そんなことができるなら、わたしなんて、何百偏でも過去に戻って当時の自分に「それはやめておけ!」「こっちがいいよ!」と耳打ちするものを!

 過去を書き換えたいという永遠の欲望を満たしてくれるという点で、この映画は大衆の欲望を実現してくれた。誰もが頭をかきむしるほど悔しい思いを経験したことがあるはずの、「夢で逢ったあの人にもう一度逢いたい」「夢から覚めたらどんどんその記憶が薄れていってしまう」という焦りを慰撫し、失われゆくものを取り戻した、という点で、そして「人々が見たいものを見せた」という点で、実に万人受けする話である。しかしそれを受け狙いの大衆路線、といってしまっていいのだろうか。物語の強度は申し分ない。そのうえ、空の輝き、湖の残照、光があふれる都会の木立ち、夜空に飛び交う流星のきらめき、相変わらず新海さんの絵は言葉を失うほど美しい。アニメならではの微細な表現にうっとりしながら、わたしたちの国が後戻りできない災厄を抱えてしまっていることに愕然とする。せめて、映画の中だけでも違う夢を見たいではないか。そんな「希望」を描いたのが本作だ。
記憶、トラウマ、時間、といった現代思想の重要タームが散りばめられた本作についてはいろんなことを語りたくなる人も多いんじゃないかな。

 ただし、タイムパラドクスの重要な過誤があって、3年も時間がずれていたらカレンダーの曜日が合わないことぐらいすぐ気づきそうなのに、とか、なぜこの二人が「選ばれた」のか理由が不明である点とか、腑に落ちないことはある。

 これも図書館映画。主人公の少年・瀧(たき)が過去の災害を図書館で調べている。新聞の縮刷版を繰って記事を読んでいくシーンが何度か登場する。そうそう、よい子はそうやって図書館を活用するのですよ。

106分、日本、2016
監督: 新海誠、企画・プロデュース: 川村元気、キャラクターデザイン: 田中将賀
音楽: RADWIMPS
声の出演: 神木隆之介上白石萌音長澤まさみ市原悦子成田凌悠木碧

 

怒り

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 傑作「悪人」の続編、あるいは別バージョンともいえるような作品。製作メンバーも同じなら、主演のひとりも同じ妻夫木聡。ただし、残念ながら前作を上回ることはなかった。それだけ「悪人」が良くできていたとも言える。

 巻頭いきなり凄惨な殺人現場が映る。この時点でこの映画の暑苦しさが決まったかのようだ。東京の夫婦が殺害された現場を調べる刑事たちの汗が、物語の粘っこさを強調する。容疑者は早くも特定された。似顔絵も公開されている。にもかかわらず1年以上逃げおおせている彼=山神は、整形手術を受けていたのだった。そして物語は千葉、東京、沖縄を舞台にオムニバスの様相を見せる。その三か所で、容疑者山神によく似た男たちが出現する。世の中に自分に似た人間は3人いると俗に言われているように、山神に似た若者が3人いる、ということか。それともその3人のうちの一人が山神なのか。真相は闇の中だが、三つの物語にはまったく接点がなく、ただ一つその三か所の物語をつなぐ縦糸が冒頭の殺人事件であり、犯人を追う刑事たちの存在だ。

 今回も李相日の演出は冴えている。三つのまったく異なる物語をつなぐ編集の技といい、一つ一つの場面のカメラアングルといい、役者のセリフ回しといい、実にうまい。もうこの人には映画作法の上では文句をつける隙がない。しかし、その抜群の技法を以てしても、残念ながら今作は人を殺すまでに至る「怒り」そのものを突き詰めることができなかった。それはおそらく原作の弱さに起因するのだろう。この映画は見ごたえ十分で、まったく飽きることなく緊張感が途切れることなく進んでいく。誰が犯人なのかという、サスペンスにとって最も大事な謎解きもきちんとはめ込まれている。だから、本作はぜひ多くの人に見てほしいと思うのだけれど、「悪人」に感動した人には、「あまり多くを期待しないように」とだけ言っておきたい。

 本作のテーマは謎解きではなく、人を信じることの難しさと信じぬく希望、であるという。愛とは信じること、だとすれば、信じきれないのは愛が足りないから? 信じなかった罰は愛を失うこと? それぞれに失ってしまった愛への激しい後悔が3つの場面での号泣で描かれる。とりわけ妻夫木聡宮崎あおいの泣きの演技には胸をつかまれた。

 犯人が誰かわからないようにはぐらかすためには、犯人と疑われている青年たちの内面を描くことを禁欲しなければならない。彼らが何を考え、何に怒り、何を悲しみ、何に絶望しているかを早いうちから明らかにしてしまってはネタバレになってしまうからだ。しかしそれがアダになって、どうにも犯人像がはっきりしなくなった。なぜ罪のない夫婦を惨殺したのか。壁に書かれた「怒り」の文字は何にぶつけられていたのか。答えはラスト近くで明かされるが、腑に落ちない思いが残る。

 いくつか心残りな点もあるとはいえ、力の入った作品でかつ見ごたえは十分あるので、お薦め。 女子高校生役の広瀬すずが素晴らしかった。愛らしく賢そうな顔はもちろん大変魅かれるが、それだけではなく、難しい役を体当たりで演じた。これからの時代を背負っていく楽しみな逸材を観ることができたのは大収穫だった。
「大切なものは増えるんじゃなくて減っていくんだ」は名言。

141分、日本、2016

監督・脚本:李相日、製作:市川南、原作:吉田修一、音楽:坂本龍一
出演:渡辺謙森山未來松山ケンイチ綾野剛広瀬すず 

 

レッドタートル ある島の物語

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いまや「『君の名は』難民」と呼ばれるほど大ヒットしている新海誠のアニメと違って、こちらはスタジオジブリの作品だというのに、劇場はガラガラである。こんなにクオリティの高いアニメなのに、なぜ見向きもされないのだろう。その答えは、これが全編セリフなしの、墨絵のような素朴な絵柄の寓話だからだろうか。

 フランス映画だから、主人公の男はたぶんフランス人。彼が嵐の夜に溺れてたどり着く無人島は南国の小さな場所だが、なぜか竹林が生い茂る。そんな、地域や季節が曖昧で渾然とした架空の場所で、一人の男が妻を娶る。これは無人島でサバイバルする冒険譚ではない。一人の男が一人の女と出会い、愛し合い、子どもを産み育て、災厄を乗り越え、やがて子は巣立ち、親たちは年老いて死んでいく。ただそれだけの物語だ。いや、物語ですらないような、どこにでもある、どこにでもいる、普通の家族の物語である。
 けれど、言葉を失うほど透明な美しさに輝く浜辺の暮らし、何もない無人島で孤独と絶望の淵に立つ男の前に突然現れる女、眠り続ける彼女の手にそっと触れる男のためらいと優しさ。すべてが心に静かにしみていく。セリフがないのに、そして人物の表情にもほとんど細かな描き込みがないというのに、その身振りだけで観客にはすべてが理解できる、絵のクオリティの高さにも息を飲む。海と空の輝き、透明な波、清浄の湖、銀河の砂が降り注ぐ星空、どこにも混ぜ物がなく、どこにも過剰がなく、どこにも汚れがない。

 大きな海亀が守り、小さな蟹が住む、小さな無人島で起きる奇跡のような夢物語。亀の化身である若い女は赤く長い髪を持つ褐色の肌をしていた。男は決して自然に逆らわない。何も壊さず、最小限の狩猟を行うのみで、無駄な殺生もしない。とてもフランス人が作ったとは思えない、東洋的な香りがする作品だ。

 赤い海亀が突然現れた瞬間の美しさには目を奪われる。亀好きにもお薦め。 一片の美しい詩を読み終わったような深い満足を得て、最後に涙がぽろりとこぼれる、そんな映画だった。こんなお話にしてやられるとは、わたしも歳を取ったということだろうか。閉じられた家族だけの世界で、ただ時の流れをやり過ごすだけの物語なんて、そんな社会性のない話なのにわたしにはうらやましくて仕方がない。誰もいない世界で二人きり、じっと静かに年老いていく。それは理想の世界かもしれない。純化された愛の世界。願っても決してかなわない、だからこそそんな寓話に現世(うつしよ)をひと時忘れる。音楽も美しい、至福の81分だった。

LA TORTUE ROUGE
81分、日本/フランス/ベルギー、2016
監督・脚本:マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット、プロデューサー:鈴木敏夫、ヴァンサン・マラヴァル、音楽:ローラン・ペレズ・デル・マール
アーティスティックプロデューサー:高畑勲

 

トラッシュ! -この街が輝く日まで-

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 ダルドリー監督の映画のなかで、初めて眠気を催したもの、という意味で画期的な作品かもしれない。最後まで起きていられなくて、何度寝落ちしたかわからない。

 サスペンスのはずなのに緊張感に乏しく、実話ではないだろうに実話とリンクさせた物語には疑問符がつきまくり。とはいえ、悪い作品ではないので、けなすつもりは毛頭ない。たまたまリオでオリンピックが開催されているこの時期にこの作品をDVDで見たことは意味がある。とはいっても、わたし個人は全くオリンピックを見ていなかったんだが。

 まあとにかくブラジルの不正・腐敗・権力の濫用・警察の横暴と堕落は言葉にすることもできないほどひどい。これは映画「カルテル・ランド」で見たことと同じ構造だ(カルテル・ランドはメキシコだけど)。この映画ではその権力に一泡吹かせて溜飲を下げるわけだが、お話が現実離れしすぎていて、ついていけない。現実を変革する力になれるようにも思えない。つまり、現実はそんなに甘くないのだ。

 この映画の圧巻は謎解きサスペンスでも権力の腐敗追及場面でもなく、なによりもゴミだらけ、まさにゴミの集積場に暮らす人々のバイタリティと汚さにある。この映画を観る日本人のほとんどがこのような場所で暮らすことなど想像もできないだろう。もちろんわたしも、こんなスラム以下のところで生活するなど考えることもできない。それがリオ・オリンピックの裏面の真実には違いないところがいっそう観る者に衝撃の現実世界を突きつける。どんなSFよりもすさまじいかもしれない、ゴミ山での生活。映画に臭いがなくてよかったよ。でもこれが、地球の裏側の真実なのだ。
 ひょっとするとあと20年もすれば日本もこうなるかもしれない。このまま貧困が進み、社会的格差が進めば、あのゴミ山をあさる少年が自分の孫である可能性も否定できない。いま現在の格差と貧困を放置していいわけがない。ダルドリー監督はそれが言いたかったに違いない。同時に、あのゴミで暮らす少年たちの勇気としたたかさを描きたかった、のだろう。それにしては演出がゆるくていまいちだった。回想シーンとして挿入したビデオ動画がいっそう緊張感をそいでしまった。

 アメリカ人神父として登場したマーティン・シーンについて、息子のチャーリー・シーンがインタビューに答えている記事を『キネマ旬報』で読んだ。マーティン・シーンは筋金入りの反体制派であるという。なるほど。こういう映画に出たがるわけだ。

 というわけで、褒めているのかけなしているのかわからない感想になったけれど、大きく期待しないで見ればじゅうぶんよい作品なので、ぜひご覧あれ。(レンタルDVD)

TRASH
114分、イギリス/ブラジル、2014 
監督: スティーヴン・ダルドリー、製作: クリス・サイキエルほか、原作: アンディ・ムリガン、脚本: リチャード・カーティス、音楽: アントニオ・ピント
出演: マーティン・シーンルーニー・マーラヒクソン・テヴェス、エドゥアルド・ルイス、ガブリエル・ワインスタイン

 

オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分

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 場面は高速道路を運転する車の中だけ。上映時間86分は劇中の時間経過と同じだ。登場するのは一人だけで、あとは彼が運転しながら電話でしゃべる相手が声の出演だけをする、という斬新な作品。アイデア勝負みたいな映画であり、確かに飽きることはないのだが、舞台劇ではなく映画として作った点には疑問もある。トム・ハーディの一人芝居を見続けるので、彼のファンなら大喜びだろうけれど、そうでない人にはちょっとつらいだろう。

 筋書きはこうだ。主人公アイヴァン・ロックは、優秀な建設監督者であり、会社への多大なる貢献で評価されていた(ということが、見ているうちにわかる)。しかし彼は、欧州で最も大きなビルの工事が明日に迫っているまさにその時に、仕事を放擲することになる。理由はただひとつ。彼の「愛人」が予定より早く破水して出産することになってしまったからだ。その事態が判明した今、アイヴァンは明日の作業のために必要な事項を部下に連絡しつつ、病院に入院して半狂乱になっている「愛人」と連絡をとりつつ、なぜ自分が自宅に帰ることができないかを幼い息子や妻に電話で説明している、という状況に追い込まれている。

 高速道路を飛ばしながら、アイヴァンはハンズフリーの電話をかけまくる。映画の86分はひたすら彼がかけ続ける(かけられ続ける)電話の会話で埋め尽くされる。仕事も家庭も失うかもしれないという崖っぷちに立たされたアイヴァンは、なぜすべてを捨ててでも車を飛ばしているのだろう。彼は「愛人」を愛しているわけではない。なにしろ彼女のことはほとんど何も知らないのだから。たった一度、酔っぱらったはずみで寝た女だ。しかし、その結果は妊娠という重い果実を彼にもたらした。

 この映画を彼の視点から見れば、妊娠した愛人もヒステリックに叫ぶ妻も、すべてが大いなる迷惑だ。しかし、この手の物語には違う視点が用意されている(はず)で、女たちから見れば、全然違う物語になる。残念ながら、もう一つのストーリーは一切表示されなかった。

 しかしいずれにせよ、86分の上映時間中、緊張感は途切れず、高速道路を飛ばす車に「これは交通事故を起こしてそれで終わり、という映画ではないか」という緊張感も与えつつ、最後まで「実はこういう終わり方が用意されているんじゃないか」という疑心暗鬼の幾通りもの筋書きを観客に妄想させた挙句、「えっ、そういう終わり方ですか」という結末に持ってくる、ずるい映画です。

 男はこうやって責任をとるんだよ! という男らしさを強調した物語である。結局のところ、女は男の足を引っ張る存在でしかない。なるほど。(レンタルDVD)

LOCKE
86分、イギリス/アメリカ、2013
監督・脚本:スティーヴン・ナイト、製作:ポール・ウェブスター、ガイ・ヒーリー、音楽:ディコン・ハインクリフェ
出演:トム・ハーディ

声の出演:オリヴィア・コールマン、ルース・ウィルソン、アンドリュー・スコット 

 

クローバーフィールド/HAKAISHA

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 事件が起きるまでの19分が長すぎる。あまりにも退屈なので何度も時計を確認する。これ、もうすぐアレが起きる、と知っているから我慢できるが、何も知らずに映画館へ行った観客は帰ってしまうか寝てしまうんじゃないか。
 普通の日常がある日突然大いなる災厄によって破壊と滅びへと巻き込まれていくという設定だから、どうしてもその日常の一こまを描かないといけない、という意図はわかるが、それにしても描かれている若者たちに全然魅力がない上に手持ちのカメラの質が悪すぎてうんざりしてくる。
 とはいえ、突然NYに大爆発が起こり、たちまち阿鼻叫喚の嵐になるあたりからはがぜん面白くなる。面白くなると同時にカメラが回って目が回る。素人が撮った動画という設定なんだけど、その割には音響だけが無駄にいいとか、そんな風にカメラを回すのは無理やろとか、いつまで撮ってるねん、などなど突っ込みどころは満載ながらも「怪獣」?の正体が見えそうで見ないところが怖い。エイリアンの子どもみたいな巨大蜘蛛も怖い。え、なんですか、これパンデミックものだったん? とか、いろいろ新たな展開があるところも怖い。

 「シン・ゴジラ」が怪獣対策の作戦会議を練る政府中枢の話だったのに対して、こちらはただ逃げる以外になにもしようがない一般市民の話。まったく視点が違うこの二つ、どちらが面白いかというとゴジラのほうだ。全体像の何一つわからず、ただ災厄に巻き込まれてパニックになる、そんな普通の一市民にすぎないはずのわたしが他人事と思わずに見ていたのが「シン・ゴジラ」のほうである、というのが自分でも可笑しい。

 この手の映像はアイデア勝負だから何度も使える手ではない。現に、この続編ぽい「10クローバー・フィールド・レーン」はまったく違う手法で迫ってみましたところ、そっちのほうが何倍も怖かったりする。

 というわけで、一回見たら十分、という映画ではあるがそれなりに面白かったので合格点。でもなんで怪獣は東京とかニューヨークとかロサンゼルスとかにしか現れないの? 9.11のトラウマなんだろうなぁ。(レンタルDVD)

CLOVERFIELD
85分、アメリカ、2008 
監督: マット・リーヴス、製作: J・J・エイブラムス、脚本: ドリュー・ゴダード、撮影: マイケル・ボンヴィレイン
出演: マイケル・スタール=デヴィッド、マイク・ヴォーゲルオデット・ユーストマンジェシカ・ルーカス

 

消えた声が、その名を呼ぶ

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 当初の予想を超えた壮大な話だったのには驚いた。思わず2回観たが、2回目のほうが短く感じたのは不思議だ。
 第1次世界大戦時のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺は、当のトルコだけがその事実を認めず世界中から非難を浴びている事件だ。死者は100万人とも200万人ともいわれている。本作は、虐殺を奇跡的に生き延びた代わりに声を失った男が、家族を訪ねて地球を半周する物語。
 この壮大なロードムービーを35ミリフィルムで撮影したというからさらに驚く。もはや現像所を探すのも困難なフィルム撮影を敢行したファティ・アキン監督のこだわりを感じる映画だ。映像は雄大で美しく、トルコの砂漠からキューバ、北米へと続く旅を、絶望に乾いた風景とともに切り取り観る者の心をつかんでいく。

 娘たちを探し回る父の執念のすさまじさには胸を打たれるとともに、たとえ盗みや暴力を働いても娘たちに会いに行こうとするおぞましき態度すらも肯定したくなる。彼が受けた暴力と、彼が目撃した虐殺と、尊厳を失ってもはや人間であることを止めた干からびた死体と、それらの異様な光景が彼をして生き延びさせた宿命のようなものを観客に納得させるだけの力がある。

 繰り返し流れる哀愁の子守歌が耳に残る。その歌が家族のもとへと彼を導く大きな力となる。この寓話は何を示すのか。虐殺から100年が過ぎた今、トルコからドイツに渡った子孫であるファティ・アキンという在独トルコ人監督が、自らの祖国の加害を暴く映画を作る。このことの意味を問いたい。翻って日本政府はいまだに南京虐殺を認めない、そのことをやはり問いたい。
 戦争が終わってトルコが負け、敗残のトルコ人たちが町中を移動していく「行進」に向かってアルメニア人たちが石を投げつけ、悪罵の限りに怨嗟の声を上げる。その時、主人公ナザレットは掴んだ石を投げようとした腕を思わずひっこめる。彼の目の前で石を額に受けた少年が血を流して母親に抱きかかえられていたからだ。ナザレットが投げようとした石は誰に向かっているのか。その石はめぐりめぐって彼を打った石ではなかったか。過去から現在へと礫(つぶて)が憎しみを生み続ける限り、彼には未来がないのだ。この映画は、憎しみの連鎖を断ち切ることを静かに訴える。

 キリストが育った町の名をもらった主人公は、その過酷な運命の前に信仰を捨てた。しかし、神を信じないナザレットを何人ものアルメニアキリスト教徒が助けた。何があっても娘に会いたい、どうしても娘に再び会うまでは、と彼は何年もかけて放浪の旅を続けた。その都度、ナザレットはさまざまな労働に就いた。その様子がまた当時の時代状況を反映して実に興味深い。船員、皿洗い、鉄道労働者、と職を転々としてその日暮らしをするナザレットにとって、賃金労働者として生きていける時代にアメリカ大陸に渡ったことが僥倖でもあっただろう。声を失い家族を失い言葉の通じない外国で放浪してもなお当初の目的を忘れない、娘に会うというたった一つの目的のために生きる彼は、その目的があったがためだろう、弱い者を傷つけることを良しとしなかった。

 なぜトルコ帝国はアルメニア人を迫害するのか、なぜアルメニア人たちは殺されていったのか、本作はその政治経済的背景を説明せず、民族に起きた悲劇をナザレット一人に背負わせ続け、しまいにはトルコ人による迫害すらも遠い日の出来事のように観客に思わせる。もはや歴史も政治も一人の父親の前には意味をもたない。

 深く心に残る映画。(レンタルDVD)

 

9.24追記:以下のようなコメントをいただきました。

「英語字幕ですが、MOOCの講座で知り合ったアルメニア人の人に教えていただいた映画です。ぜひご覧になってください。 

588 Rue Paradis (English subtitles) Mayrig 

https://www.youtube.com/watch?v=5ZaJ5oHADIY」 

「地下室のメロディ」のアンリ・ヴェルヌイユ監督の遺作です。 

THE CUT
138分、ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/ポーランド/トルコ、2014 
製作・監督・脚本: ファティ・アキン、共同脚本: マーディク・マーティン、撮影: ライナー・クラウスマン、音楽: アレキサンダー・ハッケ
出演: タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、マクラム・J・フーリ、モーリッツ・ブライブトロイ、トリーヌ・ディルホム、アルシネ・カンジアン