吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

ギリギリの女たち

 「クレイジーホース・パリ」に続けてみたので爆睡必至かと危惧したが、演劇的な空間がそれなりに緊張感を保っているため、最後まで眠らずに見た。


 登場人物は三姉妹のみ。ほぼワンシーン・ワンカットで固定カメラの長回し、という舞台劇のようなお話だ。台詞の言い回しも舞台劇のようにテンションが高くて聞いていて恥ずかしい。特に長女役渡辺真起子が舞台女優の雰囲気を最後まで貫き通すところが違和感丸出しなんだけれど、この映画ではそれが不思議なことに緊張感を保つ重石のような役割を果たしている。

 舞台は震災直後の気仙沼市の海辺の町。町というより村、というのがぴったりの鄙びたところだ。もともとそうなのか、震災のせいでそうなってしまったのか、人気が感じられない。空き家になった一軒家にふらりとやってくる女。そこにもう一人の女がやってくる。どうやら二人は姉妹のようだ。しかも十何年ぶりの再会。さらにそこに三女がやってきて、三姉妹は15年ぶりに一堂に会することになるが、つもり積もった互いへの不信や憎しみをぶつけ合う。
 
 電気も水道も止められた家に三人が泊まり、どういうわけかカレーライスを作ったりして(どうやって作ったんだろ?!)、体調が悪そうな長女とか、離婚した次女とか、仕事のない三女とか、それぞれの事情がだんだん明らかになってくる。やがて三人は思いを吐きだすとそれぞれに生き直すことに思い至る…。

 震災と再生の物語、のはずだが、脚本がぎこちなく不自然だ。三人の女が憎しみあっているのにいつの間にかまた絆を取り戻したりする、その過程がしっくり伝わってこない。いったい何が彼女達に心境の変化を与えているのかがよくわからない。
 とはいえ、全編にわたって実に不思議な雰囲気をかもし出している映画だ。作り物めいて嘘くささがぷんぷんするのに、そこに映し出される瓦礫の山や水没した港は本物の廃墟を見せ付けて、彼女達の状況が絶望なのか希望なのか判然とせず、その二つの淡いがないまぜになった空虚な佇まいを現出している。これが今の日本の、東北の、あの地の絶望と希望なのだ、といわんばかりの作品だ。今だから撮られた、今だから見るべき映画だろう。

 次女の中村優子のちょっと拗ねた物静かな佇まいがよかった。

101分、日本、2011
製作・監督・脚本:小林政広、プロデューサー:西健二郎ほか
出演:渡辺真起子中村優子藤真美穂