吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

扉をたたく人

 絶品。「グラン・トリノ」にも似たテーマ、似た雰囲気ではあるけれど、グラン・トリノのようなユーモアがない。しかしここにはユーモアの代わりに音楽がある。リズムがある。

 
 心を閉ざし、仕事もいいかげんになってしまった孤独な大学教授が、ふとしたことで出会った移民の青年との交流を通して変わっていく。何事にも投げやりだった彼が、他者のために懸命に動くようになる。このシチュエーションといい、ストーリー展開といい、「グラン・トリノ」そっくり。ただし、グラン・トリノの下品な頑固じいさんではなく、今回の主役はクラシック音楽を愛するインテリである。

 
 コネチカットに住むウォルターは、学会発表のために久しぶりにニューヨークのアパートにやって来た。無人のはずのアパートには移民のカップルが住み着いていた。カップルは周旋屋にだまされたのだったが、不法滞在の彼らは行くところがない。同情したウォルターは彼らを今夜一晩泊めてやることにした。シリア移民のタレク青年は礼儀正しく明るい好青年だ。彼はジャンベというドラムの奏者で、音楽好きのウォルターに叩き方を教えてやる。たちまち要領を覚えたウォルターはジャンベの魅力にとりつかれていく。一方、タレク青年の恋人ゼイナブはセネガル出身で、手作りアクセサリーを路傍で売って生計を立てているのだが、ウォルターに馴染めない様子。


 確かにウォルターは気むずかしく、あまり取っつきやすいタイプではないようだ。そんな彼が、タルクに誘われて公園でジャンベを演奏するシーンの躍動感に満ちたすばらしさはどう! 生きているのか死んでいるのかわからないような人間だったウォルターが瞳を輝かせ、リズムに全身を委ねて笑い跳ねる。タルクと知り合ってわずな時間にウォルターはまるで見違えるように変わっていく。だが、そんな二人に暗雲が。タルクが逮捕されてしまったのだ。不法滞在が発覚したタルクは強制送還の危機にある……


 無垢で異質な他者と出会い、孤独な人間が心を開いていく。そんな様子を見るのは心が洗われるようだ。だが、弱者のために奔走するウォルターを、タルクは「外にいて自由に動ける人間に何がわかるって言うんだ!」と難詰する。言葉を失うウォルター。タルクの非難はおかしい、間違っている、とわたしは思う。ウォルターは必死になって動いているのだ、赤の他人のために。放っておいたってかまわないのに、ウォルターはタルクのために仕事も放擲して努力している。だが、彼の努力はタルクに届かない。弱者のために奔走するウォルターは”Sorry"と言うしかない。


 本作の見所は、タルク青年との交流だけではない。タルクの母モーナとウォルターとの淡い恋もまた見せ場になっている。実をいうと映画が進むにつれて、このロマンスは余計ものかもしれないな、と思いながら見ていた。ところが、これがまたいい味わいなのだ。初老の恋は慎ましく上品で微笑ましい。映画の始まりからずっと人物の顔をアップで撮ることをほとんどしなかったマッカーシー監督の演出は、ウォルターとモーナの心の距離が近づくにつれ、切り返しのアップの多用へと変化していく。


 ウォルターにとって、出会う人々は他者ばかりだ。タルクしかり、タルクの恋人ゼイナブしかり、タルクの母モーナしかり。しかしウォルターはその他者が引き受けざるを得ない「不幸」に同情すると同時に、9.11以後のアメリカ社会のあり方にも沸々と疑問と怒りを抱くようになる。彼にとって社会矛盾とはすなわち、いま目の前にいる、この素敵な青年、自分に音楽を教え解放してくれたタレク青年の困難にほかならない。タレクのためならば、そして彼の毅然とした母のためならば、ウォルターは自分が犠牲になることをいとわない。人はここまで変わるのだ。「生きているフリをしていただけ」のウォルターが生まれ変わる。人はいくつになっても生き直すことができるのだ。


 ラストシーン、ジャンベの音色には希望と怒りと悲しみと解放感がないまぜになった複雑な思いが流れていた。ただ一つの答しか用意しないつまらない作品では決して味わえない、いつまでも尾を引く素晴らしい映画。「グラン・トリノ」と並んで2009年公開作のマイ・ベスト1。



<以下、ネタバレ注意>



 ウォルターが地下鉄でジャンベをたたくシーンを見ながら、つい落涙してしまった。この先、彼はどう生きていくだろう。彼のこの先の人生に思いを馳せざるを得ない、それほどこの映画は素晴らしく「いま」を生きる作品だった。彼にはタルク母子を救う方法がある。シリアに飛び、二人と会い、モーナと結婚すればいい。そうすればモーナは配偶者としてアメリカ国籍を取得できるし、タルクを養子にすればタルクもまたアメリカ国籍をとれるだろう。しかしその前に宗教の壁がある。この壁を彼らが乗り越えることさえできれば、未来は決して暗くはない。生き直すことを知ったウォルターなら、きっとシリアへ飛ぶだろう。

 
 しかししかし、もう一つの結末をも考えざるを得ない。彼らは二度と再び出会うことはない。ウォルターは再び心を閉ざす。そのとき、ウォルターにはジャンベしかないのだが、そのジャンベに彼を癒す力があるだろうか。音楽に向かうだけではなく、彼を癒すのは結局のところ人間だ。音楽を通して人と出会い、彼は解き放たれる。人は他者のなかにしか魂のいやしどころはないのだ。タルクは決して弱者ではない。彼には音楽という力があり、その力と彼の持ち前の陽気さと礼儀正しさがウォルターを変えた。それだけの力ある者が弱者であるはずがない。タルクを弱者にしたのは「アメリカの不寛容」だ。彼は弱者になると同時に恩人であるウォルターにさえ非難の目を向ける。そこまで余裕がなくなってしまった彼と、アメリカ人を代表してタルクに ”Sorry" を言わなければならなくなったウォルターと、どちらが不幸なのだろう。一人と一人の人間の出会いのはずだった彼らの素晴らしい邂逅が、拘置所のガラスという壁を挟んで、パレスチナ移民とアメリカ白人という「構造」へと落とし込められる不幸。


 
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THE VISITOR
上映104分、アメリカ、2007
監督・脚本: トム・マッカーシー、製作総指揮: オマー・アマナットほか、音楽: ヤン・A・P・カチュマレク
出演: リチャード・ジェンキンス、ヒアム・アッバス、ハーズ・スレイマン、ダナイ・グリラ、マリアン・セルデス