吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ザリガニの鳴くところ

https://eiga.k-img.com/images/movie/97539/photo/5db7048041237994/640.jpg?1665112617

 とても見ごたえのある作品。さぞや原作が優れているに違いない。見終わるや否や原作が読みたくなる。

 そして、その原作は超人気作のようで、大都市の図書館では予約が111件ついており、いつ借りられるんだろうと思っていたら、なんと某大学では誰も借りていないので、出校した際に図書館で斜め読み。知的で緻密かつ美しい文体と日本語訳に惹かれて、ついつい読みふけってしまいそうになるが、今これを読んでいる余裕はないのである。冒頭と結末部分だけじっくり読んで、途中は完全に飛ばし読みで30分ほどで読了。なるほどそういうことであったか。映画は原作とほぼ近い模様だ。もちろん原作のほうがじっくり描かれているから情報は多いのだが、子役も含めて役者がとても芸達者かつ主演女優が魅力的なので、映像作品になっても遜色がない。また、衝撃のラストシーンについては原作にない場面が映画には加えられていて、そこは主人公が幼い頃から抱き続けてきた母恋が成就する場面でもあり、とても感動的だった。

 さて、映画の冒頭、時代は1969年。湿地帯の中でチェイスという名の若者の死体が見つかる。殺人か事故か。犯人はその男と交際していた若い女と目星をつけられ、女は逮捕される。彼女の名前はカイア。時代は1953年に遡り、「湿地の娘」と呼ばれて町の人々から蔑まれ、一人生き抜いた6歳の少女カイアの辛苦の生活が描かれていく。

 やがて裁判が始まり、物語は裁判が行われている1969年と、カイアの子ども時代の回想を行き来しつつゆっくりと進んでいく。カイアが住んでいるところは幼いころから変わらず、湿地帯の中にポツンと一軒建っているしもた屋である。途中に沼や川があるので町に出る交通手段はボートしかない。この湿地帯の風景が実に美しく撮られていて、ほれぼれする。

 タイトルの「ザリガニの鳴くところ」とは、湿地帯の奥を指す。そこは誰もやってこない場所、なにかあれば逃げ込む場所。幼いころに家族から、「外の人間が来たらザリガニが鳴くところへ逃げろ」と言われていた。ザリガニは鳴いたりしないであろうに、それほどまでに深い湿地は人間を拒絶し、湿地に包まれ湿地の恵みと共に生きる人間だけを受け容れる。

 子どもがたった一人で湿地の中の一軒家で暮らしていくとは、どれほど厳しく恐ろしい生きざまであろうか。学校に通わず文字も知らない、お金もない。そんな彼女はしかし決して一人きりではなく、ムール貝を買い取ってくれる雑貨屋の黒人店主夫妻が温かく見守ってくれていたのだ。文字は、兄の友人であった少年テイトが教えてくれた。彼だけが湿地の中でカイアと心を通わせた友達だった。

 極貧の中で裸足で生活するカイアだが、文字を覚え、絵を描き、美しく賢く成長する。やがてテイトと愛し合うが、テイトは大学進学を期に町を出たまま戻らない。必ず戻るという約束は反故にされてしまった。その寂しい心の隙を突くように、強引にカイアの生活に割り込んできたのが町の金持ちの息子チェイスだった……。

 カイアは絵の才能を生かして、動物図鑑を出版するまでになる。もはや自立した女性として経済的に困窮することもなく生きていくことも可能な大人へと成長したのだ。チェイス殺人犯として裁かれることになるカイアを弁護してくれる優しい弁護士もついてくれた。果たしてカイアの裁判はどのような結末を迎えるのだろう。

 物語はゆったりと進み、事件の謎を解くというミステリーの香りよりも、カイアの過酷なそして波乱万丈の人生を描く情緒の香りのほうが強い。なんといっても主役を演じたデイジーエドガー=ジョーンズの魅力に尽きる。子ども時代のカイアを演じた子役のうまさにも舌を巻く。「湿地の娘」と呼ばれ差別されているというのに、そしてほとんど現金を持たないはずのカイアなのに、彼女の服装はどんどん美しくなっていき、画面に色を添える。

 カイアの裁判が開かれていた時代が1969年であるところにも注意が必要だろう。黒人に公民権が認められたのは1964年のこと。しかし差別は根強く残っていたし、黒人だけではなく、カイアのような異質な者への偏見もなくならない。カイアの裁判の行方を決める陪審員たちは全員がカイアを差別してきたであろう町の人々だ。それゆえ、弁護士は差別と偏見に基づく判断を避けるようにと陪審員たちを説得する。この弁護士を演じたのがデヴィッド・ストラザーンであり、実に重厚な演技で魅せてくれた。

 湿地の自然の中で生き抜いた一人の女性の強い意志に、深い感動と驚きを受けるラスト。余韻に浸りながら、エンドクレジットに流れるテイラー・スィフトのオリジナル歌を聴こう。(レンタルDVD)

2022
WHERE THE CRAWDADS SING
アメリカ  Color  125分

監督:オリヴィア・ニューマン
製作:リース・ウィザースプーン、ローレン・ノイスタッター
原作:ディーリア・オーエンズ
 脚本:ルーシー・アリバー
撮影:ポリー・モーガン
音楽:マイケル・ダナ
出演:デイジーエドガー=ジョーンズ、テイラー・ジョン・スミス、ハリス・ディキンソン、マイケル・ハイアット、デヴィッド・ストラザーン