吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

或る終焉

f:id:ginyu:20181229123844p:plain

 あまりにも淡々と静かに流れる、介護の時間。末期患者の介護ばかりを仕事とする介護士のデヴィッドは、過去に何を背負っているのか。セリフはほとんどなく、BGMはまったくなく、カメラは固定の長回し。普通ならすっかり寝入ってしまうような映画なのに、画面にほとばしる緊張感はただならぬものがある。
 患者役はどこでスカウトしたのか、よもや本物の患者かと見まがうほどのやせ細りぶりが小枝のような女性が画面にうつろな表情で映し出される。その彼女の身体を丁寧に洗ってやるデヴィッド。男性介護士に身体を洗ってもらうのは抵抗のある女性も多いのではないかと思うのだが、彼の繊細な手先が心地よいのか、女性は疲れ果てた無表情でありながら全身をデヴィッドに委ねている。すべては彼の手のままに。
 デヴィッドは世話をする患者との距離が近すぎるのが原因でセクハラで訴えられたりもする。具体的な状況を説明して抗弁すればいいものを、彼は従容として非難を受け入れているかのように見える。「事実無根だ」という反論も力無い。患者の家族との触れ合いはかたくなに拒む彼には、家族がいた。一人娘のナディアの姿をネットで追うのが楽しみだ。そして、車でこっそり娘の後をつけたりする。そんな彼には秘密があった。それは徐々に明らかになるのだが、セリフが少なすぎるので、ほぼ全編にわたって観客は推し量るしかない。それが画面に緊張感を生む要因だが、一方で退屈な人には退屈だろう。 

 そんな彼はある日、初老のマーサという女性から安楽死を懇願される。一度は拒否したデヴィッドだったが、、、、
 マーサの冷酷な態度には驚くばかりだ。安楽死を他者に依頼するなどと、そんな厚かましいことを懇願するなんてどうかしている。拒否されたからといって怒るのはお門違いだ。しかし、デヴィッドは実に淡々としたもので、彼の横顔からにじみ出る思慮想念がその感情を表現している。
 常に死と隣り合わせの彼は、亡くした息子を思って涙にくれる。ほとんど何もセリフがないのにカンヌ映画祭脚本賞を獲った寡黙なセリフには、短い言葉の中に深い慟哭と悔恨がにじむ。
 孤独な生活の中で楽しみはランニングだけ、というデヴィッド。彼は走る。どこに向かって? 何を求めて? 衝撃のラストに向かって。許しを求めているのか、解放を求めているのか。驚くべきラストが待っている。言葉を失う。
 末期患者が垂れ流した糞尿をシャワーで洗い流してやる場面で、わたしは亡父と母のことを思い出した。これはほんとうにつらい作業だ。いくら職業とはいえ、こういう作業は慣れることなどないであろうに、デヴィッドは黙々と優しく丁寧に作業する。
 贖罪、安楽死、介護、さまざまに考えさせられる静かで重い作品だった。見終わった後に誰かと語り合いたくなる。(U-NEXT)

CHRONIC
94分、メキシコ/フランス、2015
監督・脚本:ミシェル・フランコ、製作総指揮:ティム・ロスほか、撮影:イヴ・カペ
出演:ティム・ロス、サラ・サザーランド、ロビン・バートレット、マイケル・クリストファー、ナイレア・ノルビンド