これも1月にみた映画。既に大方忘れてしまっているが(汗)、いろいろ思い出しながら。。。
まずは、筋ジストロフィー患者で車椅子生活をする鹿野靖明34歳に、北海道大学医学部のおぼっちゃま学生があごでこき使われる場面から始まる。鹿野は彼の世話をするボランティアたちを文字通り顎でこき使うのである。だって筋肉が衰えて、ほとんど体が動かせないのだから。達者なのは口だけ。そのあまりにも傲慢で我がままな態度に、新入りボランティアの大学生美咲は切れてしまう。「鹿野さんて何様?!」と。
映画のタイトルどおり、真夜中に「バナナが食べたい。バナナ買ってきて」とボランティアに命じる鹿野。いわれるがまま、夜中の街を駆け回ってやっとの思いでバナナを買ってくる美咲。それはもう、腹が立つわな、わかるわ。
鹿野は小学6年生の時に筋ジストロフィーと診断され、二十歳まで生きられないと言われたが、成人してからは実家を出て自立生活を営んでいる。今や34歳なのだ。彼は病院や施設に入ることを拒否し、自宅アパートで生活することを選んだ。そのためには彼を介護するボランティアが24時間常に必要だ。「鹿野ボラ」と呼ばれるボランティアグループは大学生だけではなく、鹿野と同年配の大人世代も何人もいる。
口だけは達者でよくしゃべる、そして「夢は英検2級に合格してアメリカに行くこと。そして徹子の部屋に出演すること」という明るい青年の鹿野は、個性が強い人間である。それはもう確かに普通の根性ではこんな生活は成立しないだろう。
よく考えれば、夜中にバナナを食べたくなったら、普通の人はコンビニにでも買いに行けば食べられるのだ。鹿野は単に「ふつうのこと」をしたいと思っているだけであり、別にわがままを言ったわけではない、という理屈も成り立つ。
普通のこと、といえば、鹿野は恋もしたいし結婚もしたい。だから、ボランティア女性を好きになれば当然のように求愛求婚するのである。そしてあっけなく玉砕して失意に陥る。そんな、ふつうの男としてふつうに生きることがかなわない鹿野の悔しさや憤りも徐々に観客には伝わってくる。わたしは彼の偉そうな態度に腹を立てながらも、自分がその立場だったらどうするだろうと考えると、彼の組織力の大きさに感動せざるを得ない。自らボランティアを募集してここまで大勢のボランティアを集め育ててきたわけだ。彼に反発しながらも一方で惹かれていくボランティアたちが鹿野の生活を支える。
鹿野というキャラの立った人物を大泉洋が全力で演じていて、コメディなのにこんなに熱演するなんて、と感動してしまった。
命の限界を一日一日感じながら生きるということがどれほどしんどいことか、その立場になってみないとわからないが、このように生きた人が実際にいたということに大いに勇気づけられる。わたしの父が昨秋パーキンソン病で亡くなった(直接の死因は腸閉塞)ことと姿がかぶり、年齢は全然違うが、それだからこそ余計にこの若さで体の自由がきかないなんて、どれほどつらいだろうと思うと涙が出た。
鹿野が公的サービスを極力頼らず、私的ボランティアによって支援されていたことは賛否両論があると思うが、障害者や病者の自立とは何かを考えさせられる映画だった。