吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

モールス

「ぼくのエリ 200歳の少女」のリメイク。

 原作はスウェーデンの小説で、映画も同国を舞台にした寒々としたものだという。しかしハリウッドリメイクではニューメキシコ州ロスアラモスへと場所を移した。ロスアラモスといえば原爆開発の地だ。映画の中ではそんなことにはまったく言及されないが、この禍々しい土地を舞台に繰り広げられるバンパイア物語というのはいかにも不吉だ。
砂漠が広がるニューメキシコ州というイメージがあったが、高地には雪が降る。雪が積もる寒々とした屋外の風景なのになぜか暖かい色彩が不自然な感じをうけたのだが、これはナトリウム灯という古い形式のライトを使った効果だという。


 集合住宅に住む孤独な12歳の少年が、隣室に引っ越してきた少女と孤独な者どうし、夜中にひっそりと出会う。二人は集合住宅の中庭にあるジャングルジムに腰掛けて語り合う。やがて二人はモールス信号を使って隣室同士で連絡を取り合うようになる。少年は学校では苛められ、家では離婚したばかりの母が酒びたりの生活をしつつなにやら宗教にのめりこんでいるようだ。孤独なオーウェン少年の友達は謎の美少女、隣家のアビーだけ。雪の上を裸足で歩いても平気なアビーはいったい何者なのか。

<以下、ネタばれです>




 映画の巻頭で、いきなり顔にひどい火傷を負った男性が病院に運び込まれるという緊迫の場面が展開し、謎の少女アビーの正体が徐々に明らかになる。オーウェンはアビーの正体がバンパイアであることを知るが、アビーへの友愛は変わらない。いつも学校で苛められているオーウェンにアビーは「やり返さなきゃダメよ」と諭す。やがて連続猟奇殺人事件の犯人がつかまり…。

 本作が2008年製作のオリジナル映画と異なる点は、アビーの保護者が小児性愛者ではなく父親であること。その父親がアビーに愛情と献身の限りを尽くしていること。本作では、ホラーの要素が薄くなり、思春期の少年少女の純愛物語の側面が強くなっているという(劇場用パンフレットより)。

 この物語は純愛物であると同時に、見返りのない献身と犠牲を描いたものとして切ない。生涯をかけて愛する者のために献身を尽くしても、報われることはない。歳をとり、疲れ果て、やがては命を落とすしかないのだ。疲れきった初老の父親役を演じているリチャード・ジェンキンスの憔悴した顔を見ていると、「扉をたたく人」の大学教授を思い出す。ジェンキンスはこんな役が似合う。

 愛らしい少女アビーはただただ犠牲と献身を捧げられても、それを当然のことのように受け取るだけだ。無垢と凶暴が同居するアビーは、愛を搾取する存在の象徴なのだろう。

 恐怖心をそそる音楽がうるさいということと、アビーが人を襲う場面がせわしくもゾンビみたいな動きをみせるいかにもCG合成ぽさが丸出しなのが興醒め、という点を除けばかなりいい線いってる。ヒチコックの「裏窓」のような設定があり、少年の切ない熱愛があり、殺戮があり、復讐があり、希望のない明日が明るく待ち受けているという裏腹な切なさに満ちている、不思議な映画。

 ロナルド・レーガンが何度も登場しては「強いアメリカ、正義の体現者」を演説する場面が挿入されるのも皮肉なことだ。まだ冷戦下だった当時とその後のアメリカの強圧的な戦略と、やがては9.11を迎えることを思えば、レーガンの演説が虚しく響く。

                                                          • -

LET ME IN
116分、アメリカ,2010
監督・脚本:マット・リーヴス,製作:サイモン・オークスほか、原作:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト,音楽:マイケル・ジアッキノ
出演:コディ・スミット=マクフィー,クロエ・グレース・モレッツ,イライアス・コティーズ,リチャード・ジェンキンス