吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

家へ帰ろう

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 戦後70年経ってもホロコーストの生存者たちは戦争を忘れない。あの災禍を忘れない。だから、ポーランドに生まれ、家族を皆殺しにされた少年アブラハムは1945年にアルゼンチンに渡ったあとは、「ポーランド」という言葉をタブーとした。

 今や年老いて足を切断しないといけないと医師に宣告されてしまったアブラハムは成功した仕立て屋として娘や孫に囲まれて幸せそうだ。しかし彼は明日には自宅を引き払って介護施設に入ることになっている。娘たちが彼の家を売り払ってしまったからなのだ。「一人暮らしはできない」と、老人施設行きを宣告されているが断固拒否したアブラハムは片道切符を持ってアルゼンチンを旅立った。目的地はポーランドだ。しかし、決して口に出して「ポーランド」とは言わない頑固な彼は、ホロコーストのおぞましい記憶からまだ解放されてはいなかった。スペイン、フランス、と陸路をやってきたアブラハムはドイツを通らずにポーランドへ行きたいと無理を言って駅員を困らせる。果たして彼は故郷に行きつけるのか。そして、1945年に彼を救ってくれた親友に再会できるのだろうか。

 88歳の、しかも片足が不自由な老人の一人旅はそう簡単なことではない。しかし彼は奸計を弄して飛行機の座席を独り占めしたり、口先上手にホテル代を値切ったりと、なかなか芸達者な爺さんである。だが彼の体調は次第に悪化してくる。そんなユダヤ人の一人旅を助けてくれるのはなぜか女性だ。若い男も一人、彼の役に立った者がいたが、なんといっても彼の旅を助け、勇気づけるのは女たちなのだ。不思議なことに、アブラハムを助ける女たちが一人ずつ交代していくたびにその年齢がどんどん若くなっていく。それは何を意味するのだろう。

 アブラハムは過去の記憶に襲われ、悪夢を見て脂汗を垂らす。体調の悪化は過去との遭遇がもたらした悪夢が原因なのだろうか。かつてホロコーストを生きのびた瀕死のアブラハムを助けた親友は果たして生きているのか、本当に会えるのか。もう彼には時間がない。
 観客はアブラハムと共に旅をする。陽気な爺さんだったアルゼンチンでのアブラハムの表情が、スペイン、フランス、ドイツ、と進むにつれてどんどん険しくなるのを悲しい思いで見てしまう。もう70年以上が経ったのだ。もうドイツ人も反省しているんだから、許してやってもいいのでは? でもドイツ語を聞くだけで気分が悪くなるアブラハムを見ていると、何十年経とうと何百年経とうとユダヤ人たちはこの歴史を忘れないのではないかと思えてくる。もちろん忘れてはならない、繰り返してはならない過ちはある。でも戦後の若い世代に罪はないのだから。。。。と様々な思いがわたしの頭の中を駆け巡る。
 忘れるためには、許すためには、会わなければならない人が居た。それが兄弟のように育った親友なのだ。親友は生きているのか。会えるのか。もう70年も音信不通なのに、なぜアブラハムポーランド行きを敢行するのか。
 実はこの物語はいくつかの実話を基に作られていることが劇場用パンフレットに書かれていた。監督の祖父の家では決して「ポーランド」という言葉を言ってはならなかった、ということ。90歳を過ぎて故郷ハンガリーへとかつての恩人を探して旅立ったユダヤ人がいたこと。
 今年は第1次世界大戦終戦から100年だ。ヨーロッパではさまざまな記念事業が行われたようだし、巨大デジタルアーカイブのヨーロピアナ(Europeana)では第1次世界大戦の特集が10年前からずっと組まれている。ヨーロッパの人々には第1次世界大戦もまだ遠い過去とはなっていないという。ましてや第2次世界大戦は現代のことなのだ。けれど、この映画を観れば、そろそろもう「赦し」の時代がやってきていることがわかる。ホロコーストの罪をいかに赦すのか。赦しがなければ癒しもありえない。戦後のドイツが徹底的に非ナチス化したことは戦争への真摯な反省からの帰結である。翻って日本は。。。。
 いろんなことを考えさせられる映画だが、そんな理屈っぽいことは見ている間は一切考えることなく、ただ車窓からのヨーロッパの美しい街並みを見て嘆息していた。もう一度、いや二度三度行きたい、ヨーロッパ。必ずいつか行きたいポーランド


 そしてわたしはラストシーンで静かに涙を流していた。

EL ULTIMO TRAJE
93分、スペイン/アルゼンチン、2017
監督・脚本:パブロ・ソラルス、製作:ヘラルド・エレーロほか、音楽:フェデリコ・フシド
出演:ミゲル・アンヘル・ソラ、アンヘラ・モリーナ、オルガ・ボラズ、ナタリア・ベルベケ、マルティン・ピロヤンスキー、ユリア・ベーアホルト