吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ヒトラーのための虐殺会議

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 1942年1月20日、「ユダヤ人問題の最終的解決」を議題とする会議がベルリンのヴァンゼー湖畔の邸宅で開かれた。主宰者は国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒで、出席者は政府高官15名と議事録作成のために女性秘書が一人。ヒトラーは出席しておらず、この会議は優秀な官僚たちが集まって、その後のホロコーストを効率的に進めることを決定したものとして知られている。

 この会議の議事録が残っており、本作はその議事録を元に製作されたという惹句を見た瞬間に、これは絶対に見に行かねば!と思ったものだ。文字通りアーカイブズ映画ではないか。アーカイブズの活用事例そのものだ。この議事録の作成は若き女性秘書が行い、最終的にまとめたのはアドルフ・アイヒマンである。後にイスラエルに連行されたアイヒマンは、裁判の被告席で「命令に従っただけ」と自らが凡庸な公務員であるように見せかけたが、この映画を見る限りそれは嘘である。彼は非常に優秀な官吏であり、自らユダヤ人虐殺の方法をあれこれと考案してみせたことがよくわかる。

 映画は今も残る邸宅で撮影されたようだが、詳しいことは劇場用パンフレットを読んでもわからない。舞台はこの邸宅から動かず、ほとんど室内劇の、それも会議の実況中継のような作風なので、大変地味なのだが、それにも拘わらず見どころがありすぎて緊迫感に包まれている。

 ただし、ドイツ人の名前と役職を1度に15人分も覚えるのが大変で、誰が誰だったかわたしには最後まで完全には把握できなかった。この15人の中で最も印象に残るのは内務省次官のヴィルヘルム・シュトゥッカートとクリツィンガー首相官房局長である。

 シュトゥッカートは弁が立ち、法律に詳しいので、ハイドリヒが提案したことにことごとく異を唱える。シュトッカートにとっては反対するのは当然で、ユダヤ人排斥問題についての各種の法律は彼が作ったからだ。それを今さら覆されるのは屈辱である。彼がハイドリヒに理論的に反論する唯一の人間であることが印象深い。ナチスユダヤ人排斥が実はまったく法治国家の手続きを経ておらず、感情論や排外主義の熱狂の下に行われたことがよくわかる。しかし最終的にシュトッカートがどのように丸め込まれるのかは、見てのお楽しみ(楽しい話ではない)。

 会議の中でバビ・ヤール渓谷の虐殺事件が言及される。そのやり方が効率的であったと同時に、実行したドイツ軍兵士たちに心理的負担をもたらしたのではないかとクリツィンガー首相官房局長が案じている。彼は会議の間中、終始暗い表情でうつむき、ユダヤ人絶滅作戦に内心では異を唱えているように見えるのだが、実際には虐殺そのものには一切反対していない。これも自己保身なのだろう。クリツィンガーは牧師の息子だと自ら語っているように、このような非人道的なことには実のところ耐えられなかったのではないか。しかし彼の口から出た言葉は、「ユダヤ人のことを心配して言っているわけではない。心配なのはドイツの若者だ。彼らに精神的な負担を強いたりしないかと…」であった。ドイツの若者のトラウマを案じて顔を歪めている彼の本当の心の叫びは想像するしかないが、この会議の後ほどなくして彼は辞任しているし、戦後、ニュルンベルク裁判で「過去のドイツを恥じている」と述べている(Wikipediaドイツ語版より。Als einziger Teilnehmer der Wannseekonferenz von 1942 gab Kritzinger seine Teilnahme von sich aus zu und bestätigte den verbrecherischen Charakter derselben. Ferner erklärte er, sich „der deutschen Politik während des Krieges“ geschämt zu haben, und stimmte der Charakterisierung von Hitler und Himmler als „Massenmördern“ zu.)。

 官僚たちが腹の探り合いと自己保身に走り、「うちのユダヤ人」という言い方を繰り返し、ユダヤ人を「ゴミ」と呼ぶ、おぞましく耐え難い会議の間中、秘書の女性は何を考えていたのだろう。そして会議の間中笑顔を絶やさない爽やかで不気味なハイドリヒと、苦虫をかみつぶしたような顔をしている残忍そうな親衛隊中将ハインリヒ・ミュラーとの対比が興味深かった。

 古い建物の廊下では足音が響き、床がミシミシときしる、その音がまた異様に効果的だ。映画が終わってエンドクレジットが始まってようやくこの作品には劇伴が無かったことに気づいた。なるほど、だからあれほど足音が印象に残ったのか。

 ちなみに、ハイドリヒはその後まもなく暗殺されている。彼の暗殺については二つの映画があり、どちらも面白かった。

2022
DIE WANNSEEKONFERENZ
ドイツ  Color  112分
監督:マッティ・ゲショネック
製作:ラインホルト・エルショット、フリードリヒ・ウトカー
脚本:マグヌス・ファットロット、パウル・モンメルツ
撮影:テオ・ビールケンズ
出演:フィリップ・ホフマイヤー、ヨハネス・アルマイヤー、マキシミリアン・ブリュックナー、マティアス・ブントシュー、ファビアン・ブッシュ、ヤーコプ・ディール、ゴーデハート・ギーズ