吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

友罪

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 帰りの機内で見た。もともとは往復ともエールフランスに乗るはずだったので、帰路に見ようと思って楽しみにしていた映画が何本もあったのに、それが見られなかったのが残念。帰りは台風で欠航になった代替機がANAだった。ANAよりエールフランスのほうが映画の選択肢がわたしの好みに合う。
 さて、物語は。
 重厚なドラマがいくつも重なり、心の傷が新たな血を流した後、その血が乾いた先の草原の輝きへ、かすかな希望へ、手が届くかもしれない光へと向かうラストシーンへと誘う。 

 草原が波打つ描写はタルコフスキー「鏡」を彷彿とさせる。トム・ティクヴァが「ヘブン」でオマージュを捧げたシーンでもある。ティクヴァの「ヘヴン」もこの作品と同じく罪と罰と贖いの物語であった。

 主人公は元ジャーナリストの益田。彼が転職した町工場には、同じ日に就職してきた「鈴木」という無口な青年がいた。二人はともに一ヶ月の試用期間を経て本採用になるかどうかが決まる。住み込みで働く青年労働者たちは粗暴で教養がなく、しかし彼らなりの秩序と同僚意識を持って働いている。益田と鈴木はなぜか友達になり、お互いが過去に傷を持っていることを敏感に察知する。実はその鈴木はかつて「少年A」と呼ばれた連続殺人鬼だったのだ。物語は前半、鈴木の過去を秘密にしたまま展開していく。無口で不気味な鈴木は何者なのか? 益田は鈴木のことを知りたいと思い、やがてその本名や過去を知ることとなる。
 一方、鈴木と益田という同い年の青年たちと一瞬交わるタクシー運転手にもつらい過去があった。運転手の息子は無免許運転で子ども三人を殺していたのだ。
 「殺人鬼」の家族は幸せになってはいけないのか? 笑って暮らしてはいけないのか? 一生贖罪を続けなければならないのか? 何をすれば許されるのだろう。どこまで自分を責めれば許されるのだろう。答えの出ない問いがぐるぐると回り続けるうちに、何組もの傷ついた人々の命のやりとりが交錯していく。

 登場人物全員が重い過去を背負い、今を生きる苦しさにあえぎながらも前を向こうとするため、緊張感が途切れず、思わず手に汗を握ってしまう。
 このドラマのヒントとなった実在の事件はすぐにわたしたち観客の脳裏に浮かぶ。あまりにも有名な酒鬼薔薇事件や、飲酒運転で子ども三人を死なせた運転手や、多くのいじめ自殺事件。これほどまでにつらい物語を背負っている人々ばかりが登場するなどということは通常の人生ではなかなかありえない。この寓話は、生きることのつらさから逃げ、そして逃げることをやめて生きていこうともがく人々を見つめ、観客に他人事とは思わせないリアリティを生む。
 映画を観ながら、これは原作があるのだろうと思っていた。やはり原作小説が存在する。小説ではおそらく丁寧に描かれていたはずの部分が映画ではきちんと説明できていないため、なぜ益田と鈴木が友達になったのかがよくわからないし、そもそもいつの間に友達と言える関係になったのか、そのキーとなるセリフか描写があれば説得力があったのに、残念だ。
 しかし、そのような瑕疵はそれほど気になることではなく、役者の演技を見て感動する映画でもあるわけで、佐藤浩市瑛太の演技は特に瞠目すべき。苦しみを背負う人間の償いはいつになれば終わるのか、許される日はないのか、被害者家族の苦しみにも終わりがない。救いようがない悲劇の繰り返しの中に人々の心が彫像のように置いてある、そんな映画だった。その彫像は悲しいけれど、窓から差し込む光がぼんやりとその姿を浮かび上がらせる。再び、人間を信じて歩んでいこう、この生き難い世界で。

128分、日本、2017
監督・脚本:瀬々敬久、原作:薬丸岳、音楽:半野喜弘
出演:生田斗真瑛太夏帆山本美月富田靖子、奥野瑛太、飯田芳、西田尚美光石研古舘寛治佐藤浩市