キャストを見ると今人気の若手がしっかり目立っていて、さらにベテランがいい仕事をして、万全の布陣。瀬々監督は盤石の演出。警察記者クラブの雰囲気がちょっとエキサイティングな感じもするけれど、原作がそういうものなのだろうか。ちょっとだけ席に着くのが遅くなったわたし、いきなり誘拐捜査のクライマックスシーンだったからスクリーンを間違えたか上映開始時刻を間違えたか、と思わず時計を見直してしまった。そのぐらい、巻頭から映画は昭和64年の事件に観客を強引に引きずり込む。
昭和64年1月7日に誘拐殺人事件は起きた。ほんの27年前のことなのになんだか懐かしい。そうだ、あの頃は歌舞音曲の自粛とか、下血報道ばかりでうんざりしていたのだ。天皇が正月明けてから亡くなったのは下々のことを考えてのことだったんだ、とか言ってた人がいたな。とにかくそういう時に少女誘拐事件は起きた。警察が失態を犯して犯人を取り逃がし、それから14年。時効まであと1年あまりとなったところから現在のドラマが始まる。つまり、ドラマの舞台は平成14年(2002年)12月。携帯電話がみんなガラケー。ちょっと前のことが懐かしい。
主人公は地方警察の広報官・三上。広報官というのは閑職であり、腰掛の仕事に違いない。三上は本当は刑事に戻りたいのだ。多くを説明しない本作では、徐々にこの警察内部の人間関係や組織のしがらみが浮かび上がるようになっている。わたし自身が大きな組織の一員になったことがないから、「組織の論理」というものがピンとこない。ポストにしがみつく人間心理も理解できないし、出世欲にかられた男たちの姿にも白々しいものしか感じない。しかしそんなわたしにも、この映画は「そういうことなのか」と瞠目させるような、組織の重力というか権力闘争というか、「個」を圧殺するような組織の力を実感させる。そして、瀬々監督はそのような組織の力に抗う個人を描こうとした。結末が原作と異なる、というのはまさに瀬々さんの思想がそこに現れているからだろう。
記者クラブの様子が実際とは若干異なって、映画的に面白く作ってあるのが違和感あり。また、全体にとても昭和の色が濃くて、記者クラブの2002年現在の人々もなんだか妙な感じがする。しかし、あえてそのような時代づくりを選んだ演出の意図は理解できる。物語全体がそもそも「昭和に取り残されている」のだから。
昭和最後の数か月は天皇の下血報道に紙面を奪われていた。天皇死去の1月7日以降はまさに天皇報道以外にはなにも報道されていなかったような記憶がある。そんな時に地方で起きた誘拐殺人事件など小さく取り上げられるだけで人々の脳裏から速やかに消えたに違いない。この事件そのものはフィクションだが、さもありなんと思わせるものがある。そしてそれから14年。天皇報道にかき消された最後の昭和64年「ロクヨン」に取り残された怨念がよみがえるのだ。
正しく葬られなかった魂は祟る、というのは民俗学の常識である(たぶん)。
警察の組織ぐるみの隠蔽体質と、組織を守ろうとするベクトルとが交差し、それに個人の力で対峙しようとする人間の無力がぶつかり合うところにドラマが生まれる。三上は一人娘が引きこもりとなり、挙句の果てには家出してしまった。そんな三上が誘拐報道の最前線に警察広報官として立たされるところに、この作品の見どころがある。
瀬々監督は、この映画を三人の父親の物語として描きたかった、と語っている。その三人とは、いずれも娘を失い、または失うかもしれないという恐怖の淵に立つ父親である。彼らはそれぞれが取り返しのつかない地平に立っている。取り返しがつかないと思いながらも復讐に生きる執念を燃やす父、取り返せるかもしれないと後悔にさいなまれる父、取り返しがつかないことの恐怖におびえる父。逆に言えば、この物語があまりにも「父=男の話」であるところが、女から見れば不満を残す点だ。
本作は登場人物の性格類型がやや単調で、誰もかれもが熱演しすぎるきらいがあるのが難点だが、前後編にわたって緊迫感が持続し、たいへん面白かった。
ところで、烏丸せつこがどこに登場しているのか最後まで分からなかったのだが、劇場から出てから気が付いた。なんと! あの和服のおば(あ)さんが彼女だったのか! 衝撃であるが、人のことは言えない。わたしだって十分老化した。。。
121分、119分、日本、2016
製作国 日本
監督: 瀬々敬久、企画: 越智貞夫、原作: 横山秀夫、脚本: 瀬々敬久、久松真一、撮影: 斉藤幸一、音楽: 村松崇継
出演: 佐藤浩市、綾野剛、榮倉奈々、夏川結衣、窪田正孝、金井勇太、筒井道隆、鶴田真由、赤井英和、菅田俊、小澤征悦、嶋田久作、瑛太、椎名桔平、滝藤賢一、烏丸せつこ、奥田瑛二、仲村トオル、吉岡秀隆、永瀬正敏、三浦友和、緒方直人