吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

エッセンシャル・キリング

 とても深い映画。ひたすら逃げるだけの男の信じがたい生命力と、その力と裏腹の悲しげで絶望的な瞳にひきこまれる。


 アフガニスタンの乾いた大地で米軍に捕まったタリバンらしき男は、爆撃の後遺症で耳が聞こえなくなったまま捕虜となり、移送途中の車の横転事故のどさくさに紛れて逃げ出す。後はひたすら雪の大地を国境を越えて逃げ続ける。追っ手がヘリコプターから迫り、大地を駆ける軍隊犬が群がってくるが、すべてを追い払い、殺害しつつ、男は逃げる。雪の森は深閑と美しく、何も聞こえない男は生命の本質=ESSENTIAL(ity) に追い立てられるように手当たり次第に人を殺し、虫を食らい、木の皮を齧る。彼の殺戮は必要不可欠な、止むに止まれぬ=ESSENTIAL なものとして描かれているかのように見える。

 だがやがてその物言わぬ逃亡者が己の姿に涙する時が来る。殺さなくてもよさそうな人まで殺してきた逃亡者が、授乳中の女の乳ほしさに豊かな乳房に吸い付いた時、彼は己の姿に絶望の叫びを上げる。それは彼が「人間性」を取り戻す瞬間だ。彼が殺さなかった女たち、それは乳児を抱いた若い母と、聾唖者。弱き者は殺さない。それもまた、彼にとって ESSENTIAL な部分なのだろう。


 余りに美しく残虐な寓話にわたしたちは何を見る? 極寒の白い大地をどこまでも逃げ続け飢えと闘いながら、ふるさとに残した家族の夢を見つつ、男は生に執着し、ただ生き残ることだけにすべての力を使い果たしていく。そこには他のなにものをもそぎ落とされた、むき出しの生が描かれている。男はもはや言葉も失い、己の境遇を語る術を持たない。白無垢の姿を鮮血に染めつつ、男の命は尽きようとしている。

 ラストシーンの寒々しさと美しさには慄然とする。見終わった瞬間に、得体の知れない切なさがこみ上げてきた。政治的なメッセージよりも、生きることの苦しさが際立つ深い作品だ。(レンタルDVD)

ESSENTIAL KILLING
83分、ポーランド/ノルウェー/アイルランド/ハンガリー、2010
製作・監督・脚本: イエジー・スコリモフスキ、製作: エヴァ・ピャスコフスカ、共同脚本:エヴァ・ピャスコフスカ、撮影: アダム・シコラ
出演: ヴィンセント・ギャロ、エマニュエル・セニエ、ザック・コーエン、イフタック・オフィア