本日、研究会「職場の人権」の例会があり、久しぶりに参加した。報告は伊藤太一さん(大阪経済大学経済学部教員)「アメリカ労働運動の新潮流と“サンダース現象”」。伊藤先生は非常にお話が上手で、身振り手振りでサンダースの物まね演説をされたりして、とっても面白かった。面白いというと語弊があるが、興味深いお話がいろいろ聞けた。近々研究会の会誌で報告内容が掲載されるので、興味のある方にはぜひご覧いただきたい。
して、そのお話のなかで、アメリカ社会の差別の激しさを表す事例として「つい最近も、一人の黒人少年を白人警官が取り囲んで射殺してしまうという事件が起きた。その様子をスマホで撮影していた人たちがネットに動画をアップしたために暴動に発展した」というアメリカ留学中の話を紹介された。それでこの映画のことを思い出した次第。2014年に見た作品だが、今頃感想をアップします。
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2009年1月1日の未明、一人の黒人青年がサンフランシスコ近くのフルートベール駅で警官に射殺された。その様子を乗客たちが携帯で撮影していて、映画の巻頭はその実際の映像が流れる。不吉な銃声とともに暗転した画面はその前日に戻る。
ある日突然、不当にも無抵抗な状態で警官に撃ち殺されてしまった青年が、予期せぬ死の1日前をどのように生きたのかを淡淡と描く。ドキュメンタリータッチを狙った画面は手持ちカメラが揺れてちょっと見難い。画質も粗くて、それはそもそも狙ったのかもしれないが、あまり感心しない。
この手の映画にはコロンバイン高校の乱射事件を描いた「エレファント」があった。事件が起きるまえのごく普通の日常生活を描く、という手法。だからこの映画の作り方じたいに新鮮味は感じないし、そもそもコロンバイン事件ほどに衝撃度が高くない事件だから、インパクトが薄いのかもしれない。しかしこの映画には、実際の事件がその現場に居合わせた人々によって一部始終を撮影されてしまい、ネットに出回ったその映像を映画で使用したという点に目新しさがある。近頃話題のフェイクドキュメンタリーではなく、実際の素人映像を取り入れたドラマである。
罪なく殺されてしまった黒人が決して品行方正な人間ではなく、たとえこの時に殺されていなくてもろくな死に方をしないだろう、と思わせるような人物であるところがこの映画のリアルな点だ。前科があり、遅刻を理由に店を解雇されたばかりで、ひょっとしたらまたヤクの売人に逆戻りしそうな危なっかしい崖っぷち。
それでも4歳の娘と恋人といっしょに生活を立て直そうとはしているのだ。彼はどこにでもいる母親思いの青年で、娘を可愛がり、見ず知らずの人にもつい親切にするし、犬がひき殺されれば抱きしめてやる、そんな優しい面も持っている。長所も欠点もふつうに持っている人物なのだから、つまりはどこにでもいる若者に違いない。「ろくな死に方をしないのでは」と思わせるような人物だからといって、殺されていい人間など一人もいないはずだ。
どっちに転ぶかわからない彼の人生。まさにそんなときにあっけなく死はやってくる。電車の中でヤクザな男たちにからまれて喧嘩になり、警官がとんできて逮捕されてしまうという展開に、不安の序曲が鳴り始める。逮捕された彼と仲間たちが警官に不当逮捕を抗議し、警官の姿を携帯で撮影したばかりに、撮影された若い警官はパニックに陥る。そして悲劇が。
主人公の死という結論を知って見ている観客には、彼の一挙手一投足が死へのプレリュードのように思えて、切ない。人間はこんな風にある日突然命を落とすことがある。彼を殺した警官と差別への怒りもさることながら、命のはかなさの無常観に包まれたラストだった。(レンタルDVD)
FRUITVALE STATION
85分、アメリカ、2013
監督・脚本: ライアン・クーグラー、製作: ニナ・ヤン・ボンジョヴィ、フォレスト・ウィテカー、音楽: ルートヴィッヒ・ヨーランソン
出演: マイケル・B・ジョーダン、メロニー・ディアス、オクタヴィア・スペンサー、ケヴィン・デュランド、チャド・マイケル・マーレイ