吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

さらば、わが愛/覇王別姫


 素晴らしい。悲しすぎる物語。同じように中国現代史を背景にしていても、駄作「ジャスミンの花開く」となんたる違い。

 薄幸の少年小豆が母に捨てられ京劇の一座に預けられる場面からして息を呑む。後はひたすら小豆が辛い修行時代を送り、殴りに殴られて…という「おしん」物語。彼を助けてくれる兄的存在の石頭少年の優しさと逞しさが際立つ。二人の少年時代の描写が優れているために、このあと半世紀に及ぶ彼らの交流のさまざまな場面が観客の心に容易に入り込んでくる。少年時代の二人が京劇の「覇王別姫」の舞台を見て感涙にむせぶ場面はとりわけ印象深い。「こんな役者になれるなら、いくらでも殴ってくれ」と言う台詞にこそ、彼らの後々生涯続く演劇への執念と愛着を表すのだ。

 豪華絢爛な舞台衣装、音楽、緩急自在なストーリー展開、どこをとっても大河物語に相応しい演出だ。少年たちが長じて、小豆は“程蝶衣”という女形、石頭は“段小樓”という役者になり、京劇のスターとして栄華を誇る場面の高揚感は素晴らしい。小楼が女郎の菊仙を妻に娶るときから、蝶衣の苦しみが始まる。兄と慕う小楼に、蝶衣は兄弟の感情を越えた愛情を抱いていたのだ。レスリー・チャンの演技が素晴らしく、かしげた首、流し目、指先一本ずつのしなやかさや柔らかさ、その艶めかしさには目がくらむ思いだ。

 やがて日本軍の侵攻、日本の敗戦、国共内戦共産党政権樹立、文革、と激動の時代がやって来る。京劇スターたちも時代の波に翻弄されていく。圧巻は文革の場面。京劇の役者たちが文化の破壊者として批判され、自己批判を迫られる場面の悲惨さには目を覆いたくなる。権力におもねり仲間や妻を裏切っていく小楼もまた憐れな被害者には違いない。

 この映画は1993年の制作だ。文革批判の映画ならいくらでも許される時代に作られた作品だけあって、こういう場面の描写は容赦ない。そもそも映画の巻頭は四人組批判の科白から始まるのだ。むしろ本作は時の共産党政権の意に沿うように作られたものではなかろうか。

 日本でもそうだが、もともと伝統芸能を担う者たちは社会の底辺出身者だ。歌舞伎しかり、狂言しかり。京劇も、その「養成所」にいる少年たちは捨て子であったり親に売られた子どもたちのようだ。芸で身を立てる以外には道のない彼らの生き様には、わたしたちの想像を超える執念があるのだろう。

 美しい絵巻物を見るような、そして胸掻きむしられる悲劇に酔う映画。カンヌ映画祭パルムドールは当然か。カンヌの審査員たちはこういうエキゾチックな映画に弱いしね。

 でもやっぱりチェン・カイコーの映画では「黄色い大地」のほうが名作だと思う。(レンタルDVD)

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覇王別姫
香港、1993年、上映時間 172分
監督: チェン・カイコー、製作: シュー・ビンほか、脚本: リー・ピクワー、
音楽: チャオ・チーピン
出演: レスリー・チャンチャン・フォンイーコン・リー、グォ・ヨウ