さすがアカデミー賞をとっただけはある、ケイト・ブランシェットの見事に不気味な演技。彼女の目が怖い、目が。しかもその目をぐっと寄って撮るカメラさん、すごいですね、よく耐えました、この怖い目に。
贅沢三昧の暮らしをしていたかつてのニューヨーク・セレブ人生と、すべてを失った現在のジャスミンが流れ着いた西海岸での生活がシームレスにつながっていく演出。過去と現在が何の段差もなく往還する様には胸のすくような技術力が発揮されている。この編集の巧みさには脱帽。
詐欺まがい商法で大もうけした夫の財産で贅沢三昧していたNY時代、彼らは多額の寄付をためらわない。「持てる者の義務として、施しは必要」とのたまう。その「持てる者」の財産は他人の金を巻き上げた結果なのだ。一目ぼれして結婚したという夫はアレック・ボールドウィン。わかるわー、彼の若いころはどれほどかっこよかったか。「レッドオクトーバーを追え」のジャック・ライアン役の男前ぶりは未だに忘れがたし。だから、そのかっこよくてお金持ちの夫がさぞやモテるであろうことは想像に難くない。ゆえにその夫が妻一人にぞっこんであろうはずがなく。
現在の惨めで半分病んでいるジャスミンの姿と、過去の輝いて自信たっぷりな姿とを往還するうちに、彼女の幸せを奪ったのは実は彼女自身であることが徐々に明らかになってくる。現在の落ちぶれたジャスミンがあまりにも虚飾にまみれているために、彼女がとあるパーティで知り合った野心家の外交官(ピーター・サースガード、痩せてしまっているので驚いた。病気ちゃうの?)も詐欺師の一味ではないかと思えるほど、わたしはこの映画に登場するすべての人間を疑わしく見てしまった。
誰もがもつ見栄や虚栄心もここまでくると病気。ジャスミンの見果てぬ夢は、肥大した自我が現実との折り合いをつけかねて、うつつとあちら側とを行き来し、ついには木っ端微塵となる。ジャスミンと血のつながらない妹ジンジャーのうつけぶりもあほらしく、この姉妹はどちらに転んでも度し難い愚か者。しかし彼女たちを笑うことができようか? 身の程知らずの幸運は自分の努力の賜物であるならばともかく、そうでないとすれば泡と消えても仕方が無い。そのことを自覚して初めてこの競争社会で負け犬にならずにすむというもの。資本主義社会の権化のような生活を送りながらその根本のところを理解していなかったジャスミンが、妹たち貧困層を「負け犬」とののしる資格はない。
尊敬すべき人物が誰一人登場しないお寒い物語には、現在のアグレッシブな資本主義社会アメリカへの痛烈な批判がこめられている。翻ってそれはユダヤ人であるウディ・アレン監督の再帰的な問いでもありえるのだろうか? アメリカの金融市場を牛耳る(と思われている)ユダヤ資本のあくどい商売にウディ・アレンは冷ややかな目を向けているのであろうか。
「ブルー・ムーン」の軽やかな音楽が切なく空しい。消え去った夢が美しくも無意味であるのと同じように。
BLUE JASMINE
98分、アメリカ、2013
監督・脚本: ウディ・アレン
出演: ケイト・ブランシェット、アレック・ボールドウィン、ルイス・C・K、ボビー・カナヴェイル、アンドリュー・ダイス・クレイ、サリー・ホーキンス、ピーター・サースガード