吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日

f:id:ginyu:20140429005959j:plain     一年以上前に見た映画。映像は予想通り素晴らしかった。映像はいいけどお話は単なる空想ものとかいう評価もあったが、どうしてどうして、ストーリーにも大いに惹かれた。おそらく原作小説はもっと神と信仰について深い洞察をしているのであろうが、映画でそれを表現するのは難しい。そこでアン・リー監督が考えたのが<3Dによる驚異の水表現>により、少年の冒険譚を大人も感動できる崇高な精神性にいざなうことだった。 

 インドに住む少年パイが家族とともにカナダに移住するため乗った船が太平洋で難破し、少年と動物たちだけが救命ボートに乗り移って漂流した、という奇想天外な物語だが、その物語を成人したパイが作家に語るという形式をとったために、映画の時制は過去の少年時代と現在の中年男性の語りの二つを往還する。パイは成人しているのだから、波乱万丈の漂流から彼が生還できたという結末は既にわかっている。にもかかわらず、グイグイと映像に引き込まれていく。

 パイが漂流するまでが長くて、途中でだれたわたくしはここで少々寝てしまったが、嵐がやってきて船が沈没する頃からは目がかっと醒めていた。冒頭はとてもいい感じだった。パイの少年時代のあだ名にまつわる物語はスピード感とユーモアに溢れている。彼の両親は動物園を経営し、その経営がうまくゆかなくなってカナダへの移住を決意するわけだが、お母さんがまたすこぶる美人。

 さて、救命ボートに飢えた虎と一緒に乗っていてほんとうに命が助かったのか? 観客の素朴な疑問に映画はリアルな答えを出す。自分が餌にならないよう、パイは虎に餌を与え続けたのだ。そして勇気と知恵を絞って虎を調教するようになる。ここで、この救命ボートにはサバイバル用のテキストや食料、水が搭載されていた、というのがミソで、かつパイが動物園の子どもだったから猛獣にも慣れていたというのも好材料だった。いろんな条件が重なった上に、なによりもパイ自身の知恵と勇気とど根性が彼をして生存させたのだ。

 途中で出会う嵐のすさまじさといい、朝焼け夕焼けに鏡のように照らし出される静かな海面の、ため息が漏れるほどの美しさといい、夜光くらげの点滅、深い深い海の吸い込まれそうな恐怖と透明感、どれもこれも筆舌に尽くしがたい美しさだ。魚の泳ぐ姿や鯨の出現も! これは絶対に劇場で、しかも3Dで見なくてはいけない!

 どうしようもない孤独の中で、緊張感溢れる虎との対峙がいつしか彼に生きる力を与えていく。自分の「敵」と思っている相手こそが実は自分を奮い立たせ、生きる力を与える存在なのかもしれない。ヒンドゥ、イスラムキリスト教という三つの宗教を信じるパイはあらゆる場面で神の存在を感じ取り、生きる意味を考えて考え抜く。ただし、この宗教観を描く部分は映画的には面白くないから、あまり観客には響かないかもしれない。むしろ深遠な感覚に陥るような映像の力によってわたしたちは自然の中に生かされているわが身を痛感していく。深い思いに囚われるとともに、日常の瑣末な感情のつまらなさに自嘲したくなる。

 最後の最後にパイが語った物語には真実があるのだろうか。いや、この虎との漂流こそがパイの人生なのだ。物語の二重性に惹かれる観客にはこの「羅生門」的な展開に惹かれるだろうが、映像に打ちのめされた人にはそれは関係ない。残念ながらこれからDVDでこの作品を鑑賞する人には、まったく異なる映像体験となるだろう。映画とは面白いもので、「映像体験」と「映画鑑賞」とは似て非なるものと思える。ともあれ、必見作であることは間違いない。

LIFE OF PI       

127分、アメリカ、2012      

監督: アン・リー 、原作: ヤン・マーテル、脚本: デヴィッド・マギー 、ディーン・ジョーガリス 、音楽: マイケル・ダナ      

出演: スラージ・シャルマ、イルファン・カーン、アディル・フセイン