吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

苦役列車

 主人公のダメダメ人間ぶりは原作よりは少しマシかもしれないが、いずれにしてもおよそ側にいてほしくない類のそれである。

 原作は主人公の性格の悪さに辟易しつつもその明治文学みたいな文体に惹かれて読み進められるが、映画ではそのままなら露悪的なだけで見ていられないと思ったのか、主人公北町貴多のダメ男ぶりを多少緩和させ、さらに原作に登場しない古本屋のバイト女子学生を造形して物語に花を添えさせる。これは映画的にはなかなかよかった。随所に演出の工夫の跡が見られるので、これはあの原作にしてこの映画なら、随分上出来と思わせる。

 物語の舞台は1986年の東京。19歳の日雇い労働者北町貴多は今日も「覗き部屋」で性欲を処理する。家賃を滞納している安アパートには家具は何もないが、文庫本がうずたかく積まれている。中卒の貧しい日雇い労働者、金なし友なし女なしの生活が続くが、そんな彼も読書だけが楽しみな毎日。ある日、日雇い仕事で一緒になったイケメン専門学校生の正二と友達になった貫多は、前から好意を寄せていた古本屋のバイト店員康子と友達になれるよう、正二に口利きをしてもらう。自堕落な生活を続けていた貫多にも、ついにめくるめく青春の日々がやってきたのか?


 日雇い労働、貧困の悪循環の無限ループから脱出できる人間とそうでない人間はどこが違うのだろう。専門学校生正二にとってその世界は一時的なものでしかないが、貫多はおそらくそこから永遠に這い上がれない。何の希望もない生活。19歳にして既に諦観の世界に生きているかのような貫多。しかし彼は叫ぶ。「ぼくは書きたいんです」。映画は彼が原稿用紙に向かって書きまくる背中を映し出して終わる。観客は知っている。実は、永遠に這い上がれないだろうと思われた貫多がその後芥川賞作家になることを。ここに唯一の救いがあるのだが、実際の原作者西村賢太は未だにあまり代わりばえのしない生活を送っているようだ。さすがに当時に比べれば金はできただろうが、小説に描かれたあの性格の悪さが露悪趣味や過ぎた謙遜でなければ、未だに友達なんかいそうにない。

 映画「苦役列車」は原作の苦い青春物語に映画的な華やぎやファンタジーを加えて、一味違う青春ラブストーリーに仕上がった。これには前田敦子の魅力に依るところが大きい。前田敦子というのを初めて見たが、今をときめくアイドルをアイドルらしからぬ使い方をしていて、演出がうまいのか前田敦子の天性のものなのか、一見地味な女学生役を楚々と演じて光っている。


 影の主題歌といってもいい、「線路は続くよどこまでも」の使い方が絶妙にうまい。とぼけた味をだしていて、こういう音楽の使い方もうまいねぇ、山下さん。


 労働災害が発生して同僚の中年男がケガをする場面で、「日雇いだから労災保険も適用されない」という意味の台詞が正二の口から出るが、これは1986年当時であっても間違い。一人でも労働者を雇っていたらバイトだろうが日雇いだろうが労災保険は強制加入。しかも保険料は事業主の100パーセント負担。て、思わず労働法講座を開講したくなる(笑)。

 救いの無い貧しい生活が永遠に続くかのような原作に比べれば、上昇と脱出のための「努力」への第一歩が見える映画のほうがはるかに救いがある。あまりお奨めとは言いがたいけれど、それなりに面白い作品だった。港湾荷役労働の一端が垣間見えるのも興味深い。

114分、日本、2012
監督: 山下敦弘、製作: 香月純一ほか、原作: 西村賢太、脚本:いまおかしんじ、音楽: SHINCO
出演: 森山未來高良健吾前田敦子マキタスポーツ田口トモロヲ