吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

彼女が消えた浜辺

 見事な脚本にうなった。
 美人ばかり登場する。これまたすごい。一緒にDVDを見た長男Y太郎が「全部美人やなぁ。ペルシャ人は美人なんや。イラン人が美人なんじゃなくて、ペルシャ人が美人なの、わかった?」と偉そうに言ってた。


さて物語は。
 イランの中流階級の人々が車を何台も連ねて海辺にピクニックに出かける。実はこのリクリエーションを提案した女性セピデーには、最近離婚したばかりの男性アーマドと、独身のエリとを結び付けようとの「魂胆」があったのだ。しかし、一同が浜辺で遊んでいるうちに、エリが行方不明になる。そもそもセピデーすら、エリの本名を知らなかった。エリはセピデーの子どもの保母という関係。なぜエリは失踪したのか。海で溺れたのか、みなに黙って帰ってしまったのか、警察を呼んで捜索する大騒ぎへと発展する一方、エリの失踪をめぐって3家族の疑心暗鬼が募り、互いへの責任転嫁やなじり合いが始まる…。


 予告編ではミステリー映画として宣伝していたが、むしろ、イラン社会の旧弊を背景にした心理劇である。真相究明のための謎解きが主眼ではないが、最後までミステリアスな雰囲気が続くため、スリリングな展開が目を離せない。心理の襞を細かく描く脚本には背筋が寒くなるほどで、Y太郎は「怖いなぁ〜。これ、怖い映画や」と何度も呟いていた。

 
 子どもたちを引き連れた海辺のバカンスが一転する急展開は見事で、それまでああでもないこうでもないとのどかに語り合っていた一同が、突然不安におびえ始める。特にエリを誘ったセピデーは責任を感じて泣きつづけている。観客もまた登場人物たちと同じく、エリがなぜ居なくなったのか訝しく思う。やがてセピデーは皆に隠していたある事実を語り始める。そこでまた一座の雰囲気が一転する。この、二転三転する展開が見事だ。何が三転するかというと、登場人物達の、エリへの評価と自己保身の心理だ。後出しじゃんけんのごとくにエリのことが少しずつ分かってくると、そのたびに人々は右往左往し始める。


 面白いことに、この作品には一切悪人が登場しない。皆がみな、ごく普通の中流階級の人々であり、それだけに非常にリアルに観客に心理状況が伝わってくる。もちろん、イラン社会の風習を理解していないとその伝わり方には濃淡があるのだが、「非常時」というのは人の本性を露わにする残酷な事態には違いない、と誰もが感じるであろう。


 スリリングな心理劇にはイラン社会の女性差別を批判する眼差しが込められている。彼我の文化の違いをまざまざと感じながらも、ここには普遍性が宿っていると確信する、素晴らしい作品だ。(レンタルDVD)
 

DARBAREYE ELLY
116分、イラン、2009
監督・脚本:アスガー・ファルハディ、音楽:アンドレア・バウアー
出演:ゴルシフテ・ファラハニ、タラネ・アリシュスティ、 シャハブ・ホセイニ、メリッラ・ザレイ