吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

新しい人生のはじめかた

 春に劇場で見た本作が、もうすぐレンタルリリースされるので、感想をアップ。今年見た恋愛系映画では、「恋するベーカリー」と双璧をなして、私的には高得点。ちなみに「50歳の恋愛白書」も映画館で見たけれど、これはお奨め作ではないので、ご紹介しません。


 最近、映画のタイトルが覚えられなくて困っている。見た映画のタイトルももちろん忘れるけれど、これから見に行く映画のタイトルもわからない。劇場の窓口で「えっとお〜」と、遠い目で掲示を見ることもしばしば。本作も、タイトルを覚えてなくて、「人生、心機一転」「生き直しの話」「新しい生き甲斐が…」などと頭をめぐるタイトルは10種類ぐらい。で、劇場に到着して初めて「新しい人生のはじめかた」を見るのだ、と知った次第。


 巻頭、ピアノの音が静かに流れる。「あ、サティのジムノペディ…!」と思わせておいて、観客が期待する音とは違う音階が展開し、それがこの男のオリジナル曲であることがわかる。弾いているのはダスティン・ホフマンその人。彼はジャズピアニストになりたくて音楽学校を卒業したくらいだから、ほんとにピアノが弾けるのである。ダスティン・ホフマンの役はCM音楽の作曲家ハーヴェイ。NYに住む彼は娘の結婚式のためにロンドンにやってきた。映画の舞台はほとんどロンドンである。最初からアメリカ映画らしくない雰囲気の作品だからてっきりイギリス映画だと思っていたが、これはハリウッド映画である。



 もう人生もほとんど老境に達しようとしているハーヴェイには、離婚した妻との間に娘が一人いて、その娘がロンドンで結婚式を挙げる。喜び勇んでロンドンにやってきたハーヴェイには次々と意気消沈となるできごとが襲いかかる。娘はヴァージンロードを実父とではなく、母が再婚した相手、つまり継父と歩くというではないか。ホテルも自分だけがお粗末な部屋に押し込められ、家族はみな元妻が借りた一軒家に仲良く滞在していることが判明。おまけにクライアントが彼の曲を気に入らなくて、失業の危機!

 

 すっかり気落ちしたハーヴェイの前に現れたのが、運命の女性、40代独身のケイト(エマ・トンプソン)。小説家志望のケイトは、昼間のバーで一人静かに白ワインを飲みながら読書に耽るような女性だ。なぜか興味を惹かれたハーヴェイは彼女に近づくが…



 ケイトは恋に臆病な女性であり、40代半ばにしてすっかりもう恋愛など諦めている。むしろ、そんなことに心を煩わされるよりは静かに老いていきたい、とすら思っている。ある日突然風が吹いて恋に落ちても、やがてはお互いの中に他者を見つけ、相容れないものの存在に心がささくれ立ち、いつしか激しい恋も冷めて気がつけば冬の枯葉が舞う…。おそらくケイトはそんな恋愛を何度も経験したのだろう。もう今更人生をやり直したいとも思わない。何かと彼女に干渉してくるうるさい母親もいる。そんなケイトの境遇が丁寧に描かれているので、彼女の引っ込み思案やためらいが痛いほど理解できる。


 けれど、人生はいくつになってもやり直しができるのだ。そんな思いにかられる中高年の恋が爽やかに描かれている佳作。一つずつのエピソードの積み重ねがリアルで、ケイトとハーヴェイの関わりかたが上品で、引き込まれていく。二人が「出会う」までに偶然あちこちですれ違っている様子がさりげなく描かれているのも面白い。母親が隣人に不審の目を向けるエピソードもきらりと光っていて、オチのつけかたが微笑ましい。


 二人はどちらも本好きなのだが、読む本が違う。そんなとき、ケイトは「趣味が違うのね」と言い、ハーヴェイはそんなところを面白がる。この二人の人物造形がいかにもアメリカ人とイギリス人らしくて一種のステレオタイプなのだが、それが嫌みにならない。ケイトによれば、イギリス人も最近は変わってきたのだそうで、その説明の台詞もまた興味深かった。


 それにしてもエマ・トンプソンの中年体型には苦笑を禁じ得えない。引力にすっかり負けてしまった腹と尻。まったく似合わない黒のミニスカートのドレスを、それでもハーヴェイは ”good!”と思っている。まあ、他に試着したドレスに比べればマシだったけど…。我が身を見るようで親近感を感じたりちょっと反省したり。


 娘の披露宴に、のけ者にされたハーヴェイがしゃしゃり出てくる場面がある。ここは一瞬ドキリとする緊張の場面なのだが、実は涙腺決壊の良いシーンであることがわかる。最後のクライマックス、ハーヴェイがケイトに求愛する場面もまた大人なら理解できる、人生の機微に触れる台詞が語られる。彼は「君を一生愛する」とか「きっと二人はうまく行く」などと安易に約束しない。そこがいい。


 ラストのハーヴェイの一言にはぐっと来た。中高年にお奨めのラブストーリーです。

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LAST CHANCE HARVEY
93分、アメリカ、2008
監督・脚本: ジョエル・ホプキンス、製作: ティム・ペレル、ニコラ・アスボーン、製作総指揮: ジャワル・ガー、音楽: ディコン・ハインクリフェ
出演: ダスティン・ホフマンエマ・トンプソン、アイリーン・アトキンス、ジェームズ・ブローリン、キャシー・ベイカー