吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

17歳の肖像

 美しく聡明な少女と年上の恋人の物語。これがフランス映画だと「愛人/ラマン」になり、イギリス映画だとこれになるのか、なるほど。イギリスのほうが好きだわ。ストーリーじたいに新味はない。この映画の魅力はなんといってもキャリー・マリガンという新しいミューズの登場につきる。


 そして、原題にもあるように、テーマが「教育」である点に好感を持った。最近、偶然だが教育の意義について問い直す映画を続けて見た。「プレシャス」(http://d.hatena.ne.jp/ginyu/20100508/p1)に続いて本作も、「いま必要なことは教育ではないか」と思わせる内容である。物語の舞台は1961年だが、21世紀初頭の今こそ若者に見せたい映画だ。教育が崩壊し、その意義が失われつつある今こそ、地道に勉学することの意味を問い直す必要があるのではないか。かつて「大学解体」を叫んだ学生たちが求めたものは大学という制度の解体ではあっても、知の世界の崩壊ではなかったはずだ。だからこそ、かつての叛乱学生たちは高度に知的な言葉を操って自分たちの思想を語ったのだ。しかしそれから40年が経って、彼らが夢見たはずの大学解体ではなく、知的世界の解体へと荒廃は進んでいる。


 物語の舞台は1961年のロンドン。ヒロイン、ジェニーは16歳の成績優秀な高校生。彼女はオクスフォード大学への進学を目標に勉強に励む日々だ。父親は典型的な中産下層階級の人で、聡明な娘を有名大学に進学させる事をひたすら夢見る俗物である。そんなジェニーがある偶然から知り合った30代の男性デイヴィッドは礼儀正しく知的で、彼女が知らない本物の音楽会に連れて行ってくれたり、オークションに連れ出してくれたりと、ジェニーの憧れの大人の世界を見せてくれる。たちまちデイヴィッドに夢中になるジェニーは、進学を中止して彼の求婚を受け入れることにしたが……。



 思春期の一時期、誰もが憧れる大人の世界、その甘さときらびやかさを体感させてくれる素敵な大人が現れたら! めくるめく日々は退屈な女子高生には想像もできないものだ。憧れのパリ! 憧れの夜会! 憧れの絵! そしてそして…。そもそも、豪雨の中の出会いからしてロマンティックだった。彼は礼儀正しい大人の男。「きみのチェロが心配だ」という甘い言葉。そして音楽を語る崇高な言葉の数々に聡明な少女はたちまちクラクラ。この年頃の女の子(特に頭の良い女子)には、同い年の男などバカに見える。まったく頼りにならずレベルが低く、子どもじみている。だから、自分より倍も年上の男が醸し出す知的な雰囲気や見知らぬ場所、見知らぬ人々の興奮を教えてくれるその存在そのものに惹かれてしまうのも当然。なによりもその渋く落ち着いた物腰が少女をしびれさせる。


 だが、ここに描かれるのは青春の蹉跌だ。時代はイギリスが戦後の荒廃から立ち直って高度経済成長へと向かうとき。とはいえ、戦後日本のような革命的な高度成長を遂げるわけではないイギリスにとって、やはり階層の壁は厚い。質素を旨とし階層に相応しいビヘイビアを保つイギリスにとって、階層を駆け上がる何よりも確実な方法は高い学歴か玉の輿だった。それはしかし日本とて同じ。ただ、日本のほうがイギリスより遙かに物質文明を謳歌し、高い経済成長率を達成し、国民各階層に上昇志向の幻想をばらまいた点では爛熟した後期資本主義を堪能したといえるかもしれない。しかも民主主義を経験しない日本人にとって降ってわいたような高度成長は身の丈を忘れさせる大きな試練となったのだ。――こういったことはすべて後知恵の戯言に過ぎない。高度経済成長に浮かれているときの日本人の誰が今の状況を予測できただろうか? 物価は常に上昇するものと思いこんで育ったわたしのような世代にとって、物価が低くなることは驚天動地のような出来事なのだ。しかしだからこそ今、この映画の時代のはかなき夢を反省する良い機会なのではないか?



 身の丈を知らぬ誇大妄想的な夢は棄てよう。幸せはパリの華やかな光の中にあるのではない。派手な生活をすることが人生の目的なのか? それとも、質素ながらも落ち着いた知的な生活を紡ぐほうが何倍も幸せではないのか? 常にモノが売れ続けなければ保たないような経済システムはおかしいのだ。
 

 いや、先走りすぎた。この映画はそんな資本主義批判を展開しているわけではない。ただ、愚直なまでに真っ正直に真っ正面から、「学生よ、ちゃんと勉強しようね」と言っているにすぎない。しかしその、「過ぎない」ことこそ、今私達に必要な議論ではなかろうか。


 本作では、ジェニーの聡明さが何よりの救いになる。自身がバカにしていた「オールドミス」教師に”I need your help”と言う、その台詞が強烈に印象に残っている。教育とは生徒の”I need your help”に耳を貸すことから始まるのではないか? そして、その言葉を素直に口にできる生徒こそがエライ先生に出会えるのだ。やっぱりここでも内田樹さんの『先生はえらい』を思い出してしまった。蛇足ですが、内田さんは大阪市長の特別顧問になるとか。

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AN EDUCATION
100分、イギリス、2009
監督: ロネ・シェルフィグ、原作: リン・バーバー、脚本: ニック・ホーンビィ、音楽: ポール・イングリッシュビー
出演: キャリー・マリガンピーター・サースガードドミニク・クーパーロザムンド・パイクアルフレッド・モリナ、カーラ・セイモア、エマ・トンプソンオリヴィア・ウィリアムズ