吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

チェンジリング

2時間22分、まったく飽きさせず弛ませず、緊張感が持続し、一分の無駄もなく、大河のごとく堂々たる作品。まさにいぶし銀の映像、演出。80歳近い監督がこれだけのことをできるのだから、映画というのは魔物に違いない。と同時に、この映画に込められた主題の深さを理解するためには観客のリテラシーが問われてしまう。映画というのは実に難しいメディアだ。小説ならば何十行も何十ページも費やして描写することを映画はただ1カットで表現する。そこに込められた意味をどれだけの観客が読み取れるのだろう?

 この映画については「小麦のシネマちゃんぷる」に素晴らしいレビューがあるので、もう何も付け加えることはありません。
http://www.comugi.cc/cgi-bin/diary/200902.html
 と書いてお仕舞いにしようかと思ったけど、それではあんまりなのでちょっと書きます。なお、小麦さんのレビューにはストーリーが最後まで書かれているので未見のかたはご注意を。

 時は1928年、この物語は事実に基づいているという。我が子が誘拐されたと思ったシングルマザーのクリスティンが、必死になって子どもを探す。五ヶ月後、子どもが見つかったと知らせてくるロス警察が差し出した子どもはまったくの別人。これはどうしたことか? そしてロス市警の腐敗堕落を糾弾する牧師がラジオ放送を通じてアジテーションする場面が映る。ここには、現代のメディアが勃興する最初期の姿が活写されている。今に至るまでその腐敗ぶりを糾弾されるロス市警の不正を今更映画で描いても面白くもなんともない。これほどあからさまに正義・不正義を描く社会派作品ならば、クリント・イーストウッドがわざわざ描くような内容でもあるまいに? と怪訝に思う前半。しかし、ここで即断してはいけない。イーストウッド監督の作品はそれほどヤワなものではない。「ミリオンダラー・ベイビー」と同じように、神と地上の人間の葛藤もまたテーマになっているのだ。イーストウッドが描いたテーマは一つではない。そのうちの一つが、<赦しと復讐>だ。子どもを殺された親たちは、犯人を赦すことができるのだろうか? 親が赦さなければ、誰が赦すのか? 神か?

 こういう作品を見てしまうと、「シークレット・サンシャイン」の点数が落ちてしまう。同じようなテーマを扱いながらも、「シークレット・サンシャイン」にあった甘さも弛緩した演出もここには見られない。それだけに、緩みがない演出は観客によっては退屈と映るかもしれない。クリスティンは降りかかる火の粉を払うのにただ必死で、ただ自分の息子が帰ってくることだけを信じ祈り、行動する。同じように息子を誘拐された若い母親シネ(「シークレット・サンシャイン」)が流されるままだったのに比べれば、同じように状況に流されているように見えてじつはクリスティンが相当に意志が強い女性であることがわかる。だから、同じような状況を描いた映画でも、わたしはシネよりはるかにクリスティンに共感する。

 本作は、わかりやすい人物造形を心がけている。腐敗した警察幹部は徹底的に悪人であり、彼らを糾弾する牧師は正義の味方だ。この牧師をジョン・マルコヴィッチが演じているものだから、てっきりどこかでどんでん返しがあるに違いないと冷や冷やしていたが、この人が最後まで正義の味方であったということが意外といえば意外。このわかりやすさも実は落とし穴かもしれない。ここで安心した/がっかりした観客は、イーストウッド監督が仕掛けてくるさらなる試練と追及につきあう気力を失うかもしれない。また、市警と市長という権力上層部が悪であるという一面的な描き方だけではなく、警官の中にもヤバラ刑事のように良心に従って行動する人間がいたことをきちんと描いたことはさすがだ。
 監督が示したテーマは、わたしたちにこの物語を物語として消費することを赦していないのだ。この物語を過去のロス市警の腐敗を追及する(80年遅れの)社会派作品だと思うなら、とんでもない間違いを犯すだろう。ましてや、死刑の場面を見て、「悪人は処罰されるのが当然」というあまりにもナイーブな感想を持ったとしたら、とんでもない読み違いを冒しているのではないか?


 この犯罪の全容が判明してからこそが、クリント・イーストウッド監督の真骨頂が露わになる。わたしたちは、憎むべき犯罪と、それを追う一人の母と、そして80年後にそれを見る観客という立場を忘れてはならない。実話を元にしているからこそ、世界大恐慌直前直後の世界といま現在の世界大不況の時代に通底する<時代の痛み>を感じ取るべきではないのだろうか。80歳の老監督はおそらく「これが最後」と思いながら一作ずつを作っていることだろう。人々にに遺言したいこと、かつての権力犯罪を単なる過去の教訓としてだけではなく、現在と未来の人々に「希望」を託して呈示しようとする心意気を買いたい。


 美術もまた素晴らしい。1930年前後のロサンゼルスの町並み、衣装、車、電車、すべてが徹底的にこだわりをもって描かれている。特に衣装に注目。クリスティンが着ている仕立ての良いおしゃれなドレスや、高級コートを見ていると、彼女がシングルマザーとはいえ相当な高給取りであったことが伺える。日本でもかつて職業婦人の憧れの職業の一つであった電話交換手の職場の様子が興味深い。

 今のところ、今年のベストは「チェンジリング」と「ベンジャミン・バトン」が1位。こうなると「グラントリノ」は絶対に見に行かねば!(PG-12)

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チェンジリング
CHANGELING
製作国 アメリカ、2008年、上映時間 142分
製作・監督・音楽: クリント・イーストウッド、脚本: J・マイケル・ストラジンスキー
出演: アンジェリーナ・ジョリージョン・マルコヴィッチジェフリー・ドノヴァンコルム・フィオール、ジェイソン・バトラー・ハーナー、エイミー・ライアンマイケル・ケリー