吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

書評会:小杉亮子『東大闘争の語り―社会運動の予示と戦略』

 当館エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)に恵投いただいた図書の書評会が開かれるので、お知らせします。以下、主催者からの案内文を転記します。

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【社会運動史を学びほぐす―小杉亮子『東大闘争の語り―社会運動の予示と戦略』を読む】

今年5月に刊行された『東大闘争の語り――社会運動の予示と戦略』(小杉亮子著・新曜社)の書評会を開催します。

1968~1969年に東京大学で起きた東大闘争では、大学における学生自治や学術研究の自律性、さらにベトナム戦争などをテーマに学生たちが抗議活動を起こし、長期間にわたってキャンパスを占拠、授業をストライキしました。

『東大闘争の語り』では、社会学的観点から、闘争に参加した学生たちの動機と論理、キャンパスの占拠や授業ストライキといった抗議方法を選んだ理由、異なる立場をとる学生たちの相互作用によって複雑に展開していく闘争のプロセスなどに迫っています。

書評会では、本書にたいする感想や疑問を参加者で議論するだけでなく、そこをきっかけに、社会運動史研究や1960年代の社会運動が現在に持つ意味についても話し合いたいと考えています。未読の方の参加も歓迎します。

日時:2018年11月11日(日)14:00~17:00
場所:多目的カフェ「かぜのね」多目的スペース
京都市左京区田中下柳町7-2 http://www.kazenone.org/access.php
京阪・出町柳駅叡電口から徒歩1分。出町柳駅を背にして左に進むと、右手にカフェと美容院のあいだの細い路地が見えます。この路地に入っていくと、すぐ右手に「かぜのね」の建物があります。

プログラム内容:
14:00-14:15 会の趣旨説明――司会:森啓輔[日本学術振興会
14:15-14:30 著者による本書の概要説明――小杉亮子[日本学術振興会
14:30-15:30 コメンテーターによるコメント――田村あずみ[滋賀大学]・原口剛[神戸大学
15:30-16:45 フロアとの質疑応答・コメント応対――オーガナイズ:大野光明[滋賀県立大学
16:45-17:00 まとめと閉会

会企画:小杉亮子・大野光明・森啓輔

ラバーズ・アゲイン

 登場人物の心理はまったく理解できなかったが、大変面白く最後まで見ることができた。劇場未公開なのが残念だが、華となるような役者が出てこないのだからしょうがないか。いや、63歳のデブラ・ウィンガーの美貌がまだまだある程度は保たれているところを見てファンは喜ぶかも。

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 さて物語は。とある熟年夫婦はまったく互いへの関心も熱情も失われたかに見える日々を送っていた。互いに愛人を持ち、その愛人との新しい生活への一歩を踏み出そうとしていた。そんな夫婦の一人息子が久しぶりに帰郷することになった。しかも恋人を連れてくるという。夫婦はそれぞれが離婚の好機ととらえていた。息子が帰ってきたら言おう、離婚したい、と。

 しかししかし。離婚の決意は固いはずなのに、なぜかこの二人は煮え切らない。互いに愛人がいることは秘密であるが、その秘密は風前の灯だ。なぜなら、互いに愛人からは離婚を迫られており、もう断崖絶壁の状態にあるのだ。夫婦は二人とも離婚したいと心から願っている。はず。ところがところが! いざ離婚の決意を固めたある日、二人はふと欲望に駆られてしまう。なにがきっかけになるのかまったく不可思議だが、二人は久しぶりに互いの体を求めて燃え上がる。その日を境になぜか何度も性生活を復活させてしまう熟年夫婦、マイケルとメアリだった。
 というコメディは摩訶不思議な離婚寸前の熟年夫婦の心理を描いて、観客を笑わせたり考えさせたりする。この夫婦の心の機微はわたしにはまったく理解も共感もできないのだが、確かにそのようなブレを見せるのが腐れ縁の夫婦かもしれないと思わせる巧みな脚本ではある。しかし、いい大人である息子が両親の不倫を知って取り乱したり泣いたりするのがまったく解せない。いろいろ理解不能なのであるが、それでも最後まで「この夫婦は別れるのか、どうするのか」と観客をハラハラさせて最後まで引っ張る面白さはある。ラストシーンがいっそうわたしにとっては驚愕であったが、そういう終わり方もあるのかと、納得できないながらも笑ってしまった。
 ところで、63歳のデブラ・ウィンガーの恋人が13歳年下のナイス・ミドル、エイダン・ギレンというのがうらやましすぎる。かっこよくて優しそうな作家という設定の恋人なんて、いったいどこで出会ったの? そりゃもう、腹の出た夫よりもこっちがいいにきまっているでしょう!
 いろいろ思うところはあるなれど、面白い心理劇の大人の物語でした。若者にはわからないよね、こんな話。還暦のおばさんにも理解不能でした(笑)。脚本がうまい。(レンタルDVD)

THE LOVERS

97分、アメリカ、2017
監督・脚本:アザゼル・ジェイコブス
出演:デブラ・ウインガー 、 トレイシー・レッツ 、 エイダン・ギレン 、 メローラ・ウォルターズ 

 主人公は、ほとんど視力を失ったカメラマンと、映画の音声ガイドを吹き込む若い女性。彼らは映画に音声ガイドをつける作業を通して知り合う。かつては天才カメラマンとして名前を知られた中森雅哉は、徐々に視力を失いつつあり、弱視となった今もカメラを離さない生活を続けている。音声ガイドの脚本を作って朗読する尾崎美佐子はまだこの仕事を始めて間がないのか、気合が入りすぎて、彼女が作った音声ガイドを評価するミーティングの場では何人もの視覚障碍者からダメ出しをされる。とりわけ中森は辛辣な言葉で彼女を傷つける。

 冒頭のこの場面が印象深い。音声ガイドというのがどのように作られていくのか、その過程を初めて知ったわたしは、この作業が映画の本質のある部分(映像を文字に置換する困難さ)を描いていることに気づかされた。説明しすぎてもいけないし、主観が入ってもいけない。かといって短ければいいというものでもない。ほんとうに難しい作業だ。そこにボランティアで参加していると思われる視覚障碍者の指摘がドキュメンタリーのようにリアルに感じられる。視覚障害のある当事者が何人か演じているのだろう。

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 カメラマンという天職に就きながら、そしてその才能を嘱望されたというのに、視力を失っていく絶望。雅哉は離婚して一人暮らしで、心も荒んでいる。美佐子は雅哉のキツイ言葉に腹を立てるが、雅哉の写真集を見て感動し、彼に惹かれていく。徐々に心を寄せ合うようになる二人の静かなラブストーリーが展開する。物語の展開は先が読めるようなものだけれど、挿入される美佐子の顔アップや彼女の家庭の事情、また雅哉の視界を描写した画面が美しく、心惹かれるものがある。光を多く取り入れ、かつその眩しい光が優しく輪郭をゆるやかにする画面づくりに河瀨直美の真骨頂が現れている。
 世界の成り立ちと言葉の関係について改めて考えさせる、貴重な映画と言える。ピアノで綴られるBGMも清楚で美しい。(レンタルDVD)

102分、日本、2017
監督・脚本:河瀬直美

出演:永瀬正敏水崎綾女、神野三鈴、小市慢太郎、白川和子、藤竜也

クワイエット・プレイス

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声を出してはいけないという映画内のお約束のために、ずいぶん静かな映画なのだが、どっこい劇伴の音楽がものすごく怖くて、全然クワイエットじゃない!
 しかしまあ、あまりの緊張に見ているほうも息を詰めてしまうような映画だった。この映画が90分以内に収まっていることを神に感謝しましたよ。これが150分ぐらいあったらもう耐えきれません。 
 時は2020年、隕石が落下するのと同時に「何か」が地球にやってきた。その日から3か月ほどで人類は滅亡の危機に瀕していた。その「何か」は音に反応して人間を殺すのだ。音を立てたら即死! という状況下でも生き延びた人々はいた。それが主人公一家である。音を立てないために裸足で歩き、道路には砂を撒いて足音がしないように工夫する。食器は使わず葉っぱを食器代わりに料理を置いて食べる。一家の一番上の娘が聴覚障害者なので、一家全員が手話を使えるというのがこの家族の強みだったようだ。
 それにしてもくしゃみも咳もせずに生きるなんて絶対無理なのにどうやって音を立てずに生きてきたんでしょうか、この人たちは。それでもまあなんとか工夫を凝らして、田舎の農家であることが幸いして食べ物には困らないようだ。たまには住民が居なくなった廃墟の町に出かけてスーパーで薬を調達したりする。
 しかしそんな一家に最大の難関が訪れる日は近い。主婦であるリーが出産の日を迎えるのだ。どうやって声を出さずにお産するんだろう? 赤ん坊の産声はどうするつもり? 生まれた後はずっと泣き続けるに違いない赤ん坊をどうやって育てるのか。
 この一家の創意工夫ぶりが素晴らしくて、「そう来たか」という頭の良さが大変光っている。もちろんご都合主義も垣間見られるがそこは多少は目をつぶることにしよう。一難去ってまた一難というサスペンスの連続に緊張は途切れない。ただし、興ざめの点もあって、それは「何か」の正体をわりと早くに見せてしまうこと。これが面白くない。
 この物語のテーマは家族愛だ。お互いを思いやり、支えあって生きていこうとする家族の強い愛情を描いている。サバイバルも結局はお互いを守ろうとする強い意志と技術力がものを言うのである。主人公一家の夫と妻を実際の夫婦であるジョン・クラシンスキーとエミリー・ブラントが演じている。クラシンスキーは監督も務めていて、夫婦共働きの低予算映画ながら非常に面白い。
 さて最後はどうやってこのエイリアンを退治しましょうかね。ラストシーンは胸がすくよ、素晴らしい! 母は強し!! 続編ができるそうです。これも楽しみ。

A QUIET PLACE
90分、アメリカ、2018
監督:ジョン・クラシンスキー、製作:マイケル・ベイほか、脚本:ブライアン・ウッズ、スコット・ベック、ジョン・クラシンスキー、撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン、音楽:マルコ・ベルトラミ

出演:エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ

しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス

 あまりにも素朴なその絵は幼稚園児が描くような花や人物だ。しかしその温かい色使いは人々の心を癒し、優しい気持ちにさせるものがある。それだけではなく、ハッとするような斬新な色遣いとユーモアにあふれた描写に、思わず「この絵がほしい」と思わせる力がある。その人の名はモード・ルイス(1903-1970)。彼女は幼いころにリュウマチを罹ったため、手足が不自由で身長も極端に小さかった。早くに両親を亡くし、伯母と一緒に暮らしていたが、自分が疎まれていることを悟ったモードは自立を願う。そんなときに「家政婦募集」の情報を耳にしたモードは、郊外の一軒家であるエベレットという名の魚行商人の家に歩いていく。その日から彼女の人生は新たに始まった。

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 そもそもこのエベレットの家というのが極端に何もないところに建っている粗末な小屋である。いったいどこなんだ、ここは。映画を観終わってからここがカナダの田舎であることを知ったのだが、もう半端ない田舎である。周囲何キロも人家がなさそうな感じがする。そんなところへ不自由な足を引きずってやってきたモードは、追い返されそうになるけれど、「雇ってほしい」と懇願してエベレットの家に住み込みの家政婦となる。エベレットは粗野で武骨な男だけれど、不自由な身体で家事があまりできないモードを罵りながらも結局彼女をそばに置き、夜はひとつのベッドで眠っている。いつしか身体を重ねるようになった二人だった。モードはエベレットに「結婚して」と何度も言う。ついに結婚した二人は既に中年の域に達する年齢だった。
 身体が不自由でしゃべり方も訥々としているモードだが、絵筆は雄弁に彼女のあたたかな内面を語る。壁中至るところに絵を描き続けた彼女の「作品」を目にしたエベレットの客である一人の都会的な女性が「絵を売って」と申し出たことをきっかけに、エベレットは魚の行商のかたわら、モードの絵を売り始める。それはたった5ドルだったりせいぜい10ドルだったのだが、絵が売れたことが嬉しいモードは何枚も何枚もカードや小さな絵を描き続ける。

 エベレットとモードの関係はなんだったのだろう。エベレットは最初、モードを家政婦としてしか見ていなかったのだが、そもそもモードの姿を見た瞬間にふつうなら家政婦として役に立たないことに気づく。彼ももちろんモードを追い返そうとしたわけだが、同情心からか、結局はモードを雇うことにした。そこには主従の関係があり、そのまま二人が結婚することになっても結局はエベレットは横柄な主人である。横柄なくせにモードが家事をできないから、やむなくエベレットが掃除をする。なんだか可笑しい。最後は、この二人は本当に愛し合っていたのだということがわかって切ない。
 絵が売れても、電気も水道もない貧乏な小屋暮らしだったモードとエベレット、幸せとはなんなのだろう。優雅さや裕福な暮らしとは無縁で、健康にも恵まれなかったモードだが、不自由な手に絵筆を握り、絵に顔をこすりつけるようにして描いていた独特の姿は一種異様にも映るのだが、その表情は幸せに満ちていた。
 静かで淡々とした映画なので、退屈と思う人は最初の10分でもう脱落しそうだが、わたしは最後まで引き込まれていた。見終わってモードの絵をネット検索して何枚か見てみた。いずれも思わず微笑みが漏れるような、素朴で楽しい絵だ。この映画もそんな彼女の作品と同じく、静かで味わい深い。(レンタルDVD)

MAUDIE
116分、カナダ/アイルランド、2016
監督:アシュリング・ウォルシュ、脚本:シェリー・ホワイト、撮影:ガイ・ゴッドフリー、音楽:マイケル・ティミンズ
出演:サリー・ホーキンスイーサン・ホーク、カリ・マチェット、ガブリエル・ローズ

 

イコライザー2

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 前作はものすごく面白かったというのに、内容はきれいさっぱり忘れている。覚えていることは、デンゼルが強烈にかっこよい必殺仕事人で、クロエ・グレース・モリッツがまだ十代なのに既に中年体形になって貫禄ある二の腕を見せていたことぐらい。なので、前作と本作とのつながりがあるのかないのかもわからない状態から鑑賞開始。だから、前作と比べてどっちが面白いとかどうとかはまったく言えないんだけれど、主人公のマッコールが元CIAの殺し屋で、凄腕で、身近にあるものすべてを武器に変えて戦うという基本路線は観客も了承済みという設定でお話が始まっていることだけは了解できた。
 舞台はトルコから始まり、ブリュッセルに飛び、ボストンに変わり、と目まぐるしくロケ地が登場する。なんで一介のタクシー運転手であるマッコールがトルコに行く金があるのか? 自宅を大改造する金があるのか? まともに考えたら不思議なことはいっぱいあるんだけれど、とにかく彼はハイテク技術をすべて導入し、しかもそれらはすべてDIYで済ませるという技術力の高さを誇る。
 前作では年若い娼婦を助けるおじさん役だったのが、今度は才能ある青年が不良組織に落ちていくのをとどめるという役割。どっちにしてもマッコールおじさんは正義の味方で、幾分説教臭くて、破壊力抜群で、異様な整理整頓好きで、読書好きでふだんは物静かに本を読んでいるという殺し屋である。この人物造形がたまらなく魅力的だ。やくざな仲間に引きずり込まれそうな近所の黒人青年に「自分の不幸を人種差別のせいにするな。才能を無駄にするな」と本気で説教する。それがいい。単に説教するだけではない。マッコールおじさんは体を張って青年を助けるし、弱い者の味方なのだ。しかしあれだけ派手に暴れたら警察沙汰にならんのか、不思議である。
 で、今回の敵はプロ。イコライザーイコライザーの闘いはどっちが勝つ!? しかもハリケーンがやってきて住民が避難してしまった無人の町で暴風雨をものともせず、むしろそれすら味方につけて、ありとあらゆる物を武器に変える恐るべき知識と機転。小麦粉爆弾なんて、誰が思いつくかね、普通。粉塵爆発の原理を知っていなければできない技です。
 前作をあまり覚えていないのだけれど、たぶん今作のほうが演出そのものは地味になっているのではないかという気がする。しかしアクションの面白さはなかなかのもの。
 マッコールがなじみの書店に注文していた「死ぬまでに読んでおくべき100冊」のリスト、見てみたい! 最後の一冊はプルーストの『失われた時を求めて』でありました。

THE EQUALIZER 2
121分、アメリカ、2018
監督:アントワーン・フークア、製作:トッド・ブラックほか、脚本:リチャード・ウェンク、撮影:オリヴァー・ウッド、音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:デンゼル・ワシントンペドロ・パスカル、アシュトン・サンダーズ、ビル・プルマンメリッサ・レオ

 

カメラを止めるな!

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 一つ空けて隣の席の若いおにいさんは巻頭のゾンビ映画の最中からずっと笑っていた。なんで笑うのかちょっとわからなかったわたし(マジこのゾンビ映画を怖いと思っていた)だが、後半第2部でわたしも思わず声を出して笑ってしまったので、きっとこのおにいさんは二回目か三回目かリピーターなんだろう、と勝手に想像。
 というわけで、この映画は第一部がゾンビ映画で、第二部がそのメイキング映画。全編通して全部がメイキング映画なので、メタ映画のメタ映画と言える。こういうややこしい構造を持つとはいえ、お話は単純でしかも爆笑に継ぐ爆笑だから、終わってみたら「笑えたわー、面白かった」で終わるシチュエーションコメディである。後に何も残らない。とはいえ、映画愛はビンビン伝わるので、その点は映画ファンの琴線に触れるものがあり、一度は見ておくべき映画と思う。
 特に、監督の妻役のキャラクターそのものの面白さもあり、演じた役者の上手さもあって、これは瞠目すべき点かと。「ぽん!」てなによ(爆笑)。わたしはギャグマンガ「できんぼーい」を思い出して笑っておりました。


 遅ればせながらストーリーを書くと……いや、やめておこう。ネタバレは禁止じゃ!


 撮影カメラに血しぶきが飛ぶというワンカット映画ではどうしようもないアクシデントについては、ネット批評で誰かが書いていたように、わたしも「トゥモロー・ワールド」を思い出していた。やっぱりホラー映画ってこういう点が怖いです、血しぶき,血糊! 思い切り血が飛びます、ぎゃんぎゃんびゅんびゅん。それが第2部になると血しぶき飛ばす担当スタッフが登場するのでこれまた笑いのネタ。最後には本物のスタッフなのか役者なのか観客にもよくわからなくなる、という混然一体のメイキングぶりには感動しました。

 ところで、著作権法違反、という「パクリ」「盗作」の件について。アイデアや映画の構造・構成は著作物とはみなされないから、盗作と言い張るのは無理じゃないでしょうか。原案になった舞台劇と映画がどこまで酷似しているか、ほんとに裁判になったらワンシーンごとに見比べるしかないという楽しい作業を強いられる裁判官が羨ましい。

96分、日本、2018

監督・脚本:上田慎一郎、プロデューサー:市橋浩治、撮影:曽根剛、音楽:永井カイル
出演:濱津隆之真魚しゅはまはるみ、長屋和彰、細井学、市原洋、山崎俊太郎